マスターの言葉
 

信心は、あらゆる奇跡の母である

スプリームマスター・チンハイ 韓国永同センター 2000.5.13(英語)

 みなさんはマスターの教えを心から信じる事で、私にしばしば深い感動を与えてくれます。ただし、私の肉体ではなく、マスターの教えを信じてくれた時です。こうする事が、かすり傷一つ受けずにこの世を生き抜くための手段となります。みなさんは、いつも自分自身の信仰心によって守られているのです。ちょうどイエスが言った「汝の信仰、汝を救えり(瀕死の娘がイエスに触れて生き返った時に、イエスが娘に言った言葉。マタイ9:22)」と似ていますね。
 信じる気持ちは多くの事を克服させてくれます。しかし、それは恩恵でもあるのです。信仰心は、望めば持てるというものではありません。信心を持ちたいと祈っても、長い間毒されているために持てない人々もいるのです。ですから、このような人には同情してあげてください。彼らのせいではありません。彼らはあらゆる種類の否定的な影響や思想によって洗脳されてきたので、それを払拭するのは容易な事ではないのです。みなさんは何と幸運な人たちなのでしょう。みなさんを見ていると私はとてもうれしくなります。みなさんは本当に大丈夫だからです。私がうれしいのは、みなさんが私を信じてくれるからではありません。なぜなら、「私」という人格はどこにも存在しないからです。また、私がうぬぼれているからでもありません。みなさんは何の心配もなく、保護されているし、とても幸せで、みなさんについては安心していられるので私は幸せなのです。それで、私は他の「病んでいる」神の子供たちの心配をする時間の余裕が持てます。また、何の心配もないので、私が他の大勢の新しい人たちや、もっとひ弱な人たちの面倒を見るのを、みなさんも手伝えるという事なのです。
 そういうわけで私は幸せなのです。みなさんが私を信じてくれるからではありません。私にとっては、みなさんが私を信じようと信じまいと関係ないのですが、みなさんにとっては、私を信じるのは良い事です。というのは、信仰心はあらゆる奇跡を生み出す母体となるからです。もしみなさんのマスターが良くなかったとしても、みなさんの信仰心がゆるぎないものであるなら、それはみなさんにとっては、すばらしい事です。本当です。それは、みなさんがそれだけ純粋だからです。純粋でなければ、よく知らず、しかも何の関わりもない人を信じる事などとうていできないものです。つまりみなさんがすばらしいという証拠なのです。私が良いか悪いかは関係ありません。私は自分自身が良いかどうかは、まだわかりません。(マスター笑う。聴衆「いいえ、あなたはすばらしいです」)
 つまり、私が良くてもそうでなくても、私を信じてくださるなら、100%みなさんはすばらしいという事なのです。この事をぜひ理解してください。私が良いかどうかを判断するのは難しいかもしれませんが、私を信じてくださるという事で、もうすでにすばらしいのです。それは間違いなく、みなさんにとって有益な事です。
 前にお話しした、泥棒が登場する物語を覚えていますか。長い間、修行の教えも渇望心もないまま暮らしてきた夫婦の話です。彼らは年を取ってしまったので、マスターを探しに出かけた方が良いと決心したのですが、誰を探したらよいかわかりませんでした。彼らは森へ行ってみました。彼らはそこに座って神に祈り、そして神と約束しました。「最初に来た人が誰であっても、その人を私たちのマスターとします」と。なんと、やって来たのは泥棒でした。(笑い) 泥棒は、夫婦をそこにとどまらせました。夫婦がそこにじっとしていると、やがて神が現れました。彼らの信心によって神は現れたのです。なぜなら、神は人々の心の中にいるからです。私がみなさんのために神を造ったのではありません。
 ですからみなさんが私を信じるのは、みなさんがそれだけ純粋だからであって、私の良し悪しには関係ありません。みなさんが純粋だからこそ私を信じるのです。このように信じる気持ちは、みなさんをあらゆるものから守ってくれるでしょう。この世でもあの世でも、みなさんに恩恵をもたらします。それで私は幸せなのです。みなさんが私を信じるからではありません。私は、こんなにも純粋な人たちと友達でいられる事がうれしいのです。私の人生において、「恩恵」であるみなさんがいてくださるのは、とても光栄な事です。私が幸せなのはそのためです。