間奏曲

挑戦に直面する

フォルモサ 桃園 闕珍佩

1990年の南アフリカ国際禅の時、私は食事係の仕事に加わったことをまだ覚えています。国際禅が終わった時、厨房を片付けるために、私は数名の修行仲間と一緒に一日残りました。厨房の整理が終わった時、突然マスターの家具を梱包して、運搬するように言われました。女性も手伝いに行きたいと言いましたが、ブラザーは残念そうに「大きいソファーだから、あなたたちには運べません」と言いました。しかし、みんなの期待しているまなざしを見て断れなくなり、最後は承諾しました。女性の仲間たちは興奮して手伝いに行きました。大きいソファーは持ち上げられませんが、小さいソファーはみんなで力を合わせて運べばいいのです。また先を争って鍋、花瓶などを運び、自分がすることがないのを恐れているかのようでした。

実は、私たちは加持力と福報をもらいたいのではなく、マスターはいつも私たちと一緒にいることがわかっていても、やはり少しでもマスターに近づくことを渇望しています。けれども、肉体のマスターは多くの修行仲間の世話をしなければならないため、みんなは行動することでマスターへの愛と支持を表すことしかできないのです。南アフリカの国際禅の時、食事係を務めたため、座禅やマスターの講義のすべてに参加することができませんでしたが、国際禅が終わった後、心の中はマスターの愛でいっぱいでした。

俗世間の仕事では、個人利益を考えないことや、みんなが協力することは難しいことですが、修行仲間の間では珍しいことではありません。俗世間の雑務や順調でないことに直面するたび、マスターと会って楽しかった光景をよく思い出します。すると心配事や悩みがだんだん消えていきます。特にソファーを運んだことを思い出すと、私の原動力が満たされ、新しい挑戦に直面できるのです。

子羊は家に帰りたい

日本・東京 何

11月末、日本の修行仲間は東京近郊の千葉県の鴨川で禅二を行ないました。その場所は、二人の仲間から提供されたものです。私たちはそこで楽しい時を過ごしました。

禅二の前日、あるでき事が起き、そのことで私は深く考えされられました。その日の午後、仲間たちが次々と到着し、私たちは禅二が始まる前に「小々羊兒要回家」の歌を習いました。この歌はメロディーが美しく、歌詞も感動的なので、みんなとても気に入って何度も練習しました。その後、観音使者と一緒にお茶を飲んだり、話をしたりしてとても楽しく過ごしていた時、ちょうど5人の仲間が到着しました。その中で運転をしてきた人は、観音使者にメディテーションの場所へ入ることを禁止され、他の4人も別の部屋で各自の身・口・意を反省してメディテーションをするようにと言われました。その後でわかったことですが、入室を禁止された人は、日頃、あまり戒律を守らないため、妻が反省してくれればいいという望みをもって、他の3人を誘って車で連れて来るように頼んだのでした。

他の仲間たちはこのことを聞くと、みんな急に気が重くなり、厳しい顔をして考え込んでしまいました。しばらくすると、突然観音使者が言いました。「シスター、みんなと一緒に歌ってください」。ちょうど「小々羊兒要回家」を練習したばかりでしたので、私たちはこの曲を歌いだしました。歌いながら、みんなもこの歌詞の意味をよく考えて自分の言葉や行動を反省しました。そのうち、この夫婦は道場のきれいな雰囲気をこわさないために帰ることにしました。彼らが帰った後、観音使者は他の3人の仲間にこの部屋へ来るようにと言いました。

歌声が再び響いて来ました。離れた所にいた人たちも私たちに仲間入りして、一緒に合唱しました。堅かった雰囲気がすぐに温かく、和やかなものになりました。歌っている時はみなそれぞれ違う心境だったと思います。ある人はこの曲に感動して、涙を流していました。しかし、私は笑いました。顔で笑い、心でも笑い、とにかく楽しく笑いました。なぜなら、私は一人の使者が物事を処理する際、マスターの智慧と愛がくまなく表わされたのを見たからです。そして、まだ仲間のみんながとても純粋でかわいい人ばかりであると感じ、私の心が愛に満たされたからです。

マスターは生き生きとした事例を通じて私たちに愛と慈悲の心を持つことを教えてくれました。自分や特定の人にだけでなく、みんなにとって良いことを優先して考えなければならないのです。

この禅二でいろいろ学んだことをマスターに感謝します。私たちはこの人生の舞台でどんな役割を演じたとしても、みんな神さまの大きな智慧によって指導されて、巧妙に配置されているのです。私たちはただその中の一員で、みんなと一緒に演じているだけです。演劇の過程で涙があり、笑いもあり、苦痛や和やかさもあります。各人がその役割の中でお互いに助け合い、劇の内容が良くても悪くても、善悪にもかかわりなく、私たちはみな芝居の過程で習い、成長してゆき、各場面を楽しむのですが、やがて芝居が終わり、人も去った時、すべての物がもとに帰り、再び神さまの偉大な愛の中に融け込むのです。

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