マスターの話
観音法門は最高の科学である
Supreme Master Ching Haiによる中国語の講演 フォルモサ・台北 1988年10月25日

音法門は、情報伝達の手段として信じられないほどの威力があります。観音法門を用いれば、電話は必要なくなります。指を一本も動かす必要もありませんし、物を書く必要さえありません。考えが頭に浮かぶとすぐ導線が繋がるのです。浄土(高いレベルの天国)ではそうなのです。あなたの考えを他の人たちがすぐに感知します。みなさんは声に出して話したり、自分の名前を言う必要はありません。高い境界ではみなこういった状況なのです。私たちが何かを望むやいなや、他の人はそれを知ります。もし、みなさんが何かを必要とするなら、その境界にいる神が直ちにみなさんのいる場所へ光を照射してみなさんを助けるでしょう。神は、みなさんの名前を知る必要はありません。高い境界にはそもそも名前は存在しないのです。そして、人は個人として存在することはなく、すべての衆生は一体なのです。私たちは色々な姿をしていますし、霊的なレベルも異なっていますが、実際はあらゆる衆生の間に本質的な違いはありません。

それは、みなさんの住所を知る必要のないラジオ局のようなものです。みなさんがラジオを持っていて、その周波数を合わせさえすれば、ラジオ局からの信号をキャッチすることができます。テレビ局も同じです。テレビ局もみなさんの住所や、みなさんの持っているテレビの大きさや、ブランドや、それをいつ購入したのかも知る必要はありません。テレビ局は、どのメーカーがみなさんの持っているテレビを製作したか、誰がそれを買ったか、誰が、今それを持っているかについて全く気にしません。みなさんがテレビのチャンネルを合わせさえすれば、放送局と繋がるのです。印心も同じことで、みなさんの「ラジオ」のチャンネルを合わせれば、毎日「放送局」といとも簡単に交信することができます。私たちの本来の電話システムはこうなのです。みなさんがどこにいるかに関係なく、私のことを考えるときはいつでもマスターと通信できます。みなさんはそれが本当だということを知っているでしょう。(聴衆「はい」と答える)私があらゆるところへ出掛けているというわけではありません。ただ、振動の周波数が変わるだけです。

無数の化身を持つ状態を「如来=タターガタ(サンスクリット語:仏陀が表す相の名)」と言い、それは「行ったり来たりすることはない」、あるいは、「同時にあらゆる場所に存在する」ことを意味します。これは、大変科学的なことで、周波数を変えるだけのことなのです。光も、科学的には電子の高度な状態であると言えます。電子の通常状態は電気として、人間の制御のもとで利用されています。しかし、私たちが電気器具に触れれば、電灯は直ちにつきます。このような現象は比較的高度なことであって、光というものは電子の最高の状態なのです。大きな科学的進歩を遂げた今日では、多くの物は電算化されたり、電子的に制御されています。そこでは光がある形態で使われています。

以前は、ピアノは手で弾くものでした。けれども今日では、電子楽器というものがあります。それはずっと小さいけれども、たくさんの種類の音楽を演奏することができます。たとえばフルートやピアノなどです。素晴らしいですね。それは電子を利用したものです。高い境界の音楽もこれと同様ですが、もっと進んでいます。すなわち、音楽は楽器を用いずに奏でられます。最高の音楽、最高の振動力、最高の電子機器とはこういうものです。内面の光や音は、最も優れた科学者たちが長い間探し続けてきたにも関わらず、いまだ達成されてない電子工学の究極のものなのです。

ですから、霊的修行は最高の科学です。もし、みなさんが私と一緒に観音法門を修行すれば、最も進歩した科学や理論を修行することになるのです。それは福徳を授かろうと思って神や霊に盲信的にすがったり、服従したりすることではありません。神秘的でも、曖昧模糊としたものでもありません。変に宙に飛び上がったり、何を言っているのかもわからず無意味なことをしゃべったりする必要はありません。それは何かに取りつかれているのです。魔とは何でしょう。それは無知なパワーのことです。仏陀とは何でしょう。それは科学的な知恵を持つ人のことです。それだけです。私たちは霊的な修行をすればするほど、科学をより一層理解することができるようになります。もし、私たちが霊的な修行をしないで科学の研究だけを続けたとしても、その知識は限られたものでしょう。霊的な修行は私たちを科学を越えて、科学者の先頭に立たせてくれるでしょう。科学者は月へ行きましたが、私たちは月より遠くへ行くことができます。彼らは発見を望み、多くの環境、多くの惑星へ行きたいと考えていますが、その方法はなく、現在行くことのできる最も遠いところは月にすぎません。そして小石をいく つか持ち帰り、みながこれらの小石を研究するために集まります(笑い)。小石を切り刻んで研究するのです。「そうだ! これは本当に小石だ!」(笑い)それから、他の人もそれを見に来ます。彼らも小石を見るだけです。最も天賦の才のある科学者にとってもただの石に過ぎないのです。何の意味もありません。科学者は莫大なお金と膨大な労力を費やしてきました。もし、その労力とお金と情熱を霊的修行に捧げていたなら、そうです(マスターは指をパチッと鳴らす)、もっとたくさんの科学的知識を得ていたでしょうし、あっという間に聖人になったでしょう。

観音法門は最高の科学である