ホットトピック

食物は愛情をこめて栽培し調理しよう
遺伝子組換え食品にとって代わる優れた方法

韓国永同道場国際禅六におけるマスターと弟子の対談からの抜粋(英文)2000.5.10

マスター(以下M):もしみなさんが慈しんで植物を育てるなら、植物はどんどん成長します。本当にみなさんは植物に愛情を注ぐべきです。スコットランドに住む農民に関する実話があります。彼は自分の植えたじゃがいもを大変かわいがったので、とても大きくなったそうです。新聞に載っていた話です。それは、つまらないごまかしや安易なもうけ話に比べれば、ずっと優れた、驚くべきニュースです。もし本当に真心を込めて栽培するなら、もし本当に愛情を注ぐなら、みなさんの育てている植物はとても大きく成長してくれるでしょう。苗栗にいた時、私は長住者(道場に住んでいる人)それぞれに、一区画ずつ土地を決めていろいろな植物を育ててもらう事にしました。しかし、関心がなくて、種をそのままにして芽が出るにまかせておいた人や、マスターが何かを植えなさいと言ったから仕方なくやった人、簡単に手っ取り早く植えつけて、植えたものの世話をする必要を何も感じなかった人たちの畑には、あらゆる害虫がやって来てすっかり食い荒らしてしまいました。後になって彼らは言いわけをしました。「ええとー、私たちは慈悲深くなければならないので、私たちの食べ物を害虫にやったのです」。しかも、その野菜は大きくならず、柔らかかったので、害虫にとっては格好な餌となり、好んで食べられてしまったのです。一方、愛情をもって育てた人たちの植物はどんどん成長し、いっぱい実をつけました。これもまた本当の話です。
 それでは私の体験をお話ししましょう。私がアメリカにいた時、ニューヨークでしたが、一銭もお金を持たずに寺院で暮らしていました。私がそこへ初めて行った当時、ちょうどこのくらいの大きさの植木(マスターは手で植木の大きさを示す)がありました。もう五年もそこに植えられているのだという事でしたが、私にはとても信じられませんでした。五年間でそんな大きさにしかならないで、しかもこちら側は黄色になって、向こう側は茶色っぽくなってとても小さいのです。幹もこの花の茎のように(マスター花を指し示す)大変細いのです。ですから私は言いました。「まぁ、五年間ですって! 大きくならないなんて、よほどおかしな植物なのかしら」。そこで私はすぐ水をやりました。私は時々お茶を飲みましたので、それを半分与えたり、残ったものは何でも与えました。するとその植物は大きくなり始め、どんどん成長しました。おやまぁ、その植木はなんと大きくなってしまったのでしょう。私が隣りの部屋で寝なければならない程、幹が大きくなってしまいました。ほとんど部屋を占領する程に成長していたのです。そのポットくらいの大きさの(マスター、ポットを指す)小さな鉢に植えられていて、半分は黄色、もう半分は茶色になっていたのですよ。あまりにも大きくなってしまったため、私は一部を切り取って、外で見つけてきた別の鉢や、目についたプラスチックのコップやビンなど何にでも移しては、また切り取りました。すると今度は移し替えたものが、またどんどん大きくなってしまいました! 部屋を二つとも占領されて、私はさらに別の部屋で寝なければならなくなりました。そしてその後も、なおもそれを切らねばならないのですが、もう移し替える鉢がなくなってしまいました。そこで、私はすでに成長していた植物を外に出して、寺院の前に置きました。通りかかった人が誰でも家に持ち帰れるようにしたのです。私はと言えば、もう寝る部屋がなかったので座ったまま眠らなければなりませんでした。実際私は座ったまま眠っていました。というのはその当時、私は一晩中メディテーションをしていたからです。今の私よりずっと神聖だったのです。本当ですよ! (マスター笑う) ですから実は私たちは一緒に成長していたのです。私がメディテーションをしていたので植木はお茶と水だけで成長できたという事です。寺院の院長は私に尋ねました。「あなたはどういう肥料を買ったのですか?」。私は言いました。「何をおっしゃいますか。どういう種類の肥料かですって。私はお金など一銭も持ってはおりません。院長は私にお金をくださらなかったでしょう。ここにいて、私がどうやって何かを買えるのですか?」。私は当時、小遣いを全く持っておりませんでした。寺院で無料奉仕をしていて、そんな事は気にもかけていませんでした。こうして院長は事情を知り、後に自分の弟子にその事を話したので、弟子たちが私の所にやって来ました。そうでなければどうして知る事ができるでしょうか? というのは、院長が私に植木の事を尋ねた時、彼らはニューヨークにはいなかったのですから。彼らは言いました。「院長があなたの事を話してくれたのですが、あなたはよほど大きな愛情を注がれたのでしょうね。植木が全部考えられない程の早さで成長して、とてつもない程大きくなったそうですね」。みなさんも愛の心を持てば、生物は成長するのです。
 ですからたぶん、それは遺伝子組換えにとって替わるべき、より優れた方法と言えるでしょう。だからといって、私たちは遺伝子組換えをした人々を批判する事はできません。彼らはいろいろ試みようとしたのです。世界的な食料不足の問題を解決できるかもしれない、あるいはもっと利益をあげる事ができるかもしれないという目的に燃えていたのでしょう。おそらく、当初意図していた事は好ましいものであったのが、後に商業ベースに乗せる段階になってくると操作が加わり、独占され、何か他のものに変えられてしまったのでしょう。そこからさらに一歩進んで、ただ単に実験のため、あるいはより利潤を得るために動物の遺伝子が注入されるようになったのです。その過程で愛が失われていったのでしょう。まさにそこが、人々が遺伝子組換えに反対する理由なのです。なぜなら人々が遺伝子組換え食品を口にする時、良い感じを持てないからです。愛を感じないし、満足感も得られないからです。
 私が口にする食物の多くは、私にとって良い感じを与えません。出された料理を一ついただいただけで、さらに二つめ、三つめを食べる気にはなりません。この頃私が食べる食物の大半は、ほとんど何の味もありません。私はどうしてだろうとずっと考えてきました。時たま、ごくまれに、大変おいしい食事をいただく事があります。そういう時私は言います。「これこそ食物本来の味です」。実際、見た目には同じです。しかしほとんどの食物は私にとって、とても食べられるものではありません。大変おいしそうに見えます。あらゆるものを使って調理されています。けれども最近、ここ数年は、心から食事を楽しんだという事がありません。ほんの時たま、ごくまれです。なぜか理由はわかりません。おなかが空いていないからではありません。私は一日中何も食べない事が時々あります。そしてその後最初に食べる食事が、まるでカスのように何の味もしないのです。つまらない味で、全く食欲がわきません。
 私はあれこれちょっとつまむだけです。たくさん食べたように見えたとしても、ほとんど何も食べていないも同然です。たとえたくさん食べたとしても満足感は得られません。ただ満腹になって、おなかがふくれていやな気分になるだけです。

弟子A:科学的な話、あるいはその類の話というわけではありませんが、私はレストランで働いている人を知っておりまして、彼らは最近なぜだかわからないけれど、この数年、みんなアスピリンを欲しがるそうです。同僚の誰もが一日中頭痛がしていると言うそうです。そういう事があるのでしょうか。

M:それは愛の欠如した食物の影響が、時によっては物質面に表れてこない事によるものです。つまり明らかに目に見えるわけではないという事です。人は頭痛がする、目まいがする、吐き気がすると思っても、それは別の理由によるものかもしれないと考えるでしょう。人々は大気汚染のせいだとか、それともこう言うかもしれません。「私は働きすぎだ。それに睡眠不足だ」。あるいは自分たちがしているいろいろな事のせいだと思うでしょう。それは、頭痛は日頃よく起きるものなのに、その原因を考えないからです。

弟子B:有機栽培の食品に替えた修行仲間はとても良くなったと言っています。

M:そうでしょうね。

弟子B:彼らはメディテーションもよくできるようになりました。私も、汚染されていない食品を食べた時との違いがわかります。つまりもっと楽にメディテーションができるからです。

M:そうです。

弟子B:時々、私は自分にとってあまり好ましくない食品を口にすると、いらいらする事があります。

M:それは本当です。私も全くあなたと同じです。飛行機に乗っている間は、ほとんど何も食べる事ができません。時々食べようとするのですが、食べられません。つまり食べる気にならないのです。全く見せかけだけなのです。一見、食べ物のようでも違うのです。ですから私は、飛行中は眠るかあるいはメディテーションをするだけで、何も食べません。みなさんがレストランに行った場合、料理は大変おいしそうで、すべてにとても良い印象を持ったとします。給仕も丁寧で、設備も一流であっても、何かを食べたという感じがしません。たとえたくさん食べたとしても、たくさん食べたような気がしないし、それを噛むに値するとは思えないでしょう。(マスター笑う) 私たちの台所においても同じ事が言えます。もし台所で働く人たちが自分の仕事を愛し、献身的に愛を込めて仕事をするなら、料理はすばらしいものになります。ですから時によっては同じ人が料理をしても、違った気分で働けば、私もやはり違ったものに感じてしまいます。たとえ空腹であっても食べられないのです。その一方、ごくたまに私は全く空腹でもないのに、料理を大変おいしく感じる事があります。するとますます食欲がわいてきてどんどん食べます。しかし近頃、私がすばらしい食事ができるのはまれです。どんなにおいしそうに見えるかに関係なく、またどんなに上手に調理されたかという事に関係なく、本当に食事を楽しんだと言える事はめったにありません。たぶん月に一回位でしょう。それも運が良ければの話です。私の空腹度とは何の関わりもありません。時々、とてもおなかが空いている場合も、おいしいとは思いません。

弟子B:うんと新鮮な材料を手に入れる事も大切だと思います。例えば、粉は挽いてすぐの時は大変滋養に富んでいて、数時間放置しておいても大丈夫だという事を知りました。

M:そうです。その通りです。インドにいた時こういう事がありました。そこで私はチャパティ(インドの平たいパン)を食べたのですが、ここにいる時よりずっとおいしく感じられました。というのも、そこでは粉は石臼で挽いていたからです。インドでは毎日、あるいは2日に一度は粉を挽きます。つまり一度にたくさん挽く事はしないのです。インドでは家庭で粉を挽きます。1日か2日、あるいは一回か二回の食事に使う分だけ少しずつ挽くのです。そしてそれがとってもおいしいのです。
 また、イタリアでの話ですが、そこで食べたスパゲッティの味は、ここのどのピザレストランで食べた味とも違っていました。ここではめったにおいしいスパゲッティにお目にかかれません。味が違うのです。
 シンガポールでは気に入ったレストランがありました。時々私はそこにピザを食べに出かけ、時には2つも3つもたいらげました。薄いタイプで「マルガリータ」というものです。とても薄くて小さいのですが、本当においしいのです。見た目には他のレストランとほとんど変わりがないのに、どうしてよそではこれほどおいしくないのか理由がわかりませんでした。そこでお店の人に尋ねました。「お宅ではピザを作るのにどうなさっているのですか? どうやって作っていらっしゃるのですか?」。すると料理人は答えました。「あいにく今日はこのピザはありません」「それはまたどうしてですか?」と言うと、彼は「粉がまだ到着してないんですよ」と言いました。彼らは粉をイタリアから輸入していたのです。そのおいしい粉をです。産地が良いので常に一定の品質を保て、他のものとは全く違うのでしょう。たぶんその地方では有機栽培によって粉を生産しているか、またはその地方のものが特別品質が良いので、それを船に積んで輸送しているのでしょう。そしてその粉がない場合は、マルガリータというピザを作らないのです。こうして私はそのピザの違いを知る事ができたわけです。
 私がドイツにいて結婚していた時、夫と一緒にトマトを栽培していました。そのトマトはまさに地面を這うように実がついていました。あまりたくさん実がつきすぎたので地面を這うより他なかったのです。それ以上立っていられなかったのです。私たちは苗木に支柱をたくさんつけたのですが、トマトはそれでもなお地面を這っていました。それ程たくさん実がついて、しかもそのおいしかったこと!
 それから私がまだ子供の頃、遊びでやはり野菜を作っていました。私はトマトを作っていて、それがまたとてもおいしいのです。あんなにおいしいトマトにはもうお目にかかれないでしょうね。今、私のトマトより大きいトマトが作られていますが、味はかなわないでしょうし、香りもありません。まるで水のような味しかしないトマトもあります。きっとトマトの中には人にとても好まれる何かが潜んでいて、おそらくそれは有機栽培にする事とそれに注ぐ愛情によるのでしょう。ですから、みなさんは自分の食べるものに気をつけなければなりません。私たちの体験でわかる通り、食べ物は私たちのメディテーションにも影響を与えるからです。