マスターの講義

陰陽のバランスを取る方法    

スプリームマスター チンハイ コスタリカ 
1989.6.3(中国語)ビデオNo.80

今日、ある記者が私を訪問してきて、「この魔のパワー、あるいはネガティブパワーはどこから来ているのですか」と質問したので、「それも神からです」と答えました。すると彼は「え、どうして神からなのですか」と尋ねたので、「聖書に『神は宇宙の万物を創造する』と書かれていて、どんなものも神によって作られているのです。ですから、もし魔のパワーを神が創造したのでなければ、誰がそれを創造したのでしょうか」と答えました。「そうですね。でも、なぜ神はネガティブパワーを創造したのでしょうか」と彼は再び質問しました。

ネガティブパワーのポジティブな一面

このパワーは大変役に立ち、私たちにとってとても有益であると説明しました。なぜなら、ネガティブパワーをどのように使えば、有益なパワーに変えられるかを私たちに学習させているからです。例えば電気はとても危険で、私たちはそれに触れたり高圧電力に近づいたりすると感電したり、命に危険があります。しかし、もし私たちが電気の処理方法を身につければ問題はありません。それから、お金に関しても、多くの人がそのために法を犯したり、戒律を破ったり、悪事を働きます。でも、もし私たちがお金の使い方を習得して、利用されなければ、大変役に立ちます。お金にコントロールされるのではなく、私たちがお金をコントロールし、お金の主人になるのです。もしお金が私たちの主人になったら、お金がないと、私たちは生活できなくなります。そしてお金に貪欲な人は、そのために殺し合ったり、盗んだり、さまざまな手段で悪事を働くことがあるため、その場合のお金はネガティブパワーとなります。私たちがお金の使い方を知っていれば、それはポジティブなものに変わります。

電気にも両極があり、正と負が一緒になって初めて電力が生じます。この世界にも2種類のパワーがあり、ポジティブパワー、すなわち神のパワーであり、慈悲、愛、世話をすること、加持力などはみんなポジティブパワーです。一方、私たちが言う魔のパワーがネガティブパワーです。魔のパワーは特に人をこの世界に縛りつける力であり、人の貪り、怒り、愚かさ、智慧と克服の能力を試すために存在します。本来ならばそれは良くも悪くもありませんが、私たちの処理の仕方によって、良くも悪くもなります。ネガティブパワーは私たちに、どのようにして克服するか、どうすれば役立つものに変わるのかを学習させているのです。

どんなマスターでも、例えば仏陀、キリスト、マホメット、ソクラテス、プラトンなど、彼らはどのようにしたらネガティブパワー、左側のパワーを克服し、ポジティブパワーと一つになるのかを人々に教えるためにこの世界にやって来たのです。中国人の間には「陰陽合一」という言葉があります。陰と陽があることこそ良いのです。どうしてそうでなければいけないのでしょうか。私たち人間には陰陽がありませんか。いいえ、あります。でも時には陰が強すぎて、陽が少ないことがあります。それで、バランスが取れていないのです。動揺しやすく、一枚の葉のように風に吹かれて飛んでいくようで、主導権がありません。私たちがこの世界に従って歩み、私たちの貪り、怒り、愚かさ、欲望のまま歩むと、その時私たちは陰に従って歩み、ネガティブパワーに従っていることになるのです。こんな時マスターはもっと陽を足すべきだとアドバイスしてくれます。さもなければ、私たちは左側に寄りすぎて、陰が多すぎると、永遠にこの「陰」に縛られるのです。

マスターは水道、電気の修理工の如し

陽とはなんでしょうか。ポジティブパワーです。ポジティブパワーは慈悲、愛であり、悟った、光のある、喜びに満ちた、加持力のある「上」からのパワーです。一方、陰のパワーは世間あるいは「下」から上がってきたもので、一つは私たちを下に引きずり下ろし、もう一つは私たちを上に引き上げてくれるものです。天国や天使が住む場所では、彼らには陽が多すぎるため、苦痛が何なのかを知りません。他人の苦痛に同情することを知らないのです。私たちはこの世界で多すぎるほどの苦痛を味わってきたため、苦痛しか覚えてなく、幸せをあまり覚えていません。何が幸せなのかを知ることも少なく、幸せの時は少なくて、苦痛の時が多いのです。例を一つ挙げましょう。みなさんは毎日8時間か、10時間働き、家に帰った後にたった2、3杯のご飯しか食べられません。その食事の時間は私たちの幸せの時間ですが、10時間と引き換えにやっと得られるものです。私たちが夫や妻と一緒にいる時は楽しくて、私たちは天国と言っています。しかし、どれだけの責任がこの幸せに付け加えられているのかをあなたは忘れています。あなたが結婚した後も、20年、30年、40年とその人に対して責任があり、子どもに対しても責任があります。朝から晩まで仕事があり、自分の食事や衣服、それに子どもの面倒を見なければならず、彼らが20歳、25歳、30歳になっても終わったわけではなく、彼らが結婚して子どもを産んだら、今度はみなさんのところに連れてきて子どもの面倒を頼まれます。ですから、ここでの天国の時間はとても少なく、幸せの時間はめったにないことなのです。私たちはたくさんの苦労や活力を費やすことによって、やっと少しの幸せが得られるのです。(拍手)

なぜ、私たちは陽を探そうとするのでしょう。どうやって探すのでしょう。私たちは陽が欠けているため、幸せになれないのです。仕事に疲れ、幸せの時間は非常に短いのです。ですから、印心の時にマスターはその陽の水を引いてくれるのです。まるで蛇口のように、片方は冷たい水、もう片方は熱い水、冷たい方の蛇口はネガティブパワー、熱い方がポジティブパワーです。両方をいっしょに開けば、水が混ざって、カゼを引くことなく気持ちよく楽しく風呂に入れます。そうすれば体の病や痛みも少なくなり、パワーがあってエネルギーにあふれ、明日からも続けてこの世の悩みや仕事、責任に立ち向かうことができます。もし私たちが毎日冷たい水で体を洗ったとしたら、体が良い状態の時なら大丈夫ですが、状態が悪ければ、命に危険が伴う場合があります。

この世界が私たちに与える苦痛や悩みは少なくありません。ちょうど私たちが毎日冷水で洗いすぎたら、温水を使いたくなるのと同じです。ですからマスターがやって来て、もう一つの蛇口、熱い蛇口があることをみんなに教えるのです。もしみなさんが今使っている冷たい蛇口と合わせれば、より心地よく感じられるでしょう。簡単には病気になったりせず、たとえ病気になっても、それほどひどくなく、気分がすぐれないということもありません。けれども、今この蛇口は詰まっています。蛇口があって、中に水が用意されていても、蛇口の中に障害物があるのです。マスターがやってきてそれを直せばすぐに水は出てきます。印心も同じことなのです。マスターはまるで水道、電気の修理工のようで、みなさんに電線をつなげば電気が流れ、蛇口を修理すれば水が出てきます。このようです。なぜなら、みなさんが毎日冷水で洗いすぎて病気になり、救えなくならないかと心配しているからです。

修行は損をしない

「いや、いや、冷たい水のほうが節約できる」と言う人もいますが、まあいいでしょう。私も同意します。しかし時間が経てば、医者や薬局に支払うお金の方が高くつきます。ですから「あなたに印心を受けたくない。輪廻生死してもかまわない。私はこの世界の苦痛に耐えられるし、天国に行きたくありません。天国に行くには菜食しなければいけないし、面倒です。肉をやめられない。肉はあんなにおいしいのに」と言う人がいます。また、「殺生をしない、盗みをしない、邪淫をしない、ああ、難しい。戒律が多すぎて複雑で面倒だ。あなたの印心は代償が大きすぎる。いりません」と私に訴える人もいますが、地獄で焼かれるほうが苦痛であることを知っておかなければなりません。今、守っているこのささやかな戒律に比べて、はるかに苦痛なのです。今ここで、肉、魚をやめることよりもずっと辛いのです。私にこう言う人もいます。「ああ、印心ですか。2時間もメディテーションをするのですか。ああ、我慢できない。その2時間でこの世界を楽しんだほうがいい。今生きている間は今しか知らないし、将来のことなど誰にもわかりません」。それがわかるのです。私たちが死んだ時、後悔しても間に合いません。誰も付き添ってはくれないし、その楽しんでいる時は、もっと私たちにトラブルをもたらします。例えば、私たちが肉や魚、お酒を楽しめば、体が悪くなるだけです。ですから、病院には肉や飲酒した人たちで満ち溢れています。菜食の人はあまり病気をしません。私たちが死ぬ時は、この因果だけが私たちと離れることなく、親戚も友人も、誰も私たちに付き添うことはできません。

もし私たちがマスターに従って修行し、印心を受け、観音法門を修行すれば、あるいは夫婦が一緒に修行すれば、家庭の幸せを楽しめるだけではなく、一緒にこの世を離れることができ、この方が永久的です。1、2時間を犠牲にしてメディテーションをすれば、永遠に一緒にいられるのです。この方が利息が高いでしょう。(拍手) 決して損はしません。マスターと共に修行すれば、利息は高く、損することはありません。

陰陽の法律はこのようなものです。もし陰が多すぎると、私たちはこの陰の場所に留まります。これは因果というもので、陰の種をまけば陰となり、陽の種をまけば陽となって、上に上がっていきます。でも、もし私たちが両方の種をまけば、陰陽ともバランスよく、ネガティブ、ポジティブが合わされば、私たちはバランスの取れた衆生、仏陀になれます。「仏陀」は完全に陽ではなく、陰もあり、陽もあるのです。ですから道家のシンボルを見ればわかりますが、片方は陰で、もう片方は陽です。陽の中にも少しの陰があり、陰の中にも少しの陽があります。それは、一人の道家、一人の道を得た者は、ネガティブとポジティブ両方を備えていなければならず、完全に陽ではなく、完全に陰でもないということを意味しています。もし彼が全部陽だったら、衆生の陰の資質を理解できず、彼らに寛容にできないでしょう。衆生の心をわからず、彼らとコミュニケーションができず、彼らの苦しみを慰めることができません。また、彼が陰になり過ぎても、私たちと同じく飲食遊楽にふけり、無明で、悟らず、パワーがなければ、私たちを助けることもできません。

ポジティブパワーや人を助ける能力は、みんな私たちの内にあります。それはすなわち「性本善(本性は本来善である)」を意味します。今私たちのそこが詰まっていて、カルマによって取り囲まれているのです。目では見えませんが、もしある人が、その陽の気を開ける専門家であり、私たちを修理してくれれば、私たちは利益を得ることができます。印心がそうです。マスターが修行仲間や弟子を助け、彼の慈悲や愛のパワーを引き出せば、その慈悲や愛は毎日彼の面倒を見てくれます。カトリックではそれを神と呼び、その慈悲や愛を認識することは、神を認識することなのです。

修行者の磁場

もし私たちが修行しなければ、往生した後はどこに行くのでしょう。地獄はあるのでしょうか。天国はあるのでしょうか。答えは「あります」。地獄とは何でしょう。それは私たち自身のカルマによって作られるものです。私たちの暗黒な思想、間違った行動が、一種の磁場、雰囲気を形成します。どんなものも消えることなく、宇宙の中に蓄えられます。私たちが何かを話せば、それは消えることなく残り、何かを考えても、消えることはありません。身、口、意(行動、言葉、考え)を専門的に録画するものが存在し、たとえ身、口、意が正しくても正しくなくても、ある特別な雰囲気に変化し、私たちを囲み、私たちに従って、どんな所へもついていきます。生存中、私たちを取り囲み、科学ではそれを人の磁場と呼んでいます。私たちが死んでからも、この磁場はもう一つの体にしがみ付きます。あなたが偉大な、非常にパワーのある修行者であれば別です。その場合あなたはそれを取り除くことができます。さもなければ、そんなに簡単ではありません。数百年後に、その磁場は自然にゆっくり消滅し、他のところに行ったり、あるいは状況や他人に吸い取られ、徐々に消えるのです。

例えば、私たちに大きな工場があったとします。いろんなものを作れば、煙突から黒い煙が出てきて、黒い雲を作ります。この黒い雲はすぐには消えないため、工場がたくさん建っている場所は、空は黒い雲だらけになり、人体によくありません。世界にはそのような場所が多く、黒い雲に包まれているため、酸素が不足し、人々や子どもは酸素マスクをしなければなりません。

同様に、私たちもまた内にある雰囲気が出てきて、愉快あるいは不愉快な雰囲気を作り出します。それが人を心地よくさせたり、心地よくなくさせたりするのです。私たちが雰囲気を作り、私たち自身が一番に影響され、他人にも影響を与えます。例えば一人の人がタバコを吸えば、その人の体を傷つけるだけでなく、隣の人もそれを吸い込んで不愉快に感じます。ですから私たち修行者は、最も他人の助けとなっているのです。私たちは自分の身、口、意に気をつけ、悪いことをしない、話さない、自分も他人も傷つけないことに注意する一方で、他方では上からの陽のエネルギー、神のパワーを吸収し、これが私たちを加持して、ますます聡明になり、より無形の神通力を備え、自分を助けるだけでなく他人をも助けます。私がここで言う神通力は、「フーラー・フーラー・ハップ」といった、人に見せる神通力ではなく、それをはるかに超えるものです。それは仏陀の神通力、イエス・キリストの神通力です。私たちは自然に他人を助けることができます。自分自身が必ずわかるとは限りません。でも、明らかに感じられ、時にはわかることもあり、故意にするのではありません。まるで花のように、故意に香りを放たなくても、自然と香りがするのと同じことです。

私たち修行者の身、口、意がよりきれいになれば、より多くの智慧、大きなパワーが得られます。どんなことをするにしても、自分や他人の利益となり、私たちはますます偉大になり、昔のように暗くて人に疲れを感じさせる、カルマの重い磁場になることなく、愉快でさわやかな、人を助ける磁場を自然と発散できるのです。イエス・キリストが存在して、彼のパワーを知っている人がたくさんいました。ひどい病気を患っている一人の女性が、こっそりとキリストの服に触れただけで病気が治りました。それはキリストが、「フーラー・ハップ」といった神通力で彼女を治したとは言えませんね。違います。当時キリストは、パワーが誰に盗まれたのかわからなかったため、周りを見回して、「さっきはどなたが私の服を触りましたか」と尋ねました。するとついにその婦人も怖くなり、立ち上がって懺悔しながら、「私があなたの服を触りました。今、私の病気が治りました。ありがとうございました。どうかお許しください」と言いました。そしてキリストは「いいでしょう。気にしないでください。あなたの深い信心があなた自身を救ったのです」と答えました。それが本当の神通力です。彼は故意に何らかの神通力を使ったのではありません。彼自身が神通力なのです。どんな人でも彼と関わり、彼に触れると、利益が得られるのです。

内なる音

それから、ある耳の不自由な人がキリストの助けにより聞こえるようになった話も聞いたことがあります。ここの「聞こえる」は、耳で聞くとは限らず、私が知る限りでは、この「聞こえる」は、「内面で聞こえる」ということでしょう。私の弟子にも耳の不自由な人がいますが、彼もまた内在のマスターの音、神の音が聞こえます。通常人々の耳が正常であっても、そのような音は聞こえず、この世界の音しか聞こえません。神の音には彼らの耳は不自由なのでしょう。マスターの弟子になった耳の不自由な人たちは、この世界の良し悪しは聞こえませんが、最も良くてきれいで楽しく、最も智慧があって助けになる、救ってくれる音は聞くことができるのです。その音は私たちが聞こえる外面の音よりもはるかにすばらしいものです。ですから、外面の音が聞こえても大したことではなく、内在の音が聞こえるほうが重要なのです。

この内在の音は耳で聞くべきではありませんし、もし私たち自身でそれが聞けたら、それはいいことです。もしだめだったら、耳のつけ根を開いてくれる専門的なマスターを見つけるべきです。彼に内在の耳のつけ根を開いてもらって初めて聞くことができます。ですが時には私たちが聞こえる音は、必ずしも高いレベルの音とは限りません。しばしばすでに音が聞こえたり、あるいは光が見えていたとしても、やはりマスターを見つけ、私たちのレベルは一体どこまで達しているのか、その裏付けが必要です。それからマスターの力によって、私たちをその段階から引っ張り上げ、レベルアップさせるのです。時には前世で修行したために、今生で音が聞けて、光が見えることがありますが、マスターがいないと、より高い境涯に行くことができません。マスターは最高のレベルから降りて来たためにその道がわかるのです。それで私たちを最高のところに連れて行くことができるのです。

ポジティブパワーを開く

Q:マスター、あなたの言うポジティブパワーはよくわかりましたが、もう一つ教えてください。どんな状況において、このポジティブパワーが私たちを助けてくれるのですか。先ほどマスターはいろんな例を出されましたが、もう一つ例を挙げていただけませんか。

マスター(以下M):いいでしょう。この世の中で、ポジティブパワーは実にたくさん働いています。私たちにはさほどその助けを感じることはありませんが、確かに助けとなっています。例を挙げると、どんな時でも私たちが自分のポジティブパワーを使えば、私たちは幸せに感じられます。仮にあなたが貧乏で病気の、世話する人もいない人を見ると、突然心を動かされ、その人にお金の援助をし、しばらく世話をします。すると、自分自身が心地よく感じます。それがすなわちポジティブパワーが他人を助け、自分を助けることなのです。それは目の前で見たり感じたりするだけではありません。これから先あなたが病気をしたら、あなたが当初他人を助けた以上に、他人から多くの助けを受けるのです。例えばあなたが人に100円をあげると、今度あなたが病気したら、人から一万円もらったり、病気でなくても時々病人を助けていると、将来病気しないのです。それがポジティブパワーが私たちを助けているということです。

でも私たちはこのポジティブパワーをあまり使っていません。なぜならば私たちが弱すぎて、いつもネガティブパワーにコントロールされているからです。ですから、私たちのそのポジティブパワー、最大のパワーの蛇口を開いてくれる、在世のマスターを探すべきです。今、その蛇口は故障して、毎日一滴、一滴、一滴しか出ません。彼がそれを直してくれればすぐにたくさんの水が出てきて、使い切れないのです。やがて自分に水がたくさんあれば、修理もいらないし、一滴ずつ一日中待って、ようやくこれだけの水といったこともなく、蛇口をひねれば、すぐにあふれんばかりの水が出てきます。

ポジティブパワーは私たちの内にあります。例えば印心した後、みなさんは毎日神や仏性、マスターと通じ合うのです。またキリストや仏陀、観音菩薩を見ることもでき、彼らと対面して、何でも質問できます。私たちの要求も、すぐに本当のことになります。私たちがその最大のパワーと繋がれば、使い果たすものはありません。真のポジティブパワーというのはそういうものです。これから先、彼が私たちの霊魂を世話し、この世の中においても、彼は私たちの生活の世話をしてくれます。すべてが良く、すべての面で良いのです。観音法門はどんな病気でも、例えば悩みの病、無知の病、貪り、怒り、愚かさの病、あるいは地獄、餓鬼、畜生の病もまた治します。私たちはただ天国に、ニルバーナに導かれます。地獄に落ち、再び人間となって苦難に遭ったりはしません。もし私たちが再び人間になりたければ、それもできます。他人を助けたければ、再び人間として戻れます。でもそれは私たちの意志でしたことで、決してカルマに引っ張られ、輪廻や苦難を受け、無明な人間になることはありません。

ポジティブのパワーは不可思議です。まだ開かれていない時は、私たちは大変苦しく孤独ですが、開かれると、ますます偉大で、ますますパワフルに感じ、より満足して幸せに感じ、不足することなく、この世界の物質に未練がなくなります。その時私たちは簡単に世界を捨て去ることができます。今みなさんのポジティブパワーがまだ開かれていないため、私がこんなに話しても、あまりわかっていないようですが、印心をして開かれればこれから毎日わかります。ポジティブパワーがどのようにして私たちを助けるのかが毎日わかります。今まだ開いていないのに、何を話したらいいでしょう。もしお金がなければ、何を買ったらいいのかわかりません。お金があればわかります。パンを買ったり、豆腐やグルテン(笑い)を買ったりできますし、結婚することもできます。ネガティブパワーもまた他人に利益を与えられるのです。

Q:マスター、先ほどポジティブパワーのことを紹介してくれましたが、よろしければ、今度はネガティブパワーが私たちに与える役割を説明していただけますか。

M:もし私たちがネガティブパワーを克服できるのなら、それもまた私たちの助けとなります。例えば、お金は人を誘惑する、殺し合いの引き金となる、夫婦を離婚させる、兄弟姉妹を別れさせる、家庭に不和をもたらす、賄賂をもらって貪欲な役人が多くなる、多くの人を悪人に変える、などとみなさんは言いますね。でも、もし私たち自身がお金の使い方を知っていれば、お金は多ければ多いほどいいのです。大丈夫です。もし貪欲な人あるいはお金にコントロールされる人がたくさんのお金を持てば、彼らはもっと貪欲になります。しかしお金をコントロールでき、それに関心を持たない人がいれば、気前よくお金を使い、たくさん持っていてもそれはいいことで、貧しい人々や孤児、未亡人たちを助けることができ、病院を建てたり、病人を助けたりできます。ですから、お金は悪いものにはなりません。

ネガティブパワーは、電気のように、正と負の両極があります。もし負の極がなければ、ライトは光りません。ですから、ポジティブパワーとネガティブパワーは、同じパワーなのです。ただ働きが違うのです。私たちがその使い方を知らないために、悪くなるのです。だからこそマスターが必要なのです。彼はネガティブパワーをどのように使えば私たちの利益になるかを教えてくれます。観音法門を修行すればわかってきます。本来ならば良いことも悪いこともなく、ポジティブもなければネガティブもありません。ただ私たちの見方が違うだけで、理解していないだけです。悟りを開いていない人にとって、ポジティブパワーはそれほど良いものでもなく、彼は使い方を知らないために、それを利用して悪いことをします。例えば、悟りを開いていない人が、ある人の好意を知った時、それを利用してお金を借り、それから外で酒を飲んだり、賭博をしたりするのです。でももしそれが悟りを開いている人であれば、たとえネガティブパワーであっても、それを利益のあるものに変えられるのです。

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