修行随想禄


香港 鄒 金蓮

 マスターは言いました。「メディテーションそのものが一種のごほうびでもあるのです。なぜなら私たちが座る事ができたり、心から智慧を望める場合、その事がすでに一つのほうびだからです。いわゆる体験があっても、なくてもです」
 本来、メディテーションはそれ自体が一つのごほうびなのです。ですから修行仲間がメディテーションをしても決して疲れないのも、不思議な事ではありません。
 世間の非常に多くの人々がマーヤの幻覚の世界に心を奪われたり、つかの間の喜怒哀楽に心を動かされたり、この世の知識と才能を追求したり、施す事によって得られる恩恵を求めたり、また聖典や超能力などにより自分を見失っているのが見受けられます。幸いにも、私たちは在世の開悟した師と出会えました。マスターは私たちの無尽蔵の智慧の宝庫を利用する方法を教えてくれます。そしてメディテーションを通して、私たちをもつれて絡み合ったこの世の幻覚から次第に抜け出させ、そして聖人の磁場で洗い清めてくれます。こうして私たちはあらゆる束縛から自由になり、仙人となって天に舞い上がるのです。
 ですから、メディテーションはまさに一種のごほうびというわけです。