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団結が分裂に打ち勝つ
【ケープタウン】マスターの1999年の中東&南アフリカ講演ツアーで、ケープタウン市は南アフリカでの最終講演地でした。マスターはここで公開スピーチと国際禅を行い、さらに12月1日から8日まで行われた世界宗教者会議にも参加しました。マスターは、各宗教団体および精神修行のリーダーと共に開会式に出席し、翌日はグッドホープセンターで講演を行いました。(詳しくはニュースマガジン108号をご覧ください)
世界宗教者会議の開会式は、ケープタウン市の歴史的意義をもつ第六区で行われました。1960年代の中頃、第六区は、当時の政府が人種隔離政策を実施したために世界中の注目の的となりました。1960年から1980年にかけて、約六万六千人の地元住民は強制的に故郷から移転させられ、家や商店も破壊されてしまいました。人種隔離政策を実施した当時の政府は、第六区の遺跡をすべて破壊する事を謀り、同時に「ゾネブロエム」と改名しました。地元住民は親族や友人と離れて、「ケープフラッツ」というほこりっぽい地区に移転しました。かつて幸福に満ちていた第六区は、今や数軒のキリスト教会とイスラム教寺院のみが残されているだけです。
2000年11月26日(日)、この日は歴史的な日でした。南アフリカの国土事務相が第六区の土地を元の住民に返還する文書にサインしたのです。そして大統領のムベキ氏が、自らこの公式文書を「第六区の受益者と開発管理委員会」の会長に手渡しました。元の住民の半数は第六区に戻って故郷の再建を決意し、その他の住民は補償金を受ける事を選択しました。
それは喜びに満ちた日曜日でした。元の住民の中には車椅子で来た人もいれば、杖をついて来た人もいました。彼らは子供や孫を連れて丘にあるモラビアン教会(マスターが世界宗教者会議でのスピーチ後に、求道者たちに印心を授けた場所)にやって来ました。古い友人に再会できて、みなとても喜びました。第六区を離れて以来35年ぶりに会う人々もおり、彼らは昔の事を思い出した時、喜びのあまり涙を禁じえませんでした。(戻って来た住民のうち、最年長者はすでに百歳にもなっていました!)
1999年12月1日、世界宗教者会議の開会式において、マスターは祈りという形でスピーチを行いました。彼女はケープタウン市と市民全体に特別な祈りをささげ、さらに、みんなが愛の心、思いやりや平和によって神の最高の意思を受け入れられるようにと願いました。
この重要な式典以来ほぼ一年が経過し、第六区の元住民たちは、ついに正式に戻る事を認められました。二十年あまりにもわたる絶え間ない努力を経て、このできごとは、ついに円満に終わりを告げたのです。マスター、南アフリカを訪れ、特にケープタウン市を加護してくださり、本当にありがとうございました。
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