マスターが話す物語
約束を忠実に守る
スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖 1995.1.22(中国語)
この物語は私たちに、約束は常に守るべきであると忠告しています。約束をしっかり守らなければ、自分自身にたくさんのトラブルを招きます。時々私たちはこうする、ああすると誓いますが、そう誓ったならきちんと行うべきです。さもないと、自分の信仰心がますます少なくなり、祈っても感応がなく、何をしても実を結ばなくなります。
時には、私たちは仏陀や菩薩あるいは神をだますのです。彼らにこうする、ああすると言っておいて、その後で何もしません。誰も聞いていないとか、神にはそのようなことは必要ないだろうと思い、なおざりにしてしまい、自分が言った約束を守りません。以前、みなさんに何度か言ったことがあるように、一部の難民が海に逃げ延びた時、観音菩薩に「もし私が順調に第三国に着けたら、必ず二年間菜食をします」と誓いましたが、その後二年間菜食するはずだったのに実行せず、かなり引き伸ばしてしまいました。本来二年間菜食すると言ったなら、毎日菜食すべきです。しかし、その後しなかったのか、忘れてしまったのか、「大丈夫、週に一日菜食をするか、月に一日菜食すればいい」と言うのです。そして、その二年間をかなり引き伸ばしてしまいました。
この物語も同じような内容です。ある日、ある人の子どもが高熱を出して、ひどい病気にかかりました。その人はとても心配しましたが、医者に見てもらうと、このような病気は治療方法がないと言われました。そして、その人は女神ドゥルガー(インドにおける最初の女神。彼女の主な任務は邪悪な衆生を罰すること)に祈りました。この女神はインドではとても名高く、多くの人が彼女に助けを求めていました。おそらく彼女はマスターだったのでしょう。
インド人は数多くのいわゆる神を拝みます。それらの神は以前、別々の場所で有名になったマスターだと思います。おそらく、彼らが在世の時はとても効き目があったので、みんなが拝みに来たのでしょう。ですから、インド人が数多くの神を拝むというのは正しいですが、正しくないとも言えます。実際、彼らは過去のマスターを拝んでいるからです。例えば、現在中国人の言う「媽祖」は、おそらく昔の有名なマスターです。当時、誰でも彼女に祈れば願いが叶うので、みな同じように祈り、それが今日まで伝わっているのです。願いが叶わなくても関係ありません。それがもう習慣だからです。
また、観音菩薩も昔の在世のマスターです。彼女が生存中、誰でも彼女に祈れば願いが叶いました。例えば、彼女の弟子がずっと祈っていると、隣人も同じように祈り、そして願いが叶いました。それで、彼らの子どもも同じように祈り続けました。観音菩薩が往生してから長い時が経った今でも、みんなやはり祈り続けています。それがもう習慣だからです。在世のマスターに祈る方が願いが叶うということを知らないのです。
この物語を続けましょう。その人は女神ドゥルガーを祭っているお寺に行き、祈りました。おそらくその時は、この女神が往生してからあまり経っていなかったのでしょう。まだとても効き目がありました。彼は「私の子どもは病気にかかりました。あなたは子どもを救ってくださいますか。子どもが良くなればここに連れてきてあなたに礼拝します。そしてあなたに100円捧げます」と祈りました。当時の100円は大金で、今の100ドルあるいは1,000ドルに相当します。当時のお金は比較的価値がありました。
その結果、女神ドゥルガーは本当に効き目がありました。彼の子どもの病気を治してくれました。普通、あのような病気は医者でも治せませんが、子どもは自然に良くなりました。これは女神の加持や助けがあったことを表しています。子どもの父親は女神に100円の供養の約束をしたことをまだ覚えていましたが、彼は今、「ああ、だめだ。子どもに薬を買うためにたくさんお金を使ってしまった。それに医者もたくさんの栄養剤の処方をしてくれたから、またたくさんのお金を使ってしまった。今の私は経済状態が良くないから、おそらく女神には50円のものを供養すればいいだろう。女神ドゥルガーは、きっと私の状況をわかって理解してくれるだろう」と思ったのです。彼は女神がきっと理解してくれると思いました。しかし、彼はそれもすぐにはしませんでした。
何週間か経って、彼はまた「どうして、女神ドゥルガーは自分ひとりで50円の物を食べきれるのだろう。彼女は神なのにそんなにたくさん食べてどうするのだろう。しかも前に読んだ経典には『もし私たちが誠実に神に供養するなら、量は関係ない。わずかな物でも私たちに誠意があれば神は喜ぶだろう』と言っているし、神はそんな物質的な供養を求めるわけがない。私たちが誠実であれば良いのだ。経典でもみなこう言っているし、女神もきっとわかってくれるだろう。だから私はお寺に行って誠実に特別な礼拝をして、5円の物を彼女に供養すればもういいだろう」と思いました。彼はただこう考えただけで、やはり何もしませんでした。
ある日、寺の鈴の音が聞こえてきました。人々は拝みに行った時に鈴を鳴らすのです。この時、彼は女神に供養しなければいけないことを思い出しました。そして、供養するために5円の物を買おうと思い、すぐに出かけました。途中で一人の友達に会い、どこへ行くのかとその友達が尋ねたので、彼はすべてを話しました。自分が5円の物を買い、女神ドゥルガーに供養しようとしている途中だということも言いました。その友達は「いや、そんな意味のないことをしてはいけないよ。女神がどうして5円の物を食べる必要があるだろう。君は本当に愚か者だ。君に教えてあげよう。寺に行って誠実に拝めばもうそれでいいんだ。それから一円くらいのココナッツを供養すればいい。重要なのは誠実であることで、量じゃないよ。わかるだろう」と言いました。
彼はけちだったので、これを聞くととても理屈に合っていると思いました。その後、彼はココナッツを売っている所に行き、一円のココナッツを買おうと思いました。そのココナツ売りは彼に、「一つ50銭です」と言いました。当時の100銭は一円です。彼は「おかしい。何でそんなに高いのだ。一つ40銭で売ってくれないかい」と言いました。するとココナツ売りは「そんな値段で買いたいなら、大きな市場に行くしかないね」と言いました。
それから、彼は大きな市場まで、遠い道のりを歩いて行き、やっとたどり着きました。そこではココナッツは本当に一つ40銭で売っていたので、彼は市場の人に「私はあんなに遠くから歩いてきたのに、どうしてココナッツ一つが40銭なんだい。あまり変わらないじゃないか。一つ20銭でいいだろう」と言いました。その人は笑いながら「本当に一つ20銭で買いたいなら、ココナッツ果樹園に行かなければそんなに安く買えないよ」と言いました。彼はそれを聞いて、果樹園へ買いに行くことに決めました。
また、とても遠い道を歩いて、ココナッツ園をやっと見つけました。そしてココナッツ売りは「OK、一つ20銭であんたに売ってやるよ」と言いました。彼は「私はあんなに遠い道を歩いてきたのだから、一つ10銭で売ってくれないか。どうして20銭なんだい。一つ20銭だったらあまり変わらないじゃないか。こんなに時間をかけて遠くから歩いてくる必要がないだろう」と言いました。その人は「一つ10銭で欲しいなら、自分で木に登り、ココナッツを取るしかないね」と答えました。
彼はとてもけちなので節約したいと思い、本当に木に登りました。彼はずっと上に登って行きましたが、経験がないので木から落ちそうになり、木にぶら下がったまま「助けて!」と叫びました。その時、女神ドゥルガーの霊魂がココナッツ売りの体に入り、彼を助ける条件として100円を要求しました。(笑い) 彼は自分の命のために、100円の要求に同意しました。救われてからその人の家に行き、すぐに100円を払いました。交渉の余地はありませんでした。その時、彼はわかったのです。次の日、彼は寺に行って泣きました。自分が女神に100円の供養を約束したのに、供養しなかったので、このようなことになったのだとわかったのです。