正しい時間配分に従って観音をすることを忘れないでください。観音はカルマを消すことができます。時に、ある同修はそこに座っていながら観音をしないことがあります。そういう場合急速な進歩は望めません。
同時に、自分自身の思想をもう一度点検しなければなりません。そうすれば、悪い言論も行為もなくなります。ある考えが念頭に浮かんだとき、すぐにそれが正しいかどうかを点検すれば、それが口をついて出ることも、行動となって現れることもありません。ですから、思想は大切なものです。心の中の激しい感情や思いつきに従って行動するのはいけません。皆さんは、お互いに注意を促すようにすべきです。戒律は私たちの思想から生まれたものです。純粋な心も思想から生まれます。ですから、いつも自分自身の考えを点検してください。
神の聖堂を敬おう
Supreme Master Ching Hai ロサンゼルスにおいて 1996年3月12日 (原語は英語)
インドの裸体の聖人を見ると、高尚な気持ちになります。何の恥ずかしさも、欲望も性欲も起こりません。あの裸体の聖人に対してどんな低級な思いも心の中に忍び入ることはありません。あるのは尊敬の念だけです。たとえ尊敬の念を抱かなくても、せいぜい何も感じない程度です。好奇心すら覚えません。けれども、映画の画面は、その動機が違います。それは、故意に観衆の性的な感情を引き起こそうとするものです。それが、なぜ肉体をそんなに安く売るのかという理由です。そんなことはいけません。なぜなら、この体は神の聖堂だからです。これが唯一の問題点であり、映画の動機が、正しくない理由です。私は衣服を身に付けてない人たちを見ても気になりません。
Supreme Master Ching Hai フォルモサ・基隆文化センターにおいて 1998年10月27日 原語は中国語)
街頭の看板に貼られた「貧しい女性(衣服をほとんど着ていないから)」のポスターは、すべて取り払わなければなりません。なぜなら、これらのポスターは、いつも他人の家庭を破壊し、人間の精神や道徳的レベルを低下させ、成長過程にある若者の心身に害を与えるからです。皆さんは、気付いたことがありますか。実際には、まず先に被害者になるのは自分たちの親類や、夫や、妻や、子供たちなのです。
Supreme Master Ching Hai アメリカの首都・ワシントンにおいて 1997年12月26日(原語は英語)
最近アメリカでは、テレビでセックスや暴力などのシーンや深夜番組を放映することは禁止すべきである、という呼び掛けが、大統領や政府高官や国会議員などから出されました。なぜなら、子供たちに悪い影響をもたらすからです。これは本当に良い意見ですが、「それはできない。憲法の精神に反するから」と、ある裁判官は反論しました。それで、この呼び掛けは実行されませんでした。
たとえ、優れた大統領や政府高官や国会議員がいても、常に強力な行政権力を発揮できるとは限りません。無駄な法律条文や、役立たない法律規制や、形式主義的官僚体制や、法律の抜け穴等が多過ぎます。
物事は私たちの思いどおりには運ばれません。まして世界平和については、いうまでもありません。それでも、私たちは世界の平和を祈ることはできます。それは、私たちが望んでいることだからです。私たちは自分たちの望みを追求することができますが、かなうかどうかは私たち次第です。もし、共通の願いを求める人が十分な数に達したなら、この願いは実現するかもしれません。けれども、いつも十分な数に達しません。それは、多くの人がいまだに自分自身の意見に強く固執しているからです。その人たちのことは気にしないでください。私たちのように小さな修行グループであっても、少なくとも私たちは、世界の平和と人類の幸せを祈るという共通の理想のもとに結成され、統合されているのですから。
自由意志
Supreme Master Ching Hai カンボジアにおいて 1996年3月27日(原語は中国語)
この世において、私たちはいろいろな考えを持っています。この宇宙は、みなさんが考えているようにそんなに固定されて単調なものではありません。自分が何をやりたいのか、そして、どのくらいの苦労に耐えられ、どれだけの責任が取れるかを決定するのは、全くみなさんに掛かっています。他人に害を加えない限り、みなさんが決めることができます。私たちには、神からの要請がいくつかありますが、選ぶのは私たち自身です。もし、すべてのことが前もって運命づけられているとしたら、人生はとても退屈なものになるでしょう。ですから、何でも変えることができるのです。しかし、良い方向に変えなければなりません。
例えば、私の手にティッシュペーパーの包みがあるとします。自分だけで使うこともできます。あるいは、それを必要とする人にあげることもできます。もし、必要とする人が2、3人いるなら、私はこのティッシュペーパーをその人たちのところへ放り投げます。ゴミ箱に投げ入れてしまったら、もう誰もそれを使用することはできません。ここに残せば私だけが使用できます。みなさんにあげれば、多くの人が使用できます。このように私にはたくさんの選択肢があります。決定するのは私です。それでいいのです。神の手配によって、私がこのティッシュペーパーの包みをある指定された人にあげるということではありません。そんなことはありえません。この世界はそれほど単純なものではありません。私たちは、様々な選択をすることができるのです。
どの宗教でも、自由選択や、自由意志のことを説いています。時には、この自由意志こそが、私たち自身や多くの人々にも害をもたらすことがあり、私たちはこの世に輪廻することになるのです。良い決定をすれば、良い結果を得られますが、もし、悪い決定をすれば、私たちは重大な責任を取らなければならず、もっと多くの悩みや苦しみを受けなければなりません。さらに悪い決定をすれば、私たちはもう一度この世界に戻って自分の犯した誤りを正す必要があります。あるいは、他人に与えた害や、自分の招いた損失を償うまで、生まれ変わってくるのです。人生はこのようなものです。
ですから、この宇宙にはほんとうに良いということも、ほんとうに悪いということもありません。ただ一種の循環過程がみんなをちょっと遊ばせたあと、時間がきたら休ませるのです。だからといって、私たちは好きなことを何でもして良いわけではありません。当然良いことを選ぶべきです。なぜなら、自分にも、他人にも、利益をもたらすからです。私たちは、何回輪廻転生しても自分を失ってしまうことはありません。というのは、この世に生まれ変わるたびにカルマがたくさん付いてくるからです。しかも、私たちは必ずしも、今生だけで自分の作ったカルマを返済できるとは限りません。ですから、自分のカルマが済むまで絶えずこの世界に輪廻して、ときには、それに何千年も掛かることがあるのです。
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