マスターの言葉
修行者は慎重に魔の罠を
スプリームマスター チンハイ フォルモサ・台北
私たち修行者ははっきりと理解すべきです。そうすれば騙されません。毎回テストで必ず何人かは落ちます。みなさんは、私以外のどんな人の話も聞いてはいけません。そうでなければ、みな一緒に「魔」の手に落ちてしまいます。軽率に誰かの話を聞くと自分のレベルを下げることになり、その人があなたのレベルより高いと認めることになります。そしてあなたはその人の手下になってしまいます。
世間にはその種の偽のマスターが大勢いるので、一人増えてもたいしたことではありません。しかし、みなさんのような智慧のある人が騙されるのは非常に残念なことです。どうして自分の主人にならないのですか。誰かが何か言ったら何でも信じ、自分の智慧を使わずに盲目的に信じてしまいます。こうなると、みんなから智慧がなく、修行が良くないと笑われてしまいます。
もし、みなさんが何か私の仕事を手伝っているのなら、さらに気をつけるべきです。傲慢な心が出てこないようにしなければなりません。人を手助けするのは、つまり私たちが自分の仕事をするのと同じです。傲慢にならないようにすべきです。そうすれば、魔に騙されません。たとえば、みなさんが毎日仕事に行き、そして社長から毎月1万、2万の給料をもらうとします。それでみなさんは非常に傲慢になりますか。社長のために仕事をして、それで自分が非常にすばらしいと思いますか。そうは思いませんよね。とても恐れています。間違いを恐れています。自分はこの仕事に値しないと恐れています。仕事がうまくいかなければ、社長に首にされると恐れています。そうではありませんか。(答える:はい)
私たちが仏陀や菩薩の仕事を手伝うとき、そのように謙虚で、注意深く、慎重でなければなりません。ほんの少し仕事を手伝っても、それはたいしたことではありません。私たちが仕事をすることは、功徳を得て、自分のカルマを洗い、仏陀や菩薩になるのを学ぶのです。これは私たちに与えられた学習の課題です。この学習のチャンスがあることに感謝しなければなりません。どうして傲慢になれますか。傲慢な心が出ると魔はすぐに来てテストをします。
あるいは、私たちが仏陀になることをあせると、必ず魔は私たちをテストしに来て、もう仏陀になった、と言います。時には、魔は一人の生き生きとした衆生の姿になります。私たちがメディテーションをしている時にぼんやりとした姿で現れるとは限りません。一人の人間を利用して、あなたの家の前でチャイムを鳴らして、「私たちは良い友達です。私はあなたがもう仏陀になったことを知っています。あなたはもうすでに第八界に到達しています」と言います。私は「猪八戒」だと思いますが。(笑い)
私たちが修行するのはそれほど難しいことではありません。仏陀になるのも難しくありません。人に教えることも難しくありません。自分自身を訓練することが本当に難しいのです。私たちはまず自分自身をよく訓練して名利心を閉じ込め、あらゆる汚れた思想をすべて洗い、きれいにしてから他人を洗ってあげられるのです。自分自身がとても汚れているのに他人を洗おうとすれば、その人たちを汚してしまいます。本来、彼らはまだそれほど汚れていないのに、私たちが全身泥だらけで彼らを洗おうとしたら、結局ただ泥を彼らの体につけてしまうだけなのです。あるいは、彼らの洋服も汚してしまい、さらに人を汚くしてしまいます。
ですから、衆生を手助けすることが難しいのではなく、自分を手助けすることが難しいのです。中国にはこんなことわざがあります。「自分に打ち勝つことは最も難しいことである」。何億人に勝つのは難しいことではありません。暴力、強迫、金銭、弁舌を使えばいいのです。しかし、自分に勝つことが本当に難しいのです。なぜなら、私たちは自分を騙すことはできないからです。夜も眠れず、守護天使がやって来てあなたのレベルを尋ねて言います。「よくもまあマスターを引き受ける勇気があるものだ! どうやって天人導師(天界と人間界の師)になれるっていうのかね」と。
そして、しばらくして「黒白」(死の国からの使者)も「挨拶」に来ます。(笑い) 彼らはあなたに「あなたはもう時間です」と言います。その時は、私にもどうすることもできません。時間になれば黒白と一緒に行き、自分の面倒を見なければなりません。なぜなら、あなたは私の保護するパワーを認めていないからです。私も無理強いはしません。無理してあなたに受け入れさせようとはしません。みなさんが求めれば、私は与えます。みなさんが求めなければ、私は取り戻します。
世間で修行者と言われる人は少なくありません。神通力を持つ人も少なくありません。しかし、私たちははっきりと認識する必要があります。そのような粗雑なパワーと仏陀のパワーとは違います。仏陀は人に無理強いしません。仏陀は理論を使い、大智慧を使って私たちの智慧を開きます。そして、私たちは自分で理解し、自分で受け取ります。逆に魔は計略、神通力、脅迫、甘い言葉、嘘を使って、無理やり信じさせようとします。時間がたてば私たちの目も覚めますが、それは非常にもったいないことです。ただ時間を浪費して、私たちのレベルは下がり、しかも心は傷つき、簡単には回復できません。本来、懐疑心は簡単には洗えないのです。今また一つ増えると、非常に難しいのです。レベルがいったん下がると、元に戻るのは簡単ではありません。
私たち修行者はもちろん単純な心が必要です。しかし、単純な心と愚かな心とは違います。単純な心とはつまり、人の悪いところを考えず、人を呪わず、善良なことを行い、人の手助けをして安心させ、できることは何でもできる限りするのです。人のことを軽率に疑いません。愚かな心とはつまり、他人が何を言ってもすべて服従してしまうことです。そして、神通力を貪り、レベルを貪り、人々の賛美を貪るのです。賛美の毒薬を飲むとしばらくして中毒になります。そして判断力を失い、論理的か道理に合うかどうか、そのような人が賛美に値するかどうか、彼らのそのような目を見ていいのかどうか、判断できなくなります。
みなさんはどうしてそんなに急ぐのですか。時間をかけて判断してください。もし、自分で判断できなければ、マスターはまだいますので聞いてください。私たちはまだたくさんのことがわかっていないので、マスターに尋ねる必要があります。みなさんはどうしてここまでマスターのことを軽視するのですか。尋ねようともしません。自分自身はフラフラ、コソコソと何人かで集まって革命を起こそうとしています。冗談ではありません。みなさんがやっていることを私が知らないと思っているでしょう。私は「望遠鏡」で見ています。子どものように騒いで満足していて、とてもおかしいです。そして、何人か一緒に魔に取りつかれているのに非常に喜んでいて、それを両親が知らないと思っています。
マスターとしての責任を果たすために、私はみなさんに警告しなければなりません。子どもの戯れに口出ししているのではありません。どれだけの人が落ちても私には関係ありません。しかし、みなさんは慎重に考えるべきです。人が何をしているのか明確に理解すべきです。マスターがまだ在世のときは、どんな事でもまず相談してください。もしマスターからの話が通じなかったり、私たちに解釈する能力がなかったりしたら、その時は自分で決めればいいのです。
みなさんはもうすでにマスターに従っています。少なくともみなさんに対するマスターの責任を尊重しなければいけません。私はみなさんにマスター個人を尊重することを要求しているのではありません。ただ、みなさんは覚えておくべきです。私はみなさんに対して責任があります。三界を超えたところまで、みなさんを連れて行かなければなりません。それで、ようやく私の責任が終わります。万が一、途中でみなさんが私を捨てたなら、私も責任が果たせなかったと感じます。そして私たちは双方が悲しくなるのです。
宇宙には宇宙の法律があります。私たちはしたいことを勝手にしていいわけではありません。霊的修行の世界はとても危険です。私たちはみだりに遊んで走り回ってはいけません。そうでなければ、自分を傷つけ他人も傷つけます。そして地獄が私たちを待っています。提婆達多(デーバダッタ)は釈迦牟尼仏のいとこです。釈迦牟尼仏が在世のとき、彼は釈迦牟尼仏に反抗しました。そして自分の弟子を集めて別の宗派を作り、自分も釈迦牟尼仏のような、いわゆるマスターになりました。釈迦牟尼仏は往生の後、涅槃に入りとても高い境界(きょうがい)に行き、栄光があり正大で、全宇宙が彼のことを信頼しました。そして、彼の上の世界でのレベルはますます高くなりました。提婆達多が亡くなった後、どこに行ったかみなさんは知っていますか。(答える:炎の地獄)
そうです。
ですから、私たちは何かをするときは慎重にすべきなのです。人がマスターになったのを見て、自分もマスターになろうとしてはいけません。マスターは地位や肩書きではありません。また、語っている言葉でもありません。マスターとは別の種類のパワーであり、全宇宙から認められたのです。簡単に話しているのを見て、自分にも話せる、こうすればマスターになれると思いますが、そうではありません。クッキーを宣伝することは誰にでもできます。しかし、人に食べさせるクッキーがあるかどうかは別のことです。私たちはそういう泥で作られたクッキーで「これは同じものです」と、人を騙してはいけません。それを食べるとお腹に問題を起こして、死んでしまいます。
| 目次へ |