1995年、偶然の機会により、私は刑務所での弘法活動に参加しました。場所はフォルモサで有名な緑島刑務所です。
私たちが飛行機を二回乗り換えて緑島に着くと、所長自ら応対してくれました。所長は非常に親切な人で、刑務所を自分の家の様に、すべての受刑者を自分の子どものように世話をしています。これを見て、私は地蔵王菩薩の慈悲深い心を思い出しました。所長はこう言いました、緑島にいる受刑者は、重い罪を犯した人たちです。刑務所に行ってもけんかをする、いわゆる悪人たちです。(以前、二回程マスターと一緒に刑務所で弘法をしましたが、所長の話を聞き、やはり不安になりました。)受刑者たちの心を清浄にさせる様に座禅させたいがあまり良い方法がないので、私たちが座禅を教えることを所長は大変喜んでいました。
まず一人の同修が、自分が若い時は不良少年で、悪いことばかりして何度も刑務所に入れられたけれど、その後どの様に菜食、修行をして人生をやり直したかを受刑者たちに話しました。この同修のことはそれほど悪くないと思われたのか、話が終わっても殆ど反応がありませんでした。もう一人の同修はマスターのことや観音法門を紹介しましたが、会場の雰囲気が冷たかったため、緊張してうまくできませんでした。彼が観音法門を習いたい人は何人いるか聞いた時、一人しか手を挙げませんでした。以前、別の刑務所での弘法の時は過半数の人が方便法を習いたいと言った状況に比べ、とても手が焼けてどうすればよいのかわかりませんでした。私の番が来ました。みなにもっと理解してほしかったので、私はさらに話しました。菜食はおばあさんがすることではなく、れっきとした男性のすることであり、私たちはすべての人を愛し、世話し、本当の兄弟にならなければ、と。マスターの教理「自由の真理」についても話しました。真の自由とは物質の世界から解脱し、私たちの霊体が宇宙を漫遊することです。最後に私はこう言いました。どうせあなたたちも静座するなら、私は宇宙の中で最高の座禅
方法を教えてあげます。あなたたちは内面の光を体験し、天国を漫遊することができます。この法門は最も良く、最も速く、最も簡単で、最も安全です。習いたくないわけがないでしょう?何人が習いたいですか、ともう一度聞いたところ、一人しか増えていませんでした。その人が私の顔を立ててくれたのは大変ありがたいことでした。しかたなく、私は方便法を教え始めました。刑務所での行動は団体行動なので、方便法を習わなくても、会場に座らなければなりません。私は説明した後、「さあ、これから目を閉じて、座禅を始めましょう」と言うと、なんと受刑者たちがみな目を閉じました。
座禅が終わった後、方便法を習った人のために、「もし、あなたたちがマスターの教理をもっと知りたい、又は今後修行のとき何か問題があったら、われわれに手紙を書いても構いませんが、今、名前を教えてください」と言ったら、驚いたことに半数以上の人が自分の名前を書きました。同修たちがきれいに包装した、愛を込めた加持物を受刑者に配ると会場が良い雰囲気になって、みんなが喜び、楽しくなりました。質問したい人がいたので、刑務所の許可を得て、「名前を書いた人は残ってもいいです」と決めました。名前を書かなかった人たちは会場から離れる時、私たちを見つめており、彼らの内在の魂の渇望を感じました。彼らの別れが惜しそうなまなざしは、今でも忘れられません。面子を重んずるのは私の修行の大障害であると深く反省しています!座禅後、内在する愛の力が交流して受刑者たちは本来の自分に戻り、まるで子どものように、ある人は菜食したいと言い、ある人は座禅のことを質問し、また釈放されたら、道場へ私たちを訪ねたいと言う人もいて、私たちは感動しました。その時、みなが愛に包まれ、すべての苦痛がなくなったかのようでした。
活動後、菜食が実行できる様に、受刑者たちに菜食の食品を送る手配をしました。その後、刑務所側はわざわざ車で私たちに緑島の案内をしてくださいました。緑島はとても静かできれいな小島です。途中、環境を整備する受刑者たちが休憩していました。彼らがのんびりしている姿を見て、弘法団のみながこう思いました。「こんなきれいな小島が修行の場所になったら、きっと、地上の楽園になるに違いない!」
数年経った今でも、当時のことを思い出すたびに感慨深く、その日は私の人生の中で最も印象的な日の一つです。マスターはこう言いました、「この世には良い人も悪い人もいない、あるのは悟りと無明だけです」「聖人には過去があり、罪人には将来があります」。ただ現在を、善に向かって心から改めれば将来は必ず良くなり、過去の失敗も補うことができるのです。ちょっとした心得違いが、無限の苦痛を招くことがあります。自分の心を開いて見て、自分に良いチャンスを創りましょう!すばらしい未来が私たちを待っているのです。
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