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失敗するたび、惨めになるたび、また、落ち込んだり、この物質世界の 真の愛は、苦難を一掃する 2001年9月11日に米国で発生した同時多発テロ事件は、間違いなく人類史の一頁に悲惨な出来事として書き留められたことでしょう。この不幸な事件に対して世間の人がどんな反応をしたとしても、世界各地の修行仲間はやはり“全人類が兄弟であり、万物は自分の一部である”という平等な愛の理念を持ち、災害後の救援活動においては、同胞愛と思いやりを十分に発揮しました。特に米国の修行仲間はマスターの指導のもと、困難な場面に臨んでも少しも慌てず、力を尽くして助け合うという精神を発揮してきました。以下のリポートと修行仲間自身の体験から、神の愛は常に私たちと共にあることが改めて証明されました。 愛に満ちた救援活動 アメリカ・ニューヨーク救援チーム(英語) ニューヨーク市のグランド・ゼロ地点(ビル倒壊の中心地点)で支援活動を行なっていた間、私たちを深く感動させたのは、多くの非営利組織によって設営されたブースのすべてが一体となり、誰もが品物を受け取れたということでした。必要な物は、他のブースへ行けば何も問われることなく手に入れられたのです。何か聞かれた人など一人もいませんでした。誰もが必要とされている物を喜んで提供していました。本当に、かつてマスターの言ったように、困難な状況では人はよりスピリチュアルになるものなのです。 私たちのブースでは、中華料理、サンドイッチ、弁当、ホットコーヒー、ティーバッグとフルーツなどを提供した他、衣料品、靴下、手袋、そして市販薬も利用できました。ニューヨークとニュージャージーにある船員教会協会は、1日2回、私たちに氷嚢と様々なソフトドリンクを提供してくれました。私たちは被災地付近にある仲間の家の裏庭に臨時キッチンを設置し、食事が用意できるとすぐ被災現場へ運んで毎日平均千食以上の弁当を提供しました。 私たちのブースは、ちょうど閉鎖された警戒地区のグランド・ゼロへの主な出入口のそばに設置されたので、大部分の救助スタッフは私たちのブースの前を通っていました。ですから多くの人に私たちの団体のサービスを受けるチャンスがあり、彼らの多くが私たちと喜んで交流しました。最初、私たちは被災現場へ入って支援活動をすることができませんでした。けれども後に、大勢の警察官、州兵や各関係機関から来たボランティアスタッフは、私たちが献身的な団体であることがわかると、その奉仕精神に対して非常に敬意を払ってくれました。 9月18日午後、ニューヨーク州知事のジョージ・パタキ氏が私たちの一つ目のブースの前を通りかかった時、私たちの支援活動を非常に褒めてくれました。翌日、再び被災地を視察に来て私たちのブース前を通った時には、手を振って挨拶してくれました。 9月20日の木曜日に政府指揮下にある救助スタッフが救援作業をすべて引き継ぐと知り、私たちはその日の朝食後にブースを片づけて撤退を始めました。その時、雨が降り始めて間もなく大雨となりました。私たちは持参していた2箱分のレインコートを被災地へ運び、一つひとつ配りました。私たちは自分たちの任務はこれで終わり、マスターの大いなる愛と加護が再びニューヨーク市に注がれたのだと感じました。 通行許可の黄色いベスト アメリカ・サンノゼ救援チーム(英語) 9月17日から20日までの間、サンノゼ救援チームのメンバーはニューヨーク市でボランティア救援活動に参加しました。私たちが世界貿易センターの被災現場で見た悲惨な様子は、テレビで放映していた画像よりもひどいものでした。被災現場では、そこで発生した事を直接知ることができたので、この一帯の人々の気持ちがよくわかりました。その雰囲気が非常に悲しく重苦しかったため、私たちのブースはそこに設置され、マスターの大いなる愛と同情の気持ちを救援スタッフに伝えたり、人々を元気づけたりしたのです。 私たちの食事ブースは最もひどく崩壊したビルの近くにありました。約30人の男女の修行仲間が3人の観音使者と共に二つのグループに分かれて、1日15時間から16時間交替で被災現場で働きました。8日にわたる支援活動中、みなほとんど寝る時間がありませんでした。私たち救援チームのメンバーは、毎日昼夜を問わず現場の救助スタッフに食事を用意したり、食品や飲み物などを提供したりしました。 驚いたことに、修行仲間は、ただ黄色のベストと私たちのIDカード、それに私たちのグループのメンバーが作ったボランティアスタッフであることを示す簡単なバッヂを着用していれば警備検査にパスし、被災現場に入って直接援助活動をすることができました。現場では指定された人のみが立入りを許可されていたのです。救援活動の参加を決める前に、マスターが救援チームのメンバーに黄色のベストを着るように指示してくれたのも不思議はありません。被災現場で支援の任務を順調に果たせたのは、マスターの加護のおかげだと私たちは信じています。 タイミングのよい道案内 アメリカ・ケンタッキー州同修(英語) 義援金の小切手を寄付するために、バージニア州・アーリントン郡の救世軍全国本部へ向かう途中、私たちは道に迷ってしまいました。みんなが途方に暮れて約束の時間に間に合わないのではないかと心配していたその時、思いがけず対向車線を走って来た一台の車が突然止まり、ドライバーが窓を開けて助けは必要ないかと尋ねました。私たちの目的地を聞くと、彼はその探していた建物をはっきりと指差して教えてくれました。 人生は一瞬一瞬が神秘的であることを私たちは悟りました。この偶然のでき事は、困っていた私たちの心を照らしてくれたのです。悟りを開いた私たちの最愛のマスターの他に、道案内というこんなびっくりするようなプレゼントをしてくれる人などいないでしょう。彼女はどんな状況でも常に弟子の面倒を見てくれるのです。 愛の任務が心を結ぶ アメリカ・ミズーリ州 同修(英語) 2001年9月12日の午後、私は家を出てニューヨーク災害救援センターへ向かいました。世界貿易センターのテロ事件について、私は現地で救援活動をしたいと強く望んでいたため、車で行くことにしたのです。 行く途中の午後11時半頃、車が道路際の工事現場から飛んで来た巨大な石で傷ついてしまいました。車を道の片側に寄せると、ガソリンの臭いがしていました。ちょうどその時やって来た建設作業員に助けを求めると、自分の車に私を乗せてモテルまで送ってくれました。私の車はとても運転できる状態ではなかったからです。 翌朝、レンタカー会社に電話をしましたが、空車はありませんでした。そこで電話でニュージャージーセンターと連絡を取ってニューヨークの状況を尋ねたところ、多くの道路が閉鎖されているのでニューヨーク救援センターへ行くのは困難だと知らされました。このニュースを聞いて、私はとてもがっかりして悲しくなりました。と言うのは、本当に行きたいと思っていたのにバスで家に帰るしかなかったからです。家に戻ったのは夜中の12時頃でした。 次の日の朝、それまで一度も会ったことのない女性の修行仲間から電話が入りました。彼女はロサンゼルスから来ており、途中で偶然私の家(すなわちミズーリセンター)を通りかかったのでした。世界貿易センターの大惨事を知った彼女は、一刻も早く救援活動に参加したかったのですが、空港がすべて閉鎖されていて飛行機には乗れないため、車でニューヨークへ行く決心をしたということでした。彼女は私にも、車に乗って一緒に行こうと言いました。実は、彼女は前の晩にミズーリセンターに電話をかけようとしたけれど、時間が遅かったので翌朝の5時半まで待っていたのです。そしてもし電話に誰も出なければ、そのままニューヨーク救援センターへ行くつもりだったそうです。いつもなら、私は朝メディテーションをしている時は電話に出ないのですが、その朝は電話が鳴るとすぐ立ち上がって出ました。こうしてその女性と私は一緒に車でニューヨーク災害救援センターへ行くことになりました。この一連のできごとを思い出すと、マスターは本当に何もかも知っていて、私たちの面倒をすべて見てくれるのだと思わざるを得ません。私たち2人は、テロ事件の被災者を助けたいという共通の愛の心が私たちを結び付けたのだと感じました。まさに、一つの愛の任務が二つの心を繋いだのです。 |
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