本当の物語
やる気さえあれば何事も成就する
古いことわざに「修行者にとって一番大切な事は渇望心である」という言葉があります。
私は本当にそう思います。
韓国・永同 金東修(韓国語)
出家して僧になる決心をした当時、私は大きな希望と喜びと志を抱いていました。出家するための訓練が終わると、すぐに禅の修行が始まりました。一生懸命修行をして何年か過ぎると、心は平和で静かになり、一人でこの正道の模索を進めました。しかし依然として満足感を得られず、当時の自分のマスターがすでに生死を脱却しているのか、弟子を導いて解脱する能力があるのか疑問を持ち始めました。そう考えるようになってからは、修行にとまどいを覚えるようになりました。そのマスターが亡くなった後、私はどうすればよいのか全くわかりませんでした。修行者にとって一番辛い事は、自分が修行している法門に対して堅い信念を持てないことです。
虚しさを補おうと、私は切実な思いである寺に行き、敬虔に修行して毎日3回仏陀を拝み、一日も欠かさず20年間これを続けました。すでに習慣になっていたので退屈になったり、飽きて嫌になったりという事はありませんでした。私は心からの礼拝を通して真理に対する渇望心を表わした後で行えば、修行の状態に入りやすいことに気づきました。
けれども、僧侶たちと一緒に平凡な生活を過ごしてみると、修行者として自分は軟弱すぎると思い始めました。実際、これは最高の道を追求するこのような高貴な身分の出家者を侮辱することになります。歴史上の大修行者を見ると、自分の欲望や肉体を無視して、真理を追究するために敬虔に修行しています。こう思うと、もう一刻も無駄にはできません。私は隠遁しやすい寺に行って自ら決心して7日間山ごもりをし、ひざまずいて額を地につけるように一心に十方三世の諸仏を拝みました。毎日4回仏陀を拝み、礼拝する時は常に深く願いを込めました。そして真理を求める気持ちは日増しに強くなりました。
こうして山ごもりの4日目、その夜10時に修行を終えると急に疲れを覚え、立っていられないので自室に戻って寝ました。夢うつつの状態でいる時に突然部屋中に光が満ちて年老いた僧が現れ、私に「観音菩薩の聖名を唱えさえすれば仏陀に加持してもらえます」と言いました。完全に目が覚めると、自分が仰向けになっていて、目は天上を見つめているのに気づきました。先ほどのような疲労感は消えて、とても安らかで愉快な気持ちになり、全身は充電したばかりのようで、眠気も全くありませんでした。心は喜びに満ちて、私は感激と喜悦の気持ちでその後3日間山ごもりを続けました。山から降りる時はこの上なくリラックスして幸せでした。
それからさらに20年が過ぎました。状況は変わらず、私は依然として平凡な生活を送っていました。私はまた山ごもりする事にしました。自分でこれは修行生活の中で最後の山ごもりになるだろうと感じたので、49日間こもることを決心しました。しかしその時、私はすでに60歳代で体の調子も良くなかったうえ、渇望心も昔ほどなかったので大きな成果は期待していませんでした。それでも堅い決心から49日間の山ごもりを成し遂げました。その後、私は生涯修行して、悟りを開くまで続けると決めました。
数日後、近くに住む僧侶や信者が私に会いに来ました。私たちは修行について深夜まで話をしました。僧侶や信者が帰る時、私がある人に「あなたは何を修行していますか」と尋ねると、その人は「観音法門を修行しています」と答えました。そこでまた私が「そうすると、観音菩薩の聖名を唱えるのですか」と聞くと予想外の答えが返ってきました。「観光と観音をします」。そして同時にスプリームマスター チンハイのことを簡単に紹介してくれました。私はもっと知りたかったので、この法門についてまた詳しく聞きました。けれどもそれは印心の時にしか教えてもらえないということでした。
観音法門の事を聞くのは初めてでした。とても興味を感じたため、次の日ソウルセンターに印心をお願いしに行きました。みんながマスターの本を私に薦めたので、私は12冊持ち帰りました。「即刻開悟の鍵」の一冊目の半分ぐらいまで読んだ時、もう四方から音が聞こえてきました。あんな音は、今まで聞いたことがありませんでした。とても気持ちが良く、楽しく感じました。私はマスターの本を読めば読むほどさらに読みたくなりました。これらの本には、内在の光と音の事が詳しく書かれていました。私のように生涯の半分以上修行をしてきて、禅の思想に染まっている人間には、このような教理を信じることはそう簡単ではありません。それでも、これらの本を読んだ数日後には、私はこの法門を正しいと思い、修行しても良いと感じていました。
結局、私は印心を受けることにしました。印心は夜中までかかりました。新しく印心した人たちが自分の体験を話していた時、私はちょっといやな気分になりました。全然体験がなかったからです。印心の時にきっとどこか間違っていたのだとさえ思いました。その時はすべてがはじめての事で、とても緊張していたので、体験があったかどうかはっきりわかりませんでした。
翌日のグループメディテーションの時に、マスターは私たちに会いに来ました。マスターが私の横を通った時、無意識のうちに私は立ち上がり、マスターにお辞儀をしました。マスターは足を止めて私に挨拶するとしばらく私を見つめましたが、その目は慈悲と荘厳さに満ちていました。
夜のグループメディテーションの時、マスターはまた私たちに会いに来ました。そして南アメリカの修行仲間に横に座るように声をかけ、額と頭を加持しました。私は南アメリカの修行仲間をとても羨ましく感じて、絶対このチャンスを逃せないと思い、マスターの前に走って行って加持を待ちました。マスターは演台から離れる時に私の背中を3回叩くと同時に、後ろからついて来るように指示しました。その時は本当に感動しました。通訳を通じて、印心の時に体験がなかったことをマスターに話しました。マスターは私の耳と額を何回も加持してさらに観光の仕方を教えてくれました。その瞬間、20年前に私の夢に現れたあの年老いた僧がマスターだったのだと感じました。私がマスターにそれを話すと、マスターはにっこりして韓国語で「ありがとう」と答えました。
その後、私の修行には新しい展開がありました。40年にわたって修行してきた禅宗を放棄して、観音法門の修行に専心する事を決意したのです。印心から2年後、私の内面と外面の両方に大きな変化がありました。内面で満足と喜びを感じ、寛容の心も持つに至りました。また、日常生活のいろいろな障害を解決した時には、自分がさらに進歩したことに気づき、その度にマスターの偉大な愛に感謝しています。私は最高の智慧を得て人々を助けられるよう修行して、それによってマスターの愛に報いることを堅く心に決めました。?