Q:私は自分自身と仕事の間で板挟みになっています。私は弁護士で、大きな株式会社や有限会社の代理人になっています。私たちによって訴えられた人々は、しばしば肉体的な障害を受けたり, 中には死んだ人までいます。そして、私の仕事はこうして会社が一銭も払わずに済むようにすることなのです。
私の陥っているジレンマというのは、仕事上での成功を振り返ったとき、しばしば、それが私自身にとって大きな悩みになるということです。と言うのは、何らかの補償を受けるに値するにも関わらず、私の取った行動によってそれが受けられなくなる人たちが出てくるからです。私はこのことで本当に困っています。私に何らかの励ましのお言葉を与えてくださればありがたいのですが。
M:わかりました。こういった問題を抱えているのは、あなただけではありません。そうですね。あなたは会社からお金を貰っている以上、会社が望んでいるとおりにやらなければならないか、もう一つは、その仕事をやめて自分の事務所を持つかのどちらかです。弁護士は、良くないと知りつつも、それをしなければならないことはしょっちゅうです。そして、あまり頻繁になると、やがてそれが良くないことだという感覚を失ってしまい、習慣になってしまうのです。ですから、自分の思ったとおりにするか、世の中の流れどおりにするかはあなた次第です。あなたは自分の良心か、報酬や名声かのどちらかを選ぶのです。「悪魔の弁護人」という映画を見ましたか。
Q:はい、最近見ました。
M:良いことです。それでは、「レインメーカー」は見ましたか。
Q:そちらは見ていません。
M:これも同じです。見てきてください。そうすれば、自分で答えが出せるでしょう。ほかに仕事はたくさんあります。法律学校で教えたっていいでしょう。他の弁護士を育てることになってしまう訳ですが(笑い)。多くの人たちがあなたと同じような気持ちを抱いています。というのは、新しく弁護士として出発した当初は理想に燃えて、正義の為、弱い立場にいる人や、貧しい人たちを守るために戦おうと思っていても、社会情勢はそれとは反対のことを弁護士にさせてしまうからです。家に帰ってからあまりいい気持ちがしないことがよくあります。自分たちが得た報酬があまり清潔でないと感じているのです。私は、弁護士にとって、他に選択の余地があるかどうかはわかりません。あなたは自分の会社を設立できないかしら。でも、競争が激しいですよね。
この世界で成功し、同時に私たちの常識を維持することは大変難しいことです。自分の人生を選ぶのはあなたです。私は、あなたに指図はできません。あなたが弁護したことによって会社から報酬を受けたということは、良い仕事をしたということです。報酬を受けたのはそのためなのです。そして、あなたは会社にとって忠実であり、誠実なのです。誰もそのためにあなたを責めることはできません。
一方で、気の毒な従業員たちは何も貰えなかったのだ、と良心はあなたに訴えるでしょう。その従業員が死んでしまったり、事故に遭ったりしてその人の人生は終わり、遺族の将来はお先真っ暗となれば、あなたの良心も休まらないでしょう。それが問題です。あなたは悪くないし、人間としても問題ありませんが、そういうことは関係ありません。仕事に関する限り、よくやったのです。そのために報酬を受けているのですから、そうしなければならないのです。立派です。でも、弁護士として成功するか、良心的な人間になるかは今あなたの選択にかかっています。
最高の邸宅
外で豆腐を売ったり(笑い)、ピザを配達したりというように、仕事はほかにもあります。私たちにとって問題なのは、一旦成功への階段を昇り始めると、そこで止まったり下へ降りるのは非常に難しいということです。でも、一度自分の気持ちを捨ててみて、清らかな良心と心の平和は、この世のあらゆる黄金にもまして価値があるということがわかれば、決断できます。
私たちは何もビバリー・ヒルズに住む必要はありません。キャピタル・ヒル(米国ワシントン市の国会議事堂がある丘)に住む必要はないのです。私たちには移動住宅車があります。そうすれば大変安上がりです。中古車なら15,000ドルか、20,000ドル、時によって5,000 ないし、10,000ドルで買うこともできます。そんなにきれいにする必要はありませんし、お手伝いさんを月に1度や週に1度雇うこともありません。私はそうしています。私は今移動住宅車に住んでいるのです。みなさん、笑いたければ笑ってください。私はもっと余裕がありますが、今の時点では必要ありません。もし、私がもっと大きな家を所有したら、掃除や芝刈りや、その他のあらゆることでもっと多くの人の手を借りなければなりません。無駄な経費がかさみます。もし、余裕があって大きな家に住んだり、有名ブランドの車やいろいろなものを持つのであれば、それは特権であり、ありがたいことですが、もしその余裕がないなら、中古車もいいでしょうし、移動住宅車だって素晴らしいことです。
負債がなく、人から責められたりせず、良くないことをして自分自身を責めたりしなければ、とても幸せでしょう。それこそ、今までの中ではあなたにとって最高の「邸宅」なのです。それはすなわち、心の平和と清らかな良心です。それで多くの明師は人々に、天国を得るためには世の中のことを捨てなさい、と言ってきたのです。「命に固執するものは命を失う。命を捨てれば永遠の命を得る」[マタイ伝16章25節]これがその意味です。
私たちは物質的な快楽にあまりにも縛られすぎています。そして、何をしなければならない、何をしてはいけないと言って、このような束縛から自分自身を開放することを忘れています。私たちはこのようなことはすべて必要というわけではありません。私たちはパーティーに出席するためにビバリー・ヒルズへ出掛けてゆく必要はないし、これらすべてを捨てることができます。まるでずっと登りつめてゆかなければならなくなるような、競争心を駆り立てるばかりの、優雅で金持ちの友人すべてから離れることができます。しばらくすれば、あなたはパーティーや、大物の友人や、名声などといったこれらすべてのものに疲れてしまうでしょう。たとえ小さくてもいいのです。家に帰って自分の小さな部屋でくつろぐだけでいいのです。ただ座禅をするだけで、内面はとても気持ちよくなります。見せびらかすためのどんなものも必要ないのです。そうなれば、どんな仕事だってよいでしょう。私たちは、仕事に頼ることはありません。私たちは生活するために、名声や特権に頼ることはないのです。私たちは神に頼るのです。私たちは内面の静けさと、清らかな良心に頼るのです。それが、なぜイエスが「
魂の清らかな人は幸いです。なぜなら、その人は神を知るからです。」とおっしゃったかの理由です。[マタイ伝5章8節]みなさんは、神の王国に入るには子どものようにならなければならない、ということです。
もし、私たちがずっと隣の家のようになりたいと固執している限り、子どものようになることはできません。大物が来るからと、あちこちのパーティーに出て、しかもそのために自分も大人物になるか、さもなくば自分を否定しなければならず、パーティーには行けません。恥に思うからです。私たちは、恥ずべき必要はないのです。神の意志に背くようなことをしたときだけ、恥を感じるべきです。もし、私たちが道徳を完全に身に付けていなかったり、誠意に満ちた気高さを身に付けていなかったりしたときこそ、恥を感じるべきなのです。
たとえ物質的に恵まれていなくても、粗末な家に住み、中古車しか持っていなくても、恥に思うべきではありません。それがたくさんの人々を、自分の良心や意志に反してまで、地位や仕事に固執させる原因なのです。彼らは内面で大変苦しみますが、世界中の黄金を集めてもその埋め合わせをすることはできません。それで、彼らは病気になり、その後あらゆる病気は癌などの重い病に成長してしまうのです。そんなことはばかばかしいことです。だからこそ、私は人々に何が人間を束縛し、どうやってそれから開放されるかを説いているのです。お金は毒です。お金は多くの人々を毒し、多くの善良な人物をも、名声や、幻のような特権などによってだめにしてしまうのです。
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