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西アフリカ・トーゴ デビッド |
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ある日、我が家の玄関のチャイムが鳴りました。鳴らしたのは小さな女の子で、私にお金を請いました。その子はちょっと見たところ小奇麗な服装をしていました。私はお金をいくらかあげましたが、なぜ少女が物ごいをしているのだろうと不思議でした。しばらくすると、少女はきらきらした瞳で私を見つめる妹を連れて戻って来ました。そして、今度は自分の家庭のことを話しました。母親はすでに亡くなっていて、父親は足を怪我しているので、しばらく仕事ができずにいるということでした。それでその子があちこちで小間物を売るなどの雑用をしているというのです。その子の稼ぎが良くなければ、一家は食事抜きなのです。話を聞いて私は何とも言えない気持ちになって、前にあげた数倍以上のお金を手渡しました。二人はうれしそうに帰って行きました。私は、少女がまた来たら、喜んで助けてあげようと思いました。 翌日この話を修行仲間にしたところ、その女の子は以前、同じように自分の家に来たことがあると教えてくれました。彼女は、少女にお金をあげる前に、しばらく落ち葉を掃いて欲しいと頼んだそうです。ところがその子は何もしないで行ってしまったというのです。私はこの人が、いつも他人に頼るのではなく、まず何かしてみるよう子供たちのために教えたかったのだと理解しました。しかしその時、急に、かつてマスターが話したことを思い出しました。「私たちは人々が助けを必要とする時に、助けるのです。そして見返りを求めてはいけません。無条件に行うのです」。それにもかかわらず、仲間の話は、あの女の子のような人々を助けることは意味がないのではないかと、私に感じさせました。なぜなら施しを求められることがしょっちゅうあって、時々うんざりしてしまうからです。私は今回もまた騙されたのか、と思いました。そして今度あの少女がやって来たら、誰か修行仲間に頼んで、少女の家へ行って真実を確かめてもらおうと決めました。 2日後、観音使者が私の住んでいるローメイにやって来て、マスターがガーナの仲間たちのことをとても気にかけていると話しました。私はスピリチュアルショックを受け、愛とは直感的なものであり、論理的な分析や判断など不要なものだと、突然悟りました。どうすることが最も有益な方法であるかなどと、気にする必要はなかったのです。ここ数年、ずっと私は自分が行動する時に、頭で考えたことや物質的な概念に重きをおいてきました。自分の決定や行動が良いか悪いかを考えながら、いつもあちこちに揺れ動いていたのです。そしてこういった考えが、自分を物質的な善と悪との闘いに陥れていたのです。幸運なことに、在世の悟りを得たマスターを知ったおかげで、その遍在する教えが私の長い間の頑固な価値観を打ち破り、向上の助けとなったのです。 数日後、少女が再びやって来ました。今度はとても可愛らしい弟と一緒でした。後で修行仲間がその家族を訪ねると、少女の話した通りであることがわかりました。私たちはその修行仲間に、この一家の生活費の足しになるよう、薬やお金を届けるように頼みました。少女の父親がとても喜んで、私たちの愛を込めた贈り物を感謝とともに受け取ったと聞き、私は幸福感に包まれました。 私の考え方はこの経験を通して純粋になりました。そして今ではマスターの教えをより深く理解しています。「私たちは愛から慈善行為をします。何も望まず、ただ人々への義務として、恵まれない人々への愛からそうするのです」。 |
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