マスターの言葉

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 戦争、もめごと、誤解、怒り、そして憎しみはすべて、神を知らない事から来る私たちのフラストレーションによって生じます。人類がやりかねないと考えられる悪事のすべては、神を知りたいというこの渇きから来ているのです。皮肉で矛盾した事ですが、それが真実です。こういった行動は助けを求めた死にもの狂いの叫びで、そういうふるまいにおよぶ人々は、ただ他にどうすればいいかわからないためにそうするのです。それで彼らは暴力に訴えざるを得ないのです。ちょうどみなさんが声を張り上げて叫ぶように。
 なぜこんなふうになるのでしょう? それは、たとえ私たちが人間のように見え、この人間の肉体をまとっていても、みな神の子だからです。私たちは聖霊なのです。私たちはかつて天国に住んでおり、そこではいつでも望む時に、無条件ですべてを手にしていたのです。「あなたたちは神の宮であり、あなたたちの内に聖霊が宿っている事を知りなさい」。これは私たちの内面は神以外の何ものでもない、という意味です。私たちは神であり、必要なものを得るために働くなどという習慣はないからです。欲しいものを要求する事にも、そして場合によっては、それでも手に入らないという事にも慣れていないのです。それで私たちは時々がっかりして怒りや絶望感や無力感を持つのです。そしてこのフラストレーションは時に暴力を生み、憎しみをつのらせ、ついには戦争に至るのです。
 ですから戦争を始める人々というのは、実のところ、最も愛と助けを求めてやけになってしまった人たちなのです。とは言え、彼らは自身の絶望に強く縛られていますから、そんな状態にいる彼らに愛や智慧、理解をもたらすのは容易な事ではありません。それはちょうど重い病気を患っている人が医者さえも認識できず、ましてや彼らに感謝する事などないのと同じです。というわけで、こんな絶望的な状態に陥る前に自分自身をケアし、神の愛をもっと身近に、そして実際に見い出すように気をつける方がいいのです。そうすればこのような救いのない感覚や深い絶望感を経験せずにすむのです。私たちが何をしようと、神は間違いなく私たちすべてを愛します。キリストは私たちが何をしようと関係なく――たとえ彼自身に対して行なった事でさえ、私たちすべてを許すのです。彼は自らの敵を許し、彼らのために祈りました。「父なる神よ、彼らを許したまえ。彼らには自分のしている事がわからないのですから」。私はキリストに関するものを読み返す度に泣きたくなります。このような偉大な愛は、神からしか来ません。
 私たちはみな神の子です。それなのに、なぜこのキリストのような愛を持たないわけがあるでしょうか? 私たちは持っています。ただ持ってはいても、それを活性化していないだけです。その方法を忘れてしまっているのです。私たちは確かに愛を持っているのですが、主キリストの愛のような大きさではないのです。それでも、まだこの愛を再び持とうとする事はできます。神は私たちの罪のすべてを許してくれます。キリストは許し、私たちのために死にました。そして私たちは、神の目から見ればいつだって平等なのです。それでは、なぜ私たちは神を知らなければならないのでしょうか? なぜ私たちはこの愛を活性化しなければならないのでしょう? なぜ私たちはそもそも努力するべきなのでしょう? それは、もしこの愛を活性化しなかったならば、私たち自身が苦しむ事になるからです。そしてもちろん、私たちは時には愛する人たちや接する人すべて、そして私たちの周囲に、そしてまた時には自分の国にさえも苦しみをもたらすのです。もし、私たちが戦争を起こすような間違った、あるいは愛に欠けた決断をすればそうなるのです。
 私たちは神を知るためのみならず、自分たちが神の一部で、神と一体である事を知るためにこの愛を活性化させなければなりません。ちょうど主キリストが「私と父なる神は一体です」と言ったように。私たちは一人で話し、考え、望んでいたのでは神と一体になる事ができません。私たちは実際に神と一つになり、地上の神にならなければなりません。再び大海に入って行き、その愛の海と一つにならなければいけません。そうすれば私たちはこの地球上に神を現す事ができるのです。神のあらゆる崇高な性質、神のすべての慈愛、それらを現実のものにする事ができるのです。そして、自分の周囲の人すべてに愛、喜び、優しさ、幸せをもたらす事ができるのです。