最前線
九滴の愛
ベルギー・ブリュッセル ジャッキー・チャントレイン(英語
)
由緒あるエストニアの首都、
タリン市を中世の城壁が囲む
エストニアはバルチック海沿岸の人口わずか150万程の小さな共和国で、1991年に独立しました。エストニアの言語はフィンランド語やハンガリー語に似ており、ロシアのウラル山脈地方の人々が話す言語に源があります。そして、エストニアの正式な名称は「Eeti」と言います。
ヘルシンキでフィンランド人学生に講義をしなければならない事をその2〜3週間前に知った時、私は、マスターのサンプル本を持ってエストニアに行き、配布する日を一日作ろうと思いました。マスターはまだこの国にいらした事がないのを知っていたからです。とは言っても、私は大量の講義資料をかかえて行かなければならなかったので、それほどたくさんのサンプル本は持って行かれません。ところで、私は何語のサンプル本を持って行くか決めなければなりませんでした。エストニア語のサンプル本はまだありませんし、ロシア語版は私には入手不可能でした。エストニアに関するネット情報を見て、この国の現役で社会生活を送る人々の内の26%が大学教育を受けており、英語は若い年代で広く理解されている事がわかりました。そこで私は、英文のサンプル本を持って行く事にしました。
ヘルシンキとタリン(エストニアの首都)の間はわずか80qで、フィンランド湾によって隔てられています。天候がよければ快速船でたった1時間40分程で渡る事ができますが、海が氷結してしまうと、大きな船で氷を割りながら進まねばならず、3〜4時間以上もかかってしまいます。幸いにも11月の終わり頃だというのに、その日の天気は上々でした。
タリンに着いた時は寒くて、路上の水は凍っていました。古いタリン(ヴァナリン)の街は、まるで宝石のように見えました。街はいまだに中世の時代そのままのような静かなたたずまいで、中世の城壁がそのまま周囲にめぐらされていました。私は持って来た9冊のサンプル本(私はそれを"九滴の愛の雫"と呼んでいました)をどこで配布しようかと考えました。エストニアでは、これまでマスターチンハイや観音法門について耳にした事のある人はいません。そして私は興味を持って読んでくれるかどうかもわからない人たちに、むやみに手渡す事はしたくないと思っていました。
そこで、私は「因縁の風」にまかせて、この中世の街をあちこち歩き廻りました。そうすると、私の内在の声が私に、何度か「ここではない、ここは良い場所ではない」とか「もう少し待て」とか告げたのです。
この歴史的な街を歩いていて、私は小さな二軒の本屋に気づきました。そして最初の店に入りました。そこに暮らすエストニア人には無料の本を受け取るという習慣がなかったので、マネージャーを呼びました。ちょっと話し合った結果、彼はサンプル本を受け取って顧客に渡してくれると言いました。
それから私はVoorimehe Streetに面した二番目のお店に入って行き、残りのサンプル本を受け入れてくれるようにマネージャーに頼みました。彼も前のマネージャーと同じように驚きましたが、結局マスターの小冊子を宗教の本が並べられている片隅に置いてくれると言いました。
わずか九滴の愛の雫がエストニアに落とされたのです。しかし私は、数は問題ではないと信じています。愛の海は何百万もの雫から成っています。そして、その一つひとつが大事なのです。物事は始まりに意味があります。
それは農業に似ています。九粒の種は因縁の風が良い方向に吹けば、何千本もの花咲く樹々になるのです。どういう人がこれらのサンプル本を読んでくれるのでしょう? 誰がその中の一冊を読んで、もしかして人生を変える事になるでしょう? ひょっとするとこの読者の中の一人が、将来最初のエストニアの連絡係になるかもしれません。
船が待つ港に戻る途中、私の心には「九滴の愛の雫…九滴の愛の雫…」という言葉がこだましていました。