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教会、イスラム教寺院、
お寺、ピラミッドの本当の意味
教会、キリスト教以外の教会、イスラム教の寺院であるモスク、あるいはお寺は、すべて私たちの内在の天国を象徴しています。これらは私たち自身の内在の殿堂を思い出すために建てるものです。イエスも次のように言っています。「あなたがたは神の宮であり、神の御霊が自分の内に宿っている事を知りなさい」。
私は教会やお寺は非常に神聖な所であり、私たちの神への献身を表す神聖な象徴でもあると思うのです。教会やモスクに限らず、あらゆる宗教の寺院の前を通るたびに、私たちは改めてこのような礼拝を表す象徴に対して抱く、自分自身の敬虔な気持ちを思い起こすべきです。もし、こういったお寺や教会やモスクに行った人々が自分の内在の神を本当に見つけたなら、つまり、ただ単にお寺という建物の中でだけではなく、真の神の殿堂である、自分の中にある寺院の中でも探しあてたとすれば、それは、より素晴らしい事です。
そもそも仏堂というのは印心を受けた人々がグループメディテーションをするために来る場所で、ちょうど私たちのセンターにあたります。人々は印心を受けてから、毎週、あるいは隔週ごとに集まってメディテーションをしたり、マスターの教理を聞いたり、もし質問があればマスターが誰かを派遣して質問に答えるように手配し、また、互いに修行を励まし合います。グループメディテーションの時はパワーが非常に大きく、進歩も早いのです。仏堂とは本来そういう意味なのです。
ピラミッドはお墓として建てたのではありません。後世の人々はやっとその事に気づいたのです。私は古代の人は修行のためにピラミッドを建設したのだと思います。先ほども言ったように、昔は「智慧の説明書」がなかなか手に入らなかったのです。これはピラミッドを建てた理由の一つです。人々はなぜピラミッドを建てたのでしょうか?
昔は修行する事がとても困難でした。人に見つかるのを恐れていたのです。砂漠でグループメディテーションをするにはどこに座ったらよいのでしょうか?(笑い)
護法がそばについていても、誰にでも一目で見通されてしまいます。
・・・砂漠には何もなく、座っていると昼は日焼けし、夜は凍ったように寒くなって、昼と夜の気温差は極端です。それでピラミッドを建設したのです。中はとても静かで、後世の人々は入り口の扉をなかなか発見できませんでした。
・・・入り口は仲間しか知らず、中はとても広々として何もなく、もちろん物は置きません。彼らは中でメディテーションをしたり、印心をしたり教理を学んだりして、外の人々には見せませんでした。
・・・本当の修行の場所は、ただ単にメディテーションのためだけで、中には何も物を置きません。多くても仏像を一つか、仏の写真を一枚ぐらいです。以前は仏像でしたが、今は写真の方がより早いかもしれませんね。あるいは絵を飾って周りには何も置かず、人が座るためだけの場所にしていました。私たちのところと似ています。
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