ヨーロッパ弘法メモ
思いやりに満ちたマスター
スイス・劉鳳麗同修

の度、マスターの優雅な姿を拝見できるという幸運に恵まれただけでなく、マスターとお近づきになる機会までが与えられたことは、本当に私たちの喜びとするところです。マスターの無限の愛について私の気持ちを限られた地上の言葉で表現することはとてもできません。

以前より、マスターの仕事は大変だということは聞いていましたが、今回この目で、マスターという方が、どんなに大きな自己犠牲の上にいらっしゃるかということを、はっきり確認できました。旅行の間中、夜を日に継いで働いていらっしゃいました。無上の智慧を使って、大小数えきれないほどたくさんの仕事をこなすのです。普通の人では気がつかないことまで行き届き、他の人ができないことをやり遂げるのです。マスターを通して私たちは全知全能と遍在ということの意味を理解することができました。マスターの愛は、私たちの体の細胞の一つ一つまで浸透しました。マスターには私たちの心がわかります。マスターが私たちに投げかける一瞥、一言が、いつもまさに私たちが必要としているものであり、実際、私たちの心の中にあるどんなわだかまりも難題も、すべて解決できる鍵を与えてくださったのです。

毎日マスターは、あれだけ多くの物事を処理しなければならないにもかかわらず、私たちそれぞれに対し事細かく、しかも丁寧に世話をしてくれました。朝食の時、食事を配送してくれた運転手にも一緒に食事をするように勧めたり、みなで記念撮影をする際にも、カメラマンの同修が写真に入れる様に気遣うことも忘れませんでした。また、自ら高速道路を何時間も運転し、次の国のビザ申請のため領事館へ急ぐ途中でも、真っ先に頭に浮かぶことは、同修のための休憩と食事の場所を確保することでした。もちろん、マスターは、すでに冷たくなってしまった食事を全く口にしていないのにです。このような事例は、枚挙にいとまがありません。まるで母のように、実に至る所で私たちの面倒を見てくださいました。

思い起こせば、観音法門の印心を受けてから、マスターにどれだけの心配をかけさせたかわかりません。毎回転ぶたびにその寛大な愛の中で私を許してくださり、立ち直らせてくれました。それに引き替え自分はといえば、小さな困難でもすぐに信念を失い、やがて不平を言い始め、しばしば小さなエゴに包まれては、自分とマスターや宇宙との繋がりを断ち切ろうとしたのでした。

マスターはその小柄でか弱い体とは対照的に世界に挑戦したのです。自己犠牲によってマスターは人類に慰めと希望をもたらしてくれました。このことから私は学びました。どんなときであろうと、どんなことが起きようと、常に前向きで肯定的態度で立ち向かい、どんな人にもどんなことにも愛をもって対処し、いつでも、私たちは神の代表であることを忘れなければ、必ず成功し正しい道を歩むことができるのです。そうすれば、やがてマスターや宇宙と一体になります。そして、静寂と充足感と絶対的な幸福を見いだすでしょう! 祝福を受けた私たちが行く先々で、周囲の人びとにもこの至福が伝わり、私たちと共にそれを分かち合うことでしょう。

思いやりに満ちたマスター 同修の献身的な奉仕