マスターの講義

 

歴史を良き師として活用する

スプリームマスター チンハイ

アメリカ・ロサンゼルス 1996.3.14(英語)

自身の智慧という宝物を認識すること

私たちは修行のパワーで多くの物事を変えることができます。誰もがその事を知っています。それほど高度な修行をしていないラマ僧でさえ、天候を変えられるのです。もっとも、私たちはそんな事をする必要はありません。ただ修行するだけですべてが望み通りに変わっていくのです。たぶんそれが最高でしょう。今、ここカリフォルニアには、私たちが観音法門の修行を始めて以来、最も多くの修行仲間がいるように思います。私がたびたび来るようになって気候も良くなってきているようです。たまたまそうなっただけかもしれませんが、素晴らしい偶然の一致です。(拍手) ですから、これは本当にいい事で、どこであろうと私たちは変えているのだと思います。観音法門を修行すれば物事は変わっていくと、私は確信しています。

あるマスターの話ですが、彼はさまざまな国に講演に出かけて行きました。天眼がすでに開いている一人の弟子が、地図上でマスターの旅の行方を追っていました。彼はマスターの行方を見て、その後、実際にその地域の弟子にマスターの足取りを確認していました。すると、マスターが行った所はどこもずっと雨続きでした。そこはインドのように乾ききった土地で、よく水不足になっていたのですが、マスターが行く所はどこも雨が降り、全く例外はありませんでした。まるで雨でモップをかけたようで、それは美しい光景でした。

その弟子は自分が「見た」事を、さっそくその地元の弟子に聞いて確かめました。すると、まさに彼が見た通りだったのです。観音法門は本当に不思議です。私たちがこの最高の方法から得られるであろう利益をすべて言葉にするのは不可能です。時々、私は世界中の人にこのことを知ってほしいと思うのですが、それは我慢しなければなりません。もしみなさんが、私を忍耐強くない人だと思っているなら、考え直すべきです。というのは、もし忍耐強くなかったら、私はこんな事には耐えられません。人々が本当にこんなに素晴らしい方法、こんなに最高の全能のパワーをただ知らずにみじめに生きているなんて耐えられません。毎日毎日、彼らは神などにごくわずかな利益を請い、自身の内面にすべてがあることを知らないのです。

時には、私はみなさんのような弟子たちにも耐えなければなりません。観音法門はこんなに素晴らしく、その上、そんなに煩わされるようなものでもないのに、「2時間半ですって? そんな時間はありませんよ」などと言うのですから。みなさんは自分の宝を十分に使いこなしていません。ですから、私のことを忍耐強くないと思っているなら、考え直すべきです。もし私が忍耐強くなかったら、本当にこんな事には耐えられません。本当の忍耐とはそういうものです。もし私が誰も叱らないとしたら、それは私に忍耐力があるという意味ではありません。私は我慢しているのです。時々、何かの用事で印心を受けていない人が私の所に訪ねてくることがありますが、もしその人が、みなさんがたまにするような失態をしても、私は叱ったりしません。出て行けとも言わないし、罰を与えようともしません。ただゆっくりと、そして感じ良く必要な事を話すだけです。例えば、もしその人がその辺に立ったままだったら、私は「まあ、どうぞ座ってください」と言います。また立ち上がったら、「どうぞ座ってください」と言うでしょう。

けれども、私はみなさんの面倒を見ているので、みなさんに対する責任があるのです。ですから、私はみなさんの進歩の速度を早め、スピードアップしなければなりません。ちょうど、みなさんが自分の子どもがどうふるまうか心配して、気をつけるようなものです。自分の子どもなら小さな間違いでも耐えられませんが、隣の子どもならクラスでビリでも気にしないのです。隣の子どものふるまいや教育の事などで悩んだりしませんが、自分の子ならそうはいきません。みなさんは子どもを叱り、励まし、時には甘やかし、時には厳しく接します。みなさんは自分の子どもの一挙一動を注意して見ますが、隣の子を見たりしません。同様に、みなさんが私のみなさんに対する行動を見た時、感じが良くても、機嫌が悪くても、どうであろうと、それは単なる反映で、みなさんを映し出しているのです。

文明の頂点と戦争のサイクル

さて、数千年前のとても素晴らしい出来事についてお話ししましょう。古代の人々も現代とは違う、とても高い文明を持っていたことをみなさんに知ってほしいのです。それが、調査結果や歴史書によると、古代文明は時々戦争によって破壊されていたようです。おそらく、惑星間の戦争や同朋間の内戦によるものでしょう。なぜなら、それぞれの文明は頂点、それも非常に高い頂点をめざしたからでしょう。それで、もしその社会の人々が自らをコントロールするために内在のパワーを保つことや、自らの科学的知識を賢く使うことに配慮しなかったら、問題が起こるのです。人は最新の発見をし、他の種族、別の大陸や惑星の支配者になろうとやっきになって競い合います。そういうわけで戦争が起きるのです。やがて、戦争が終わるとすべてが終わってしまいます。

けれども、これが人間につきものの問題です。私たちは決して学びません。現在、この世界を見回しても、多くの国はいまだにこの教訓を学んでいません。戦争をするたび国は破綻します。それは長く長く続く貧困状態を引き起こします。これは誰でも知っていることで、あらゆる国の指導者たちもみなわかっています。それなのに、何らかの理由をつけて平和より戦争を選ぶのです。時には、ただ他の国の人々を威嚇したいだけのこともあります。けれども、それがうまくいかなかったらどうでしょう。互いに誤解が生じ、小事が大事を招き、そのうちに爆発を引き起こします。そして、再び戦火が燃え上がり、私たちの文明は滅びるかもしれないのです。まるで、最近大西洋で発掘された遺跡や古代アトランティス、あるいは、古代の異星人と同じです。

今、私たちは「おや、そんな昔にどうしてそれほど文明を発達させられたのだろう」と考えます。過去のある時点では、とても文明が発達していたのです。おそらく現代の私たちより進んでいたのでしょう。聖書にもロトの妻についての記述があります。彼女が振り向いて見た時、彼女は塩の柱に変わりました。それは、ちょうど原子爆弾やその類のものの影響で、人を化学変化させる、高度な化学武器の作用のようです。つまり、人間を焼いて灰に変え、その場所からは塩の柱のように見えたのでしょう。

それで、昔はたくさんの戦争もありました。もちろん、多くの発見や発明がありました。たぶん、それらは現在私たちが持っているものより、はるかに優れていたでしょう。ですから、現在私たちが持っている物を誇ったり、科学的な機器といったつかの間の道具に頼りすぎたりする理由など本当に何もないのです。ところが、私たちはいつもそうしています。何かを発見するたび偉大だと思うのですが、やがてすべてを破壊して、また最初からやり直すのです。

このことをよく表している話をしましょう。中国であった話です。中国の人々は、たくさんの種類の現代機器を最初に考え出しています。もちろん、その当時の発明品はほんの少し荒削りだったり、ごく基本的な形だったりしたかもしれません。けれども、時間の経過と共にどんどん進歩していきました。あるいは、ヨーロッパやアメリカの人々が中国のアイディアから学び、その後、より進んだ精巧なものに改良していったのかもしれません。

例えば、中国人は爆竹を発明しました。彼らは新年を迎えるにあたりずっと使ってきました。ただ楽しみ、楽しい雰囲気にするために爆竹を鳴らしてきました。悪霊や鬼を追い払う時にも、とても賑やかに騒々しく特別な日を祝う時にも、結婚式や何かのお祝い事の時にも使われます。でも、いいですか。中国人は何にでも爆竹を使うのが好きなんですよ。(笑い) 誰かが死んでも爆竹ですし、結婚しても爆竹を鳴らします。気分が落ち込んだ時も爆竹、うれしい時もやっぱり爆竹です。誕生日を祝うのも爆竹、チンハイデーを祝うのも爆竹です。(拍手) みなさんは私の誕生日やチンハイデーの時、何度もその音を聞いたでしょう。彼らはあらゆる種類の騒音で耳を刺激します。中国の人たちはそれが大好きなのです。今では、私も鐘や太鼓や爆竹のような音にすっかり慣れてしまいました。

この爆竹は何千年も前に中国で発明され、楽しみのために使われていました。そして、そこにヨーロッパ人がやって来て、それを殺人のために使いました。こうして銃が生まれたのです。初めての銃は中国人に向けて使われたのです。以前、中国人には銃がなかったのです。最初は、ヨーロッパ人が中国で爆竹の火薬に目を付け、それを持ち帰って改良したのです。彼らは火薬を使って銃や大砲を作り、それを中国に持ち帰って売りました。その時代には、最初に大砲や爆発物を手にした国王が、時の中国の偉大な覇者になったのです。そんなふうでした。ですから、発明というのは、時には子どもにとって害がなかったとしても、その後で、他の人々がより殺戮的な方法で使うことがあるのです。

アイスクリームや他のたくさんのものも中国で発明されました。ですから、ヨーロッパの人々が初めて中国を訪れた時には、それはもうびっくり仰天しました。そこにあったのは素晴らしく美しいおとぎ話の世界の王国でした。それで、他のあらゆるものと同様に、美女は時々野獣を引き寄せてトラブルを起こします。ですから、私はみなさんに何と言えばいいのかわかりません。美しさや才能、お金などたくさんのものを持っていたら、たぶん人からの妬みを買うのでしょう。時には、それが苦しみや不幸の原因となるのです。だからといって、私はみなさんに貧しく生きなさいとか、簡素な生活をしてお金などに煩わされてはいけないなどと言うべきでしょうか。特にここアメリカでは、そんなことをしたら快適に過ごせなくなります。ヒマラヤにいるように歩いて生活することなどできません。スーパーマーケットまで車で少なくとも3時間はかかるのですから、飢え死にしてしまいます。ここではすべてが時間単位で計算されるのです。

国王への贈り物−ロボット

昔、中国に周穆王という国王がいました。2,500年程前の戦国時代の国王です。ある日彼は狩りに出かけました。たいていの国王は暇を持て余しているのです。何もすることがないので動物を殺しに行くのです。恐ろしいことです。人間を殺せないなら動物を殺すわけです。彼らは自分たちの戦術を常に訓練していたのだと思います。これは人類が始まって以来ずっと続いている間違いです。そういうわけで、中国はその歴史の中でいつもどこかと戦争をくりかえし、内戦を抱えているのです。そうでなければ、出かけて行って動物と闘うのです。

この国王も例外ではありませんでした。彼は弇山に狩りに出かけました。やがて、狩りを終えて都へ戻り、宮殿へ向かう途中、ある献上物を受け取りました。それは、物質的な贈り物ではなく人でした。ある人が非常に優れた職人をよこしたのです。彼の名は偃師と言いました。国王は彼に一緒に来るように言い、こう尋ねました。「お前はどんな事ができるのだ」。国王への贈り物になるように言い含められてきた偃師は、「国王陛下、何なりとお申し付けください。仰せの通りにいたします。陛下が望まれる事は何であれ、そのように努力いたします。けれども、私はすでに機械を発明しております。人造人間です。もしよろしければ陛下にごらんいただきたいのですが」

国王は答えました。「もちろん。明日ここに持ってくるがよい。見てみよう」。翌日、もちろん偃師はロボットを持って来ました。国王は非常に驚き、この職人に尋ねました。「後ろにいるのはいったい誰だ」。偃師は「これこそ私が発明した人造人間です」と答えました。聞きましたか。ロボットがあまりにも素晴らしかったので、国王は人と間違えてしまったのです。現代でもロボットの外見はこうはいきません。(笑い) まだまだです。 映画の「未知との遭遇」や何かを見た時とは違います。ダイニングルームの「フーバー」社製の掃除機と同様、それを見て、私たちが人間だと騙されてしまうような姿ではないのです。けれども、この人物は2,500年程前にすでにこんな「人型ロボット」を発明していたのです。もちろん、他の惑星ではすでにこのような発明品があり、それはあたり前の事だと私は聞いています。確かめたわけではありませんが。

この「人造人間」が人間そっくりだったので、国王はショックを受けました。彼はじっくりとこのロボットを眺めてから、ロボットが歩くところ、走るところ、腰をかがめて国王におじぎするところを観察しました。その様子は、まさに私たちが国王や身分の高い人の所へ行き、相手に尊敬の念を込めてするのとそっくりでした。このロボットは普通の人がするのと同じように動き、まさに人間のようでした。

その時、この職人、発明家、現代なら科学者と呼びますが、彼がロボットのあごのあたりを触るとロボットは歌い出しました。それはそれは美しく、はっきりとした声でした。そして彼がロボットの手を取ると、まるで踊りの名手のように、とても洗練されて複雑な動きでダンスを始めました。それだけではなく、そのロボットはあらゆる種類の何千もの芸事を、まさに技術に富み、才能にあふれ、訓練された人のようにすることができました。させようと思うことは何でも素晴らしく完璧にできたので、国王はショックを受け、そのロボットは本当は人間なのだろうと考え始めました。

その時、国王の寵愛を受けていた王妃の一人がロボットを見かけ、宮殿の他の美しい娘たちもロボットの周りに集まって来ました。彼女らは驚きに満ちた眼で見つめました。ロボットは芸を披露した後、ウィンクさえもしました。(笑い) 国王の窮愛している王妃に軽薄なウィンクのサインを送ったのです。さぁ、問題が起きました。ロボットがあまりにも人間っぽかったので、国王が激怒したのです。そのロボットは、美しい女性を誘惑しようとしてウィンクする若者のようでした。国王は怒りに震え、とても嫉妬しました。そしてロボットと、それを作った偃師の両方とも殺してしまいたいと思いました。どちらも生きている人間だと思い込んでいたのです。

あまりにリアルすぎた発明品

ロボットを発明した偃師は怖れおののき、直ちにひれ伏して言いました。「陛下、どうか、どうかお許しください。誤解です。彼は本物ではありません。違います。まずそれを証明させてください」。そこで、彼がねじを何本か外すと、たちまちロボットは倒れ、それ以上ピクリとも動かなくなりました。それから、偃師はゆっくりと腕や足、胴体や耳などすべてを取り外しました。彼は国王に、中身が全部機械で本物の人間ではないことを示したのです。すると、国王も中を覗き込み、その心臓や肝臓が明らかに色を塗られた木片や金属であるのを見ました。行われたことはすべて単なる機械的な動きだったのです。それにしても、このロボットは非常に人間に忠実に似せられていて、皮膚の下には人体の循環器系のように動脈と静脈が走っていました。

さて、偃師は部品を全部取り外しました。それから、国王に証明するために歯や耳、目玉なども全部外してしまいました。国王はなんとか納得しました。彼は偃師にロボットの心臓を取り出させて何が起こるか見ました。すると、ロボットは黙り、何も話せなくなりました。次に肝臓を取り外させました。すると、もうウィンクをしたり、見たりすることができなくなりました。腎臓を取り出すともう歩けなくなりました。本当にただのロボットだったので、国王はすっかり安心して胸をなで下ろしました。怒りは静まり、嫉妬は消え、「二人」を許しました。

けれども、驚愕と不思議な思いに頭を振って考えました。「どのようにしたら神に取って代わるようなことができるのだ。どうすれば創造主の仕事ができるのだ。 お前は神と競う者なのか」。たぶんそうだったのでしょう。けれども、もちろん偃師は説明できず、何も言えませんでした。彼は偉大な科学者だったのかもしれません。その後、国王は家臣に命じて荷車を持って来させ、ロボットと偃師をもといた所に帰しました。

本当に「新しい」発明品はあるのか

かつて、中国人は雲まで行ける機械も発明しました。それを当時の人々は「雲のはしご」と呼んでいました。なぜなら、彼らはその機械を雲まで昇って行くために使っていたからです。それは飛行機の最も原始的な形だったに違いありません。それは別の時代に作られた物でしたが、当時すでに素晴らしい発明でした。そういう発明はさまざまな場所で、さまざまな人の手によってなされました。鳥型の飛ぶ機械を発明した人もいました。おそらく、それも飛行機だと思われます。どちらの発明者も、自分の発明したものが一流であると思っていましたが、誰一人、生きている人間そのもののような、そんな「リアル」なロボットを作れる人がいるとは想像もできませんでした。ですから、当時そのロボットは飛行機や雲のはしごなどといった発明よりも優れていたわけです。たぶん、その頃彼らはUFOや飛行機も持っていたのでしょう。そんなふうに見えるものという意味です。もちろんロボットもありました。

けれども、鳥型飛行機と雲のはしごを発明した二人は、後でこの「人型ロボット」の話を聞いて黙り込みました。彼らはそれ以上、自分の発明を自慢するのをやめてしまいました。ですから、この人たちは同じ戦国時代に生きていたに違いありません。

私は中国の歴史の中で、この戦国時代にはたくさんのおもしろくて不思議な話があると聞いています。例えば、多くの変わった人、ちょうど私たちが宇宙人と呼んでいるような、他の惑星からやって来た存在が現れたようです。というのは、その時代の人々は、今、宇宙人が使っていたと聞くのとそっくりな、たくさんの武器を持っていたからです。例えば、人間を凍らせたり、部分的に麻痺させたり、あらゆるものを破壊したりするレーザーガンのようなものです。そして、中国の戦国時代では、人々はそういった人々を魔術師と呼んでいたのです。彼らがしたことはまるで魔法のようでした。彼らは空中にあらゆる種類の幻想的な物体を創造し、対抗できない敵を打ち倒しました。その時代に、すでにある種の惑星間戦争をしていたようなものです。ですから、映画の「スターウォーズ」は全くの作り話というわけではないのです。実際にあったかもしれないし、少なくとも一部は真実かもしれません。そうでなければ、三千年前は中国とアメリカ、ヨーロッパは全く交流がなかったのですから、当時そのように離れた地域に住む人々が、どうして同じ事を話すことができたのでしょう。

その当時、彼らは通常の武器は使っていませんでした。記述によるとそれは銃やレーザーガンのように、非常に高性能で強力な殺人方法だったようです。当時、中国の人々は彼らを「封神榜(神と認められた者の名を記した一覧表の意)」という本の中に登場する、天国のような高いレベルの境界(きょうがい)から来た偉大な魔術師と書き記しています。そのうちのいくつかは真実であったに違いありません。これは中国の歴史書に書かれています。作り話ではありません。ですから、三千年前に私たちは今日持っているものをすでに所有していて、それに、もしかすると、もっと良いものだったかもしれないのです。

最近、私は三千年前にすでに原子爆弾が存在していた証拠が見つかったという、いくつかの新聞記事を読みました。考古学者が、原爆に破壊されて地下にずっと埋まっていた遺跡を掘り起こしたのです。残っていた放射性元素の形跡をテストして、学者たちはそれを原子爆弾だったに違いないと言ったのです。たぶん、聖書のロトの妻に関する話は、三千年前のこの原子爆弾があったと思われる時期と一致するでしょう。ですから、私たちの地球は少なくとも一度は政治的な理由か政治組織の違いのため、私たち自身の手で、あるいは他の惑星との戦争で破壊されたに違いありません。このように、世の中には新しいものなど何もないのです。そして、おそらく私たちはその時々で所有することになったり、知ることになったりしたどんな物質的な発明も自慢すべきではないのです。遠い祖先はすでにそれを知っていたし、それどころか、現在の私たちよりずっと優秀で、もっと洗練されていたのでしょう。けれども、彼らは何をしたでしょう。それを何のために使ったのでしょう。ただ、自分たちを殺戮し、破壊するためです。注意深くなかったからかもしれないし、制御しがたい戦争のためだったかもしれません。ですから、おわかりのように、良い事のためには全く使われなかったのです。殺戮のための方法や機械の発明は、人類のためには決して使うべきではありません。いまだに私たちは学んでいません。今日でも、私たちはまだお互いに敵対しているのです。

世界中の国家の首脳たちは、中国の「戦国策」や「封神榜」や「三国志」を読むべきです。何かを学べるかもしれませんが、もしかしたらこう考えるかもしれません。「ああ、また中国人か。中国人の想像力はすごいもんだ」。彼らはそこにいくつかの真実が書かれていることなど、たぶん信じないでしょう。私が「戦国策」を読んだ時、そこにはまさに現在私たちが持っているような、たくさんの素晴らしいものについて書かれていました。例えば、この本の中には、その戦国時代の非常に優れたものや、滅ぼし合うための魔法を使う賢者たちについての記述があります。彼らにはニュースを受け取る手段がありました。例えば、ある人がその辺でメディテーションをしたり、自分の家や屋敷、洞窟の中で座ったりします。すると、突然、傍らを通り過ぎる奇妙な風の音を聞きます。まず、最初の風はやり過ごし、次の風を捕まえてニュースを聞いたのです。どういうことでしょう。この話を読んだらいいでしょう。そうしたらわかります。読めばわかります。まだ読んでないなら、読むべきです。素晴らしい本です。それは中国六大文学宝典のうちの一つです。私は子どもの頃読みました。しかも、わずか6、7歳だったのに、もう中国文学のとりこになっていたのです。父が空想の世界から私を追い出すまで、昼も夜もずっと読んでいました。(笑い) けれども、そんな時もどこかに隠れて読み続けるか、父が行ってしまうまで待ちました。本当におもしろかったのです。私はそれが有名な中国の文学作品だとは知りませんでした。ただ大好きだったのです。それに、私は中国の古典をほとんどすべて読みました。一冊残らずだと思います。幼い頃に有名な中国の古典を何もかも読んでしまったのです。7歳までに中国の全王朝をやっつけて、すべてを征服していたのです。(笑いと拍手)

ご存じのように、歴史は何度も繰り返します。それは常に言われていることですが、私たちはわかっていません。そして歴史をコントロールしようとはしません。現代の多くの国の指導者は、いまだに過去と同じ猛烈な方法で歴史を作ろうとし、再び血で歴史を刻もうとしているのです。

全人類が目覚めますように

私は、いつの日か、すべての人々が真実に目覚めるよう願っています。観音法門であろうが、他の方法であろうが、修行などしなくても、私たちはお互いに平和に暮らすべきです。みんなが平和を口にし、どの政府もみな声を張り上げ、ただ、「自由と民主主義を! 人々と繁栄のため、自由、兄弟愛、平等、すべてのため」と叫んでいますが、実際に彼らが国や人々に何をしているか見てごらんなさい。お笑いぐさです。どうして彼らはそんなことを言って、その後すぐ夜眠りにつけるのか、私にはわかりません。善意のうそにしろ、悪意のうそにしろ、その事に何も感じさえしないのです。もしかしたら、自分の考えを狂信して、その間違いに気がつかないのかもしれません。まるで魚が海で泳ぎ、鳥が空を飛ぶように、たぶん生まれつきそういう品性なのでしょう。ある人々は生まれつきの殺人者であり、生まれつき悪く、生まれつき否定的で、生まれつきの人殺しや殺人団の親分なのです。この場でみなさんが人を殺したら、やっかいな事になりますが、戦争では何千何万もの罪のない人々や子どもたちに銃を向けても誰も裁かれることはないのです。人々は「ひどい、あんまりだ」と言うだけです。そして結局、家族や友人との離別や、財産、若者たち、知性、人命や貴重なものへの打撃については、誰も何も言いません。後になって、もしかすると「ごめんなさい」か、それにも及ばないほどの、ちょっとしたお詫びがあるのかもしれませんが。

現在でも、人々は日本に対して、第二次世界大戦にしたことをあやまるよう強く求めていますが、日本は口を閉ざしたままです。彼らは何も言いません。そして、人々が受けた悲しみや苦しみは誰も気にしません。気にしていると言っていますが、誰が気にしていますか。もし本当に気にしているなら、あらゆる手段を講じて、世界中の難民を無慈悲に家に送り返したりせず、もっと面倒を見るはずです。もし気にかけていたなら、彼らは戦争を止めて、二度と戦争を始めないはずです。けれども、ほとんどの指導者は、なぜ戦争を始めるのでしょう。それは、彼ら自身には大した影響がないからです。どれだけの人々が死のうが、どんなに国家的財産が打撃を受けようが関係なく、彼らは安泰なのです。戦時下でもなお、彼らには常に十分な食物があり、ぜいたくに暮らしているのです。たぶん、彼らは失脚する最後の瞬間まで、リムジンや自家用飛行機に乗り、ボディガードやその他あらゆる物を所有しているでしょう。それで、彼らは国家の全財産を自家用飛行機に詰め込み、「バイバイ」と言うのです。彼らはどこか別の場所で、自分が統治する国がないという以外、王様のような生活をしながら生き延びるのです。それだけです。

ですから、多くの指導者は戦争であろうが、平和であろうが気にしません。なぜなら、彼らは真の指導者ではないからです。彼らはその地位を自分の富や権力、指揮権を増大させるためだけに使います。そういうわけで、私たちは指導者を選ぶ際には、非常に注意深くなければならないのです。もちろん、完璧な人や期待通りの人など見つけることはできませんが、少なくとも一番ましな人か、もっとも害のない人を選ぶべきです。少なくとも、良い事など何もできなくても、「ああ、お願いです。悪い事は何もしないでください」。(マスターと聴衆笑う)「私たちを守れなくてもいいから、殺すことだけはやめてください」。それだけです。ええ、少なくともそうあるべきです。それで、彼らが何と言うかが問題なのではなく、彼らがすることを見なければならないのです。大統領制と、王制と、私たちにとって本当に良いのはどちらかということを知るべきです。大統領なら替えることができますが、もし国王がいいと言うなら、何度も考え直した方がいいです。革命を起こしでもしたら、みなさんは最初に首をはねられる部類に入るでしょう。幸いにして、今日では独裁的な国王は多くはいません。

昔は、国王とは神を意味しました。誰も国王に逆らうことはできませんでした。口を閉じていなかったというだけで、あっという間に首を切られてしまったのです。何も言えないばかりか、彼を直接見ることさえできなかったのです。国王がどこかへ外出するたびに、頭を地面につけてひれ伏し、床にひざまずかなければなりませんでした。もし見上げようでもしたら、即打ち首でした。国王の顔を見る前に、頭はどこかへ飛んでいったのです。(笑い) どこもかしこも厳しかったのです。どれだけの人々が飢えや貧しさやどんな苦しみにあえいでいようと、おかまいなしでした。寒かろうと暑かろうと災害に見舞われようと、国王は快適に暮らしていました。国王の寵愛を受けていた何千人もの女性や王妃たち、宦官たちも同じでした。彼らは決して困らなかったのです。そういうわけで、苦しみとはどんなものかを知らなかったのです。

愛のレッスン

みなさんはフランスの王妃マリー・アントワネットについての有名な話をご存じですね。 彼女は金のスプーンをくわえて生まれてきました。そして、国民がとても飢えて、パンも食べられない、つまり食べ物がないという意味の事を聞かされた時、こう言いました。「パンがないならケーキを食べればいいじゃないの」。(笑い) パンも手に入らないのに、どうしてケーキを手に入れられるのでしょうか。けれども、彼女はそんな状況を知らなかったのです。パンというのが一般市民にとってすべてを意味する事を知らなかったのです。パンは食事であり、命なのです。中国人が「ああ、もうご飯がない」と言うのと同じです。それは、私たちは今飢えている、食べ物がないという意味です。ご飯というのは、アメリカ人やヨーロッパ人にとってのパンと同じで、いわば食べ物の象徴です。

ところが、マリー・アントワネットのような王妃は、おそらく飢えや寒さによる苦しみを経験したことがなかったのでしょう。でこぼこ道を歩くこともなく、出かけて行って国民の普通の生活を見ることさえなかったのでしょう。彼女がどこに行っても、一般市民はその場を走り去るか、覆い隠されなければならなかったのです。さらに、彼女は警護の者に守られていて、国民の暮らしを見たことがなかったのです。きっと彼女は非常に冷酷な女王というわけではなかったでしょう。ただ、その生活が過剰な保護とあまりにも多くのうそや、必要以上の豪華さに取り巻かれていたのです。時には、国王や王妃は、自分たちが何をしているのかさえわかりませんでした。それを知るのは非常に難しいことだったのです。その後、国民が王や王妃に対して革命を起こし、彼らを断頭台に送ったのも不思議ではありません。ただ専制統治や、独裁政治を取り替えただけのことで、それで人々の生活は多少しのぎやすいものになったのです。

自  由 

昔は国王に話しかけることなどできませんでした。王が間違っていると教えられなかったのです。今日でもまだできませんが、何人かの大統領には直訴できます。少なくとも以前よりは自由です。ほんのちょっと違います。昔であれば、人々は国王や政府に対して何も言えませんでした。彼らに命じられるままに動くだけでした。今は政府や大統領に反対意見を述べることができますが、やはり彼らに従わなければなりません。(笑い) そう、ここに違いがあるのです。「言論の自由」です。みなさんは言いたいことが言えますが、いまだに「やりなさい」と言われる立場です。(マスターと聴衆笑う) 実際には、そんなにたいした違いはありませんが、おそらく、声に出して言う時にこう感じるでしょう。「ああ、私は自由だ。少なくともそう言うことができる」と。声に出してすっきりするといいでしょう。そうすれば、たとえ働かなければならなくても、自分がそれほど抑圧されているとは感じません。それもまた問題ですが。

ロシアの笑い話をしたことがありましたか。アメリカ人が観光旅行でロシアを訪れました。そこで彼は秘密警察のすべてを目にしました。人々は恐れていて、笑顔が見られませんでした。これは昔の事で、今どうなっているかは知りませんが。そこで、アメリカ人は友人に言いました。「いったいどうなっているんだ。これはどうした事だ。君らはあえて何も言わないんだな。アメリカでは、僕たちは大統領や政府に対していつでも批判できるよ。いつでも何についてでも自由に批判しているよ」。すると、ロシア人の友人は答えました。「ああ、ここでだってアメリカの政府や大統領の批判なら、いつでも自由に言えるさ」(マスターと聴衆笑う。拍手)

希望の未来は私たちの手の中に

いつだったか、私はオゥラックに着陸したUFOのことを話しましたね。それは四千年くらい前の事です。その時は、ある人がオゥラックの国民を救わなければなりませんでした。彼は異星人でとても小さかったので、自分を強く大きく造り替えました。彼は火の馬に乗り、空へ飛び出しました。その馬が着地する時は、いつも大地に丸いくぼみができました。いったいどんな種類の馬だったのでしょう。きっとフットボールのような形か、まん丸な馬だったに違いありません。どうであったとしても、普通の馬のようには見えませんでした。その上、両側に火のついた鉄の馬でした。どこに行こうと、その火はその地の敵を滅ぼしました。みんな死んでしまいました。誰もその馬と発せられる火の兵器に立ち向かうことはできませんでした。まるで火炎放射器のような現代の機器かUFOのようですね。私たちはいつも、この時代はとても文明化されていて、あらゆる事を発見し、たくさんの事がわかっていると思っています。けれども、実は、もっと謙虚になるために、何度も何度も歴史書を読まなければなりません。意気消沈するためではなく、より希望に満ちた気持ちになるためです。遠い昔、人類がこのような文明の頂点に達したのなら、私たちは将来再び同じ事ができるのです。ただし、学ぶべき事が一つあります。それは、知識の力を悪用すべきではないということです。さらに重要なのは、自分自身の内面を訓練して、確固たる倫理観、道徳規範、高尚な考え、そして愛と慈悲の心を持つようにすることです。そうすれば、私たちがどんな種類の機械を発明しようと、たとえそれが危険なものでも関係ありません。私たちは発明した物を、互いに破壊し合うためではなく、人類に役立ち、より早く文明を発達させる助けとなるような平和な機械に変えることができるのです。私は人類が学ぶことを望んでいます。(拍手)

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