特別報道
春のそよ風は新しい生命をもたらす
アメリカ・ロサンゼルス ニュースグループ(原文は英文)

1999年3月21日早朝の共修会が終わった後、ロサンゼルスの同修たちはマスターの突然の訪問で喜びに沸き返りました。一部の同修はサマディから戻ったばかりだったので、マスターを見た時、まだ、夢の中にいるのではないかと思ったほどです。

白いパンツと白い運動靴、グレーのセーターという普段着姿のマスターは、寛いだ様子で喜びにあふれていました。周りを歩きながらマスターが同修に「こんにちは」と呼びかけると、このような美しい春の日の驚きの訪問によってみなは有頂天になりました。

間もなく全員が座禅会場に通じる階段の下に集まりました。マスターは車椅子がなければ歩くことも困難な年配の同修を優しく元気づけました。同修たちは両側に座り、マスターはしばらくの間この同修とベトナム語で話を交わしました。マスターはその婦人と冗談を言いながら、婦人の仏教的修行について尋ねました。その間その婦人はマスターへの敬意を表すためずっと手を合わせていました。それから、マスターがご自分のイヤリングをその敬虔な婦人に与えると、大変満足そうな様子で応えていました。集まった人々もその微笑ましい様子を見て、顔がほころびました。

その後、マスターは修行上の問題や生活上の問題について、ていねいに応えてくださいました。ある新同修はマスターに次のような報告をしました。彼女の仕事には重い病気に罹った幼児の世話をすることも含まれていますが、その多くが死んでしまったそうです。しかし、印心を受けた後、彼女の勤務時間には、一人も死んでいないということです。

また、ある男性同修は修行上の困難を抱えていると言いました。マスターは毎日の座禅の時間を、もう数分でも多くしてくださいと勧めてくださいました。私たちは、この生活の中で大変一所懸命働いているので、時には非常に疲れていることもあります。仕事やその関係者、あるいは、友人や家族から応対を迫られるし、プレッシャーもあり、頭痛が起きてしまうこともあります。ですから、私たちはそこに座っていても肉体は非常に疲れているために、全然言うことを聞かないこともあります。私たちはあらゆる種類のプレッシャーの中に暮らしているのですから、もっと気楽に構える方が良いのです。

「もし、みなさんがとても疲れているなら、何かすっきりするようなお茶か何かを飲んだり、あるいは、まず、気分が良くなるまで休憩を取ったり、新鮮な空気の中を歩いたりして、それから戻ってもう一度座ってください。もし、30分経って座禅を終わらせ、もうそれ以上座っていることができないようなら、立って散歩に出掛けたり、音楽を聴いたり、何か好きなことをしてください。後で帰ってきたら、再び座るという具合に、決められた時間になるまで少しずつ足していってください」

「ですから、ときにはみなさんもうまく座禅ができなかったり、困ることもあると思いますが、すべてがみなさんの落ち度であるとは限りません。もし、みなさんがあらゆることを点検してみて、そのうえ霊的にも問題ないと思うなら、すなわち、きちんと菜食をして、普段十分座禅をして、信仰心も厚いのならば、みなさんの周りの人かみなさんが考えている人のうち、誰かがみなさんに影響を与えているのかもしれません。あるいはひょっとすると病人がいたり、遠くにいる親戚の人が難儀していて、みなさんの霊的な同情心のため、自動的にその人の重荷を背負うことになり、そのためみなさんの霊的な修行にほんの少しだけ支障をきたすかもしれません。でも心配しないでください。あるいは、みなさんが飽き飽きして座禅をしたくなかったらしなくて結構です。次の時でも次の日でも座禅をすることはできます。あるいは、ほんのちょっとだけ座禅をして眠ってしまってもかまいません。目が覚めて座禅をしたいと思ったらしてください。みなさんの時間や生活を常に気楽に過ごしてください」

「私たちは後戻りすることはできません。私たちは遅かれ早かれ進歩するだけです。でも、十分な座禅をしないと円滑な生活は送れません。私たちはますます問題が増えてきますから、それで座禅をするときの内面の霊的パワーの大切さが分かるのです。私たちがもっと座禅をすれば、より一層神を認識できるようになり、生活も良くなります。さらにもっと座禅をすれば、私たちのレベルは一層高くなります。そして、座禅をしないなら、私たちはもっと低いレベルに落ち込んでしまうか、中間にとどまったままで、いずれにしろより高い、より円滑な生活、より良い状態を体験することはできません。私たちが低いレベルにいるとき、沈んでいるときには、悪いことがたくさん起こります。なぜなら、私たちは悪い領域にいるからです」

霊的修行と日常生活のバランスをどう取るかという質問が出た時、マスターは次のような素晴らしい回答をしてくださいました。マスターは、今、付き添いの人の助けを借りずに一人で生活をしているので何もかも自分でやらなければならないそうです。そのようにしてマスターは私たちの生活やこの世で生きてゆくことの困難さを学ぶことができたということです。「それだけ大変だから、私たちは何をするべきかを理解できるのです。困難に打ち勝てばそれだけ強くなります。ですから、私たちはこの世界が私たちを参らせようとするのを許してはいけません。それを乗り越えるのです。それが私たちが強くなる方法です。私たちの内面にはマスターがいますし、すべての天使たちも私たちを助けようと待機しています。私たちは決してそのことを忘れてはいけません。なぜなら、みなさんはみなさんが考えている通りなのですから。みなさんが信じることはすべて実現するのです」

「ですから、自分を強く信じるだけで、自分の望みをすべてかなえることができるのです。この世界はいつもみなさんを参らせようとして、お前は弱虫だ、悪い奴だ、そんなことできやしない、のろまだ、などと言うのです。そんなふうに考えずに、その代わりもっとプラスのことを考えるようにしてください。自分自身を信じてください。マスターはいつもみなさんのためにそこにいるのです。みなさんはいつも助けを求めなければなりません。そのことを忘れてはいけません。後になってマスターはみなさん自身であり、みなさん自身の力なのだと言うことが分かるでしょう。そうなれば、みなさんは何も恐れることもなければ、何の問題も起きないでしょう」

マスターはまた、私たちがどれほど偉大であるかをいつも覚えていることがどんなに大変であるかということについても話してくださいました。マスターでさえ、自分の偉大さをいつも覚えていることはできないのです。マスターは冗談で、もし、自分がスピード違反で警察に捕まったら、自分も怖がるだろうとおっしゃいました。また、次のようにおっしゃいました。「みなさんは大変偉大ですが、働いている間、あるいは、何かをしている間、さらには、プレッシャーがかかっている間はそのことを忘れています。みなさんがそのことをたまに思い出してくれれば、それで結構です。全く思い出すことがないよりはいいです。潜在意識の中では、みなさんは自分がマスターであり、神であり、神と一体であるということをまだ覚えています。私たちは少なくとも神の子どもです。でも、日常生活において何かをしている時に、四六時中覚えていることはできません。ですから、それで結構です。思い出さなくて結構です。もし、私たちが神の子であることを四六時中覚えていたら、この世に生きているのがもう嫌になってしまうでしょう。私たちは1時間にたった数ドルのために必死に働いて、それで私たち は神の子だというのですから。なんという馬鹿げた矛盾なのでしょうか。ですから、もし、思い出さないならそれでもいいのです」

「早死にしたいなどと思わないでください。この世にいるのも、また、面白いものですよ。ただあたりをぶらぶらして気楽に構えてください。今日はこの1日を、そして今はこの瞬間を過ごし、常に現在を生きるのです。あまり考え過ぎると面倒なことになります。『ああ、明日はどうなるのだろう。だってきのうはひどかったし、おとといはもっとひどかったのだから』あまり考え過ぎないでください。今日の1日は今日のことだけを考え、今の1分はこの1分のことだけを考えていれば、ほかのことはすべてうまくゆきます。みなさんが常に現在に集中している限り、ほかのすべてのことは完全にうまくゆきます。みなさんは自分の解答を得るために生き、自分自身のために物事を手配するチャンスは内在のマスターのパワーに与えてください。と言うのは、みなさんが頭ではっきりと考えれば、それはすべて実現するからです。もし、みなさんがそう考え、また、それを望むなら、マスターはみなさんを助ける必要はなくなります。そんなことは気にせずに、今の1分間をその1分間にかけて暮らしてください。今現在、まなさんの目の前にあることだけを行ってください。その他のことは気にしないでく ださい。私たちはその他のことについては手が出せないのですから。過去は過ぎてしまったし、未来はまだ来ていません。それなのになぜ悩むのですか。何の役にもたちません」マスターは、私たちは今日1日は今日1日にかけ、今の1分間は今の1分間にかけて生きてゆくべきであるとおっしゃいました。そうすれば、私たちの生活はもっとずっと単純になり、私たちの多大なエネルギーを節約することができ、そのうえ、望むなら、もっと長生きできるでしょう。

マスターは、私たちに問題があっても悩まないようにとおっしゃいました。マスターは自分には関わりのない多くの困難に遭遇してきました。マスター自身には何も問題がなくても、私たちとつながっているために問題が起こるのです。ですから、私たちの問題はマスターの問題になるのです。例えば、人々がマスターの助けを必要としているとき、マスターは駆けつけなければなりません。マスターは空港を通るたびに、心臓は早鐘を打ち鳴らすようにどきどきします。税関を通過するとき、大変厳しい状況に立たされることもよくあります。神のご加護により、近い将来事情はもっと良くなるでしょう。

ですから、マスターは私たちに会いに来ようとするだけで、良いことをしようとするだけで、多くの困難を克服しなければならないのです。マスターは、アメリカの永住権を申請しようとするのでさえ、自分が善良な市民であることを証明しなければならないといったような多くの条件があります。マスターは自分の収入と銀行口座の証明をしなければなりません。もし、マスターが銀行口座を開設しようとしても、照会先として他の銀行の証明がなければならないということになるのです。マスターは何もありません。というのは、マスターは銀行口座を開設するために、自分の名前を使ったことはないからです。そのうえ、マスターは今までにお金のことで困ることは一度もなかったからです。ですから、マスターは出たり入ったりしなければなりません。でも、マスターはこのようなあらゆることを全く気にしていません。

私たちはみな、悟りを開いて霊的に大変高い境地に到達したマスターは、滞在するすべての国にたくさんの祝福をもたらしてくださることを知っています。例えば、マスターが通常より長くアメリカに滞在すればアメリカの経済は良くなります。それは真実ですが、このような抽象的なことはいつも証明できるとは限りません。私たちは、悟りを開いたマスターが世界にもたらす光をあらゆる国で大切にしてくれることを願っています。私たちは、また、国家間の国境がなくなって欲しいというマスターの願いが一刻も早く実現されるよう希望します。

講演の間、マスターはみなが幸福になるようにと激励してくださいました。「私たちはどんな状況にあってもほんとうに幸運です。私たちにあるものを持っていない人たちのことを考えてください。霊的財産は、私たちが持つことができ、そしてすでに持っている最高のものです。私たちは決してそれを失うことはないのです。私たち以外のどれほど多くの人たちがそれを知らずにたくさんの困難を抱え、どこへ帰ったらいいのかも分からないでいることでしょう。その人たちが神に祈っても神は答えてくれません。なぜなら、つながっていないからです。その人たちの電話線は切れています。しかし、私たちはここへ来る前に選んだ時に定められたカルマによって、ときに苦しみを受けることがあっても祈れば、神の答えは返ってきます。私たちはこのようになることを選び、あのようになることを選んだのです。それは、私たちの気高い選択なのです。ですから、苦しんでいると考えないで、私たちの義務を果たしているのだと考えるべきです。私たちは自分たちの置かれている状況のもとで、より強い、より素晴らしい、より気高い人間になるために自分自身を訓練しているのだと考えるべきです。何であ れ祝福なのです。イエスをご覧なさい。イエスは生涯で最も悲惨な時でさえ、なお人々を祝福したのです。

イエスは、人々を呪うなどということはなかったし、そのうえ、自分自身をさえ惨めだなどとは思いませんでした。イエスは「父よ! 人々は自分たちの行っていることが理解できません。どうかお許しください」と言いました。そしてまた、「父よ。あなたは私に何と輝かしい栄光をお与え下さったのでしょう」と言いました。イエスは生涯で最も激しい苦痛の中でさえ神を覚えていたのです。

マスターの意志の力は私たちが学ばなければならないお手本です。時々、マスターの足は具合が悪くなります。するとマスターは自分の足に言い聞かせます。「どうか私はあなたをまだ必要としていますから、一緒に来てください。私たちはお墓に入れば、一緒にゆっくり休めます」マスターは足に言います。「私たちは休む時間はたくさんあります。だから、心配しないで今はただ働きましょう」すると足は元気になります。あるいは、時々、体が非常に疲れていて、ゆっくり眠りたいことがあります。しかし、マスターはすることがあるので、そこで自分の体に言うのです。「心配しないで。私たちは後でお墓に入ってゆっくり休みましょう。今は仲良くやってゆきましょう」

マスターは、また、私たちは間もなく21世紀に踏み出しつつあるとおっしゃいました。現代において、世界では多くの科学技術が発展しつつあります。ですから、私たちもその中にいるだけではなく、世界の流れと一緒に進んでゆかなければならないとおっしゃいました。

マスターは再び、私たちが座禅している時は、メモ帳を用意するようにと注意されました。眠っている間でさえ、マスターは起き上がって、しなければならないことを長い時間掛かってノートに書き込みます。もし、ノートに書いておかないとすぐに忘れてしまうからです。私たちにはすべてのことを思い出している時間はないのです。

その後、マスターは「ブレイクダンス」を踊れる10代の男の子二人に会い、教えてくれるよう頼んで、いくつかの動きを習いました。この方面は全く初めてにもかかわらず、マスターは驚くほど上手に踊りました。在世の仏陀が二人の「格好いい」男の子と「ブレイクダンス」を踊っているのを見て、私たちはほんとうにマスターって何て素晴らしいのでしょうと感嘆に耐えませんでした。すごく体力を使って欲求不満を吹き飛ばしてくれるので、このダンスはいいとおっしゃいました。これは、けんかしたり、面倒を起こしたりするよりはずっと良いことです。

運のいい何人かの同修と昼食をとった後、マスターは残りの同修が座禅をしている間に立ち去ってゆかれました。その日、マスターが印心をしてくださることになり、喜んだ母親たちは自分たちの子どもを半印心のために連れて来て、今まで方便法を習っていた人たちは印心を受けるためにやって来ました。印心の間、祝福のパワーが大変強かったため、弟子たちは優しいそよ風の中に揺れる花になったようでした。来るべき次の千年紀に向けて曙光を放つように、マスターはすべての人の心に生命の花よ開けとばかり、暖かい喜びに満ちたそよ風を世界中に送り込んだのでした。

春のそよ風は新しい生命をもたらす