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スプリームマスター チンハイ 南アフリカ・ケープタウン
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私たちは人生のあらゆる出来事に対して準備ができます。楽しみたい事や、体験したい事のためには、長い時間をかけて準備しなければなりません。万一にも備えます。一生懸命働き、いくらかは使いますが、少しは銀行に貯金したり、緊急時に備えて蓄えたりします。退職後の生活に備えて蓄え、お葬式の準備のためにも蓄えますが、死後たどる道に対する備えは忘れています。 誰もがここではそう長くは生きられないとわかっています。ここに留まることはできないのです。けれども、世俗的な要求や生き抜いていくための苦労が、私たちがなぜここにいるのかとか、ここには大して長くいられないということを、いつも忘れさせようとするのです。 死を直視することを学ぶ いずれにしても、私たちはみないつかこの物質世界を離れます。けれども、誰もがその最後の旅立ちの準備をしているわけではありません。そういうわけで、ほとんどの人がその日のことをとても不安に感じたり、恐れたりするのです。中には、私のようにまだこんなに若いうちから、もうこの恐ろしい旅立ちの日を心配している人もいます。その日のために十分な準備をしていないからです。私たちは病気や家や抵当や、その他の様々なものに備えて保険をかけますが、この世を去る日の準備はしていません。聖書にはこう書かれています。「魂のために肉体を捨て去りなさい。死について学びなさい。そうすれば再び生き始めるだろう」と。私たちはこの言葉を毎日、あるいは一日に一回以上は読んでいるかもしれません。けれども、多くの人はどのようにしたら「毎日死ぬ」のかわからず、人生の真実の姿を認識できないのです。もちろん、それでもいいのです。私たちには何度も何度も選択する永遠の時間があるからです。 今日、私がここに来たのは、みなさんに「この人生をどう生きるか」をお話しするためではありません。「どのように死ぬか」についてお話ししようと思っています。というのは、「どのように死ぬか」、そして、「どのようにして死と面と向き合うか」がわかりさえすれば、もう未知の事に対する恐れがなくなるからです。一度死んでしまえば、それは今生きているのと同じです。というより、今よりもっといい状態になるのです。より自由で、光よりも速くどこにでも行けます。欲しい物は瞬時に手に入れられます。鳥よりも自由です。いつでも神と接触できます。なぜなら、私たちは神と一体になるからです。けれども、それは準備をしてある場合だけです。私たちの概念はとても強力なので、毎日の生活の中でどんなことを考えても、どんなことを望んでも、それはほとんど実現するのです。この世を旅立つ時に、もし私たちの想いが何かに捕われていて、まだそれが実現していないなら、私たちは思い残した願いを叶えるために、そして、果たせなかった望みを達成させるために、再びこの物質世界に戻って来なければなりません。そういうことで、もう二度とこの世界に戻って来たくない人や、現世が終わった後、来世の運命を主宰したいと願っている人には、そのための方法が用意されているのです。 この世界を離れる時に、何かについてとても強く考えていたら、私たちはその物事や欲望に引き寄せられてしまうでしょう。これは、私たちは生きている間に肯定的な考え方ができるようになり、それが第二の天性となり、自分と一体になるまで、毎日できる限り訓練すべきだという意味です。そうすれば、死の瞬間、私たちは自分自身の考えが導く所に行くでしょう。私たちは神の本質そのものなのです。神のパワーを内に持っています。それに気付いていようがいまいが関係ありません。ですから、実際私たちの話すことは、とてもとても強力なのです。 神は永遠に慈悲深い 生前、私たちは罪人であるとか、神の愛に値しない、救い難い人間であるとか、自分は地獄に行くのだということを信じるように洗脳されていて、地獄とはいかに恐ろしい所かということをずっと聞かされ、それまで言われ続けてきたことを信じていたら、死を迎えた時、私たちはいわゆる地獄に行くことになるでしょう。たとえ地獄など存在していなくても、自分で創造したり、他の人が私たちのために創造したりするのです。恐怖というものは、大昔から私たちの遺伝子や脳や生活様式の中に取り込まれています。それで、ある団体は、その目的はそれほど高尚なものではなかったにもかかわらず、私たちをコントロールし、従わせることができたのです。ですから、自分自身を解脱させるために、私たちは古代から伝わるあらゆるマスターたちの真実の教えを、もう一度しっかりと理解しなければなりません。神、仏陀、アラーによるその真実の教えは、永遠に慈悲深いのです。 私たちはこの最高のパワーの子どもなのです。そして、私たちは可能な限りの方法で、現世でも、ここを離れた後も、永遠に愛され、許され、助けてもらえるでしょう。私自身はそれを見てきました。神のパワーが働くのを目の当たりにしたのです。物質世界と同様に、不可視の境界(きょうがい)でも、愛と慈悲だけを見たのです。永遠の苦しみ、地獄、神からの復讐などというものはありません。なぜなら、この世の人間の両親でさえ私たちを愛し、何度でも許してくれるのですから、私たちの父であり、母である神であれば、永遠にもっと愛し、許し続けてくれるでしょう。唯一の問題は、私たちがこの世で犯した間違いは、何であろうと罰せられるというように、長い間私たちが洗脳されてきたことです。私たちは間違いを犯すでしょう。ずっと犯し続けます。というのは、頭脳や肉体や物質世界の環境は、私たちに間違いを起こさせるよう強制するからです。けれども、私たちがどんな間違いを起こしても関係ありません。神はいつでもそれを修復できるのです。ですから、神は私たちがずっと信じ込まされてきたようなどんな方法でも、決して私たちを非難したり罰したりはしません。
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