マスターの言葉

仕事をすればするほど、悟りを開く

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・ 西湖 1992.4.25(中国語)ビデオテープ No.243

私たちが仕事をするのはすべて自分のためです。なぜなら、私たちは常に仕事をしていると頭の反応が速くなり、問題にあった時、すぐに解決法を見つけられるからです。そして習慣になるので、その後、どんな困難、どんなトラブルに遭ってもすぐに処理でき、速く解決することができます。ふだん仕事をしない人たちは、頭の反応が遅く、善意で仕事をしても、そんなに速くはできません。なぜなら、彼らは仕事に関する常識がなく、速く反応する習慣もなく、注意深く仕事をしていないからです。

私たちはたくさんの仕事をすることによって注意深くなります。仕事をすればするほど注意深くなります。なぜなら、経験するからです。学問や聡明さなどは本からだけではなく、みな経験からのものです。どんな仕事をするにもみな同じです。多くすればするほど自然に反応が速くなり、能力がより高くなり、自分が鍛えられて習慣になるのです。

私は悟りを開いた後で反応が速くなり、何でもできるようになったのではありません。私は幼い頃からずっとこうでした。というのは、何かをするのが好きだったからです。幼い頃、だいたい8、9歳のまだ小学校に行っていた頃、家には3、4人の使用人がいました。けれども私は自分で水を運んだり、薪を拾ったり割ったりしました。時々両親のために自分で料理したり、父のためにお茶を入れたり、風呂を沸かしたりしました。その上、私は自分で洗濯をしたり、服にアイロンをかけたり、自分のことは自分でやりました。ですから、使用人は私の世話をする必要がありませんでした。その時、私はまだ小学校を卒業していませんでした。小学校2年生になると、私は自分で自分のことができました。ですから、速く反応する能力を自分で身につけたのです。私は天国から下りて来て聖人になり、みなさんに指示をして仕事をさせているのではありません。みなさんが目にする仕事は何でもできます。例えば左官や大工などの仕事は、すべて自分でできます。しかもその道のプロよりもうまくできます。

私たちの仲間は穴掘りに慣れているので、今では専門家よりも上手です。この山の樹木はすべて彼らが自分で掘って、自分で植えたものです。彼らが穴を掘っている時、プロですら驚いて「まあ、あんなにすばらしい掘り方は今までに見たことがない」と言いました。彼らが木を植える時は、ただ植えるだけではなく木の根を縄で縛ります。彼らが縄で木の根を縛るのを見ると、本当にすばらしいとわかります。プロでさえこんなふうにはできないでしょう。なぜなら、彼らはそこまで関心がないからです。しかも時間を省いて早く完成し、早く帰りたいと思うだけです。お金が儲かりさえすればいいのです。ですから、責任を取ろうという気持ちがありません。あっても、そんなに注意深く縄で木の根をきれいに縛る人はいないでしょう。

私たちの仲間はこのような縛り方をしたので、根の周りに土がよく付きました。そうでなければ土が落ちてしまいます。それでみなさんが見たように、すべての木が大きく成長しているのです。植えた後、大部分の木は生き生きしています。もちろん枝が弱すぎたり、あるいは植えた時に土が落ちてしまったために、木の葉が少し落ちてしまった木もありますが、ほとんどの木はきれいに縛ってあり、縄を何重にも巻きつけてあるのです。みなさんは外で木を買う時、こんなにきれいに縛ってあるのを見たことがないでしょう。みなさんはこんなことを重視しないのです。私は自分の目で見たので知っているのです。この人たちを称賛しているわけではありません。本来はこのようにすべきであって、何も称賛することはありません。ただ外の人は正しくしてなく、修行仲間が正しくやっているだけです。

彼らのやり方は本当に専門家のようです。なぜなら、この様な仕事に慣れているからです。しかもここにはたくさんの樹木を必要としていることがわかっています。一本の木でも多く増えれば、私たちの喜びも増し、センターもさらに美しくなります。大勢の人々がここに来て多くの利益を得れば、私もうれしいのです。ですから、彼らはこんなに注意深く仕事をし、心を込めてするのでこんなにうまくできるのです。外の人はお金を稼ぐためだけで、仕事を早く仕上げ、多くすればするほどいいと思っています。ここが違うところです。

仕事をするには、頭を働かせてアイディアを出さなければなりません。例えばある日、私は彼らに木の板を使って樹木を移動させました。このようにすればより良く、早く力が省けるからです。仕事に慣れていると自然に反応が早くなります。私の脳はみなさんと同じなのに、なぜみなさんはできないのでしょう。もし私たちの脳を解剖し、分析して比べると、どんな人の脳も私の脳と同じだとわかります。中の資質は同じなので、私の脳がみなさんのよりも優れているとは言えません。みなさんは同じ脳を持っているのにどうしてよく使わないのでしょう。それはあまりにももったいないことではありませんか。

もしみなさんが自分を甘やかしたり、そこにずっと止まっていたり、続けてやけになったり、怠けたり、だらしなくなったとしても、それはみなさん自身の選択なのです。仏陀や菩薩を責めてはいけませんし、カルマや他のもののせいにしてはいけません。自分の頭でよく考え、よく使わないからです。私の脳はみなさんのと同じです。同じ資質です。はっきり言うと、私の脳はみなさんのよりもちょっと小さくて、軽いのです。ですから、みなさんは私よりも賢いはずです。実際に測ったら私の方が負けます。みなさんはどう言い訳しますか。
ですから、みなさんは自分で選択してください。もしみなさんが自分の頭をよく使い、無理やり働かせて、自分に対して厳しくすれば、私がみなさんに対して厳しくする必要はなくなります。みなさんが自分に対して厳しくすることが、私を愛していることを表すことになります。私はたくさんのエネルギーを節約できるからです。みなさんを叱ったり、悲しく思ったりする必要がなくなり、たくさんの不愉快なことが避けられて、師弟の感情を壊すことがなくなります。そして、多くの時間を節約し、もっと良い仕事をすることができます。さらにみなさんと一緒にお茶を飲んで、宇宙の一大事について語り合うこともできます。

みなさんは、私を手伝うことは大したことだと思わないでください。あるいは何かの仕事をして、ほんの少しの功績があっただけで、すぐにあたふたと興奮した雰囲気にします。そのような手伝いは、ますます忙しくさせるだけです。他の人は私たちの仕事はすでにうまくできていて、手伝いは不必要だと思うのです。実際には他の人は私たちの仕事を手伝う必要はないのです。というのは、神が私たちにその才能を与えてくれたのは、私たちにその仕事をさせるためです。他の仕事をさせるためではありません。他のことをしても構いませんが、うまくできなかったことを成し遂げるために、来世は再びここに戻って来なければなりません。なぜなら、その仕事は私たちが学ぶべきことだからです。

すべての仕事は私たちが学び、成長するための道具にすぎません。ですから、実際に私たちは何の仕事もしていないのです。みなさんは、自分の仕事が辛いと文句を言わないでください。それは、ただ私たちが学ぶための道具なのです。神はこの方法を通して私たちを教育し、悟らせ、私たちが自分自身の才能を発揮し、個性を磨き、行儀正しく、風格を養い、細心の品性を養う機会を与えてくれるのです。どんな仕事でもみな同じです。なぜなら、私たちはそのような方法で、別のことを学ばなければならないからです。

もし私たちが本当に心を込めて仕事をするなら、どの仕事からも何かしら学び取ることができます。例えば、それは一つの手本のようで、それによって私たちは他の物事を悟ることができます。ですから、みなさんは仕事をしている時に、ふと多くの道理を悟ったりする場合があるのです。仕事そのものが鍛錬する方法の一つであり、私たちの個性、忍耐力、才能、悟りのレベルなどを計ることができるのです。ですから、みなさんは仕事を恐れないでください。仕事を恐れるのも一種の恐怖感です。私たちは仕事をすればするほど悟りを開くのです。

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