マスターの話す物語
黄
金 の 鹿
仏陀の前世の物語
スプリームマスター チンハイ カンボジア・プノンペン国際禅七
1996.5.14(英語)ビデオテープ 548
これは「黄金の鹿」という物語です。
この本の中には「金色の…」という題名の物語がたくさんありますが、(マスターは読んでいる本の中から引用する)私はちょうどこの物語を選びました。理由はわかりませんが、おそらく、鹿が好きだからでしょう。この物語は仏陀の前世の話の一つです。みなさんも何であれ「金色の」生き物と聞くと、仏陀に関係があると見当がつくでしょう。私が紹介するまでもないですね。
昔々、ベナレスに大変お金持ちの商人が住んでいました。彼にはマハダナカ・アーナンダという名の一人息子がいました。これは「お金しか知らない人」という意味です。大変よくない名前ですが、「アーナンダ」は至福を意味しているので、おそらく、彼はお金からしか幸福を得ていなかったか、ただのニックネームだったのかもしれません。
彼は一人っ子だったので、小さい頃から両親に甘やかされて育ちました。それで、彼は親のお金で歌ったり踊ったり、パーティーをしたり、友人たちと遊んだりする以外は何も知らずに成長しました。適齢期になると、両親は彼のために妻を見つけました。それから間もなく両親は亡くなりましたが、その後も彼は一日中遊び人の友達と一緒に毎日酒を飲み、ギャンブルに明け暮れていました。
その結果、父親のお金はまたたく間になくなり、彼は他人から借金をしなければならなくなりましたが、負債を返済する方法は全くありませんでした。彼はお金の稼ぎ方も、貯金の方法も知りません。おそらく節約方法を教わらなかったのでしょう。親にも責任があったのかもしれません。お金持ちの息子であることだけではなく、人間としてどうあるべきかを教えるべきだったからです。
彼は多くの人から借金をしていたので、債権者たちは絶えず彼の所へやって来て、返済を迫りました。やがて彼は恐怖と不安からひどい絶望状態になり、どうしていいのかわからなくなってしまいました。とうとう彼はある行動を決意しました。ひどい憂うつと絶望に打ひしがれ、彼は債権者をみな呼び、ガンジス川の堤の近くに宝物が埋めてあると話しました。そして、明日、自分と一緒に来てその宝物を見つけ出せば、借金は返済できるだろうと言ったのです。
翌日、債権者たちはみな大喜びで彼について川岸にやって来ました。商人の息子はあちこちと探すふりをしました。彼の行動はすっかり途方にくれたように見えましたが、債権者たちは彼の後をついて行きました。けれども、彼は自殺を図るつもりだったのです。すべては彼のお芝居でした。そして、ちょうど川の急流にさしかかると、彼はざぶんと飛び込んでしまいました。債権者たちはみなひどく驚き、なすすべもなく立ち尽くしていました。川の流れがあまりにも激しかったので、誰も彼を助ける勇気はありませんでした。
彼の姿を完全に見失った債権者たちは、残念そうに帰って行きました。彼はきっと溺れ死んだのだと考えました。激しい川の流れに、遠く、遠く、流されてしまって、下流でも彼の姿は見つからなかったので、債権者たちは去って行ったのです。けれども、青年は意識を失いながら急流を流されて行き、花の咲いたマンゴーの森を通って行ったのです。そこには、一頭の鹿が住んでいました。その鹿は大変美しく、動きが機敏で、群れを離れて一頭だけでいたのです。黄金のようなキラキラした毛が全身を覆い、ワックスで磨いたような足、そして角は銀色の巻き貝のようで、目も宝石のように輝いていました。
鹿が柔らかい草の根を優雅に食べていたちょうどその時、マンゴーの森中に響きわたる悲鳴が聞こえてきました。急いで川岸に駆け下りると、不幸な商人の息子が流れの中でもがいているのが見えました。鹿はすぐに「がんばれ! 恐がらないで。すぐ助けにいくから!」と声をかけると、川の中に飛び込み、流れに逆らって力強く泳いで男のそばにたどり着きました。鹿は男を背中に乗せると、無事に岸へ運びました。
商人の息子はひどく疲れ果て、衰弱していました。三日三晩気を失っていたので、鹿は彼に野生の果物を食べさせたりして看護しました。彼が回復すると、その鹿は男に、「さあ、これから森を出て、ベナレスに行く道を教えましょう。けれども、一つお願いがあります。くれぐれも、国王や他の貴族たちに、黄金の鹿がこの森に住んでいることを言わないでください。彼らが知ったら、きっとここにやって来て私を捕まえようとするでしょうから」と言いました。商人の息子は快く約束し、鹿は彼をベナレスに行く道まで連れて行きました。
その日の朝、ベナレス国王の妻、カマ皇后はある夢を見ました。夢の中で人間の言葉を話す一頭の黄金の鹿を見ました。そして彼女は考えました。「きっとこんな鹿がいるに違いないわ。でなければ、私がそんな夢を見るはずがないもの」。それで、彼女はブラマダッタ国王のところへ行き、自分が見た夢について話し、その鹿をどうしても手に入れたい、でなければ自分は死んでしまうと訴えました。
これは女性の策略ですね。いずれにせよ、遅かれ早かれ、彼女は死ぬのです。そんなに大げさに騒ぐことでしょうか。けれども、この国王もこの地球上の他の男と同じように、本当に愚かでした。(笑い)
妻が本当に死んでしまうのではないかと恐れていたのです。彼女が国王のために死ぬと言うなら、まだうなずけますが、一頭の鹿のために死ぬと言うなら、いくらその鹿が金色だったとしても、実に滑稽な話です。(笑い)
けれども、国王はまんまと乗せられてしまいました。とにかく、愚か者はみなさんだけではないということや、家の中では誰が本当のボスなのか、この話でわかりますね。仏陀の時代でも同じです。ですから、私はどうして今日の女性が時間を浪費して、ありとあらゆる女性の権利や、男女平等といったことについて、デモ行進をしたり、演説したりするのかわかりません。女性は男性と平等であったことなどありません。女性たちは男性より優れているのです!
私は男女どちらが平等権を争うべきなのかわかりません。ですから、あの愚かな女性たちに、そんな活動を止めるように教えてあげてください。自分自身を卑下しないでください。女性は本来、より優位に立っているのです。なぜ男女平等といった争いをしなければならないのでしょうか。(笑い)
さて、国王は直ちに賢者たちを呼び寄せ、このような金色をした、貴重でめずらしい鹿は本当にいるのかと尋ねました。すると、彼らは自信たっぷりに「はい、そのような動物がおります」と答えました。けれども、その鹿がどこに住んでいるのかは知りませんでした。すると、国王は豪華に飾られた象を連れて来させ、「この象と千枚の金貨を持って、城下のすみずみまで行きなさい。そして黄金の鹿の行方を教えてくれる者がいれば、その者にほうびとして象も金も与えると国民に知らせなさい」と使者を派遣しました。さあ、誰がボスなのか、もうわかりましたね。彼は妻のために、あっという間にこれだけの大金を使いました。その当時、おそらく皇后はすっかり年を取っていましたが、年齢と共に権力もますます強力になっていたのかもしれませんね。
そこで、その使者は白馬に乗って街を走りながら、国王の命令を大衆にふれていきました。すると、ちょうどベナレスに着いたばかりの商人の息子が、この知らせを聞きました。彼はすぐに使者にかけ寄り、「私は国王がお探しの、黄金の鹿の行方を教えられます。私を国王に会わせてください」と言いました。そこで使者は商人の息子を宮殿に連れて行き、国王に謁見を申し込み、「陛下、この男が金の鹿の居場所を知っているそうでございます」と言いました。すると、国王は大いに喜び、商人の息子に自分をその場所に連れて行くように求めました。
それから、国王は大勢の軍隊を率いて、通報者と一緒に黄金の鹿が住む森へ出発しました。たどり着くと商人の息子は、「陛下、あなたの探している黄金の鹿は、この花咲くマンゴーの森に住んでいます」と言いました。国王は臣下たちに、「弓と矢を構えてこの森を包囲しろ。決してあの鹿を逃してはならない」と命じました。国王はただ最愛の妻のために、その鹿を捕まえようと、自ら馬に乗ってやって来たのです。国王というのはどういう存在なのか、また何のためにいるのか、これでみなさんもわかりましたね。(マスターと聴衆笑う)
鹿はちょうど木陰で休んでいましたが、騒音が耳に入るとすぐに警戒し始めました。立ち上がると、少し離れた所に、国王が商人の息子や廷臣たちを従えて立っているのが見えました。鹿は心の中でこう思いました。「国王のところに行けば安全だろう。国王のところへ行こう」と。そう考えた鹿は、国王のいる所に向かって走りました。風のようにすばやく走ったのですが、国王もすぐに弓と矢を構えて鹿を射止めようとしました。鹿の足かどこかをケガさせれば、より捕まえやすくなるだろうと思ったからです。そこで、鹿は大きな声で、「偉大な国王よ! 待ってください。矢を放たないでください」と叫びました。
国王は鹿の響き渡るような透き通った声に驚き、思わず弓と矢を落としてしまいました。鹿が人間の言葉を話すのを今までに聞いたこともなかったので、廷臣や兵隊たちも驚いて鹿に近寄って取り囲みました。すると、鹿は国王の前に進み、蜜のような甘い声で話し掛けました。「陛下、私がここにいけば見つかるという情報は、どなたからお聞きになったのでしょうか」
すると、国王は商人の息子を指差して、「彼が教えてくれたのだ」と言いました。鹿は振り返ってその裏切り者を見て、悲しげに言いました。「あなたのような人を助けるくらいなら、川の中から丸太を運んだほうがましでした!」と密告者を叱りました。国王は大変驚いて鹿に尋ねました。「彼は何かおまえに良くないことをしたのか」。鹿は、「国王陛下、私はこの男が溺れていた時、安全な場所まで運び、三日三晩看護をして命を救いました。そして、私の居場所を誰にも教えないよう彼に言うと、彼はそうすると約束しました。ところが、彼の裏切り行為によって、私は今危険にさらされているのです」と答えました。商人の息子は財宝や金欲しさに、自分の命の恩人を裏切ったのです。
これを聞いた国王は大変怒り、振り返って商人の息子に、「お前はこんな慈悲深い恩を仇で返した。おまえには死んでもらおう」と言い、弓を構えて裏切り者を討とうとしました。この商人の息子はあまりの恐怖に手足が震え上がり、ひざまずきながら許しを請いました。彼の様子を見て、鹿は憐れみを感じ、「どうか彼を行かせてください。こんな卑しい哀れな人間の血であなたの良心を汚さないでください。約束の報酬を与えて追い払うのです」と国王に言いました。国王はしばらく戸惑っていましたが、結局、鹿の慈悲深い嘆願に応じることにしました。国王は商人の息子に、「お前はこの気高い鹿から一度ならず、二度も命を救ってもらったのだ」と言い、「今すぐここから立ち去れ!
そしてもう二度と私の国土に足を踏み入れるな。さもないと死刑にするぞ」と命令しました。商人の息子は立ち上がるや否やすぐに走り去って、森の奥深くに消え、二度と姿を見せることはありませんでした。
高潔で賢い鹿は、振り返って国王に、「陛下、ジャッカルや鳥の鳴き声はわかりやすいものですが、人間の言葉というものは悪智慧に満ちています。友達だと思っていた人があなたを裏切ったりします」と言いました。国王は鹿の聡明な智慧に驚き、何か賜物を授けることにしました。「金の鹿よ、願いを言うがよい。何なりと授けよう。望むものは何でも、たとえそのために私が国土を失うことになっても、おまえに授けよう!」
鹿は注意深く考えた後、こう言いました。「偉大な国王、私の願いは、あなたの王国にいるすべての動物が、永遠に危険から解放されることです」。国王は黄金の鹿の慈悲深い願いに深く心を動かされ、それを承諾しました。国王は、その日から国内ではどんな動物でも傷つけた者は誰であろうと厳しく処罰される、というおふれを出しました。国王と鹿がベナレスに戻ると、カマ皇后はかつて夢で見た、金色に輝く素晴らしい鹿を見て大喜びしました。皇后は鹿が銀の鈴が鳴るように語りかけてくるのを楽しそうに聞きました。
黄金の鹿はベナレスに残り、国王と皇后としばらく一緒に暮らしました。街全体が飾り付けられ、鹿に敬意を表して祭典も開催されました。その後、鹿は住み慣れた森に戻り、末永く平和に暮らしました。(拍手)
本当にいい話ですね。私たち人類がこの鹿の高潔な品性を少しでも見習うことができたら、この世界は天国になるでしょう。けれども、悲しいことに、どんな状況においても、多くの人はいつも自分自身のためにすべてを手に入れようとします。修行をしていても、私たちは欲深さや利己的な部分を押さえることができず、他人を犠牲にしてまで霊性の加護を奪い取ろうとします。私たちはすでに修行の道を歩いているのですから、それは、世間の人が他人から財産や所有物を奪おうとするより重大なことです。ですから、何であれ欲しい物は、自分で稼いで手に入れなくてはなりません。必要ならいつでも私たちは加護や教え、助けなどを求めることができます。必要が生じたら、それが不可欠のものだったら構いませんが、決して他人の幸せや利益を犠牲にしてはなりません。このことは覚えておいてください。
生活の中のどんな状況でも、私たちは常に思いやりがあって公平でなければなりません。自分を犠牲にしてまで、常に他人の幸せや利益を考えるようにと言っているのではありませんが、少なくとも公平に振る舞ってください。私たち修行者が公平に振る舞えなければ、どうして外の人たちが私たちに公平であるように、あるいは、誰もが平等に暮らせる世界であるよう期待できますか。ですから、ここで公平に振る舞えない人が、外の世界で他の人々に公平にできるとは思えません。私はこういう弟子は受け入れられません。特に、みなさんは、すでに長い間私について勉強してきているのですから、新しい修行仲間であったとしても言い訳にはなりません。ビデオテープ、カセットテープ、本など、何でも利用できるからです。新入りで何も知りませんとは言わせません。みなさんの魂は何が正しく何が間違っているか知っています。だからみなさんは、こうしてここに来ているのです。
自分をずるがしこいキツネに変えたいなら、それは自分自身の問題ですが、団体を犠牲にしないでください。みなさんはここに、グループ全体の加持を盗みに来たのではありません。外の世界の人が、劇場で一番いい席を争奪し合うようなことをしに来たのではありません。外の人でさえ、一番いい席が欲しい時はその分の代金を払います。外の人の方がここよりも公平です。ですから、最高の席の代価として自分の修行の成果と努力を支払ってください。ここで何かを盗もうとしないでください。私にはわかっていますから。私は何が誰のものか知っています。ここに来て何かを盗みたいなら、いっそのこと五戒も捨てたらどうですか。もうわざわざここへ来る必要はなくなりますよ。ここはみなさんの霊性のレベルを最も反映できる場所ですから、ここで私に見せられなかったら、どこで見せるというのでしょう。
どこにいても、どんな代価のためにも、私たちは自分の尊厳と崇高な目的を決して忘れてはなりません。私たちがしっかり修行し、マスターや神を愛せば、必ず神にもマスターにもわかります。この鹿の物語を見れば、鹿でさえ多くの人間より優れているのがわかります。ですから、私たちはこれらの金色の動物たちから学ぶべきなのです。たとえ彼らが仏陀の前世であろうとなかろうと、私たちは気にしません。彼らの行動は内面の霊性レベルの到達度を示しています。ですから、より高いレベルに達していないなら、私たちは自分が人間であることをあまり自慢すべきではありません。
実際、なぜ人間であることを自慢に思わなくてはならないのでしょうか。例えば、新聞、ラジオ、テレビでは、人間を助けた多くの素晴らしい動物たちの話がよく報道されます。動物たちは自分の命を犠牲にしても自分の子を救います。私はある猫の写真を見たことがあります。その猫は自分の四匹の子猫を救うために、燃えさかる家の中に四回も行き来して、全身焼けただれて失明し、傷だらけでした。自分は焼けて失明して、見る影もなく変わり果ててしまったにもかかわらず、子猫たちを安全なところに連れ出したのです。
猫は大変自立している動物です。母猫は妊娠後、他のオス猫や父猫から助けてもらうことはないと思います。母猫は自分だけで子猫たちを育てるのです。時々、私は身近でたくさんの猫が、子猫たちのために素晴らしい行動をとるのを見てきました。ある猫は、自分たちにとって一番いい食べ物、ごめんなさい、あまり良いものとは言えませんが、例えば、ネズミやそのたぐいのごちそうを子猫たちに食べさせていました。そして、母猫はといえばハエや昆虫など、つまらないものしか食べていないのです。肉食に賛成しているのではありませんが、猫を説き伏せるわけにもいかないでしょう。私は母猫の献身に感動したのです。猫はこういったものしか食べることができないからです。母猫は子猫たちに栄養のあるものを与えるために、自分はゴミを食べながら最善を尽くしていました。私はこの目でそれを見ました。肉食をしたとか、ネズミを殺したといって彼女を責めたりはしません。ただ、母猫の愛に非常に感動しただけです。
猫のことを考えるたび、いつもこの光景が心の中にありありと浮かんできます。ですから、なぜ私たち人間は動物をあれだけ残酷に扱えるのか、また、どうして多くの人が動物たちをレベルの低い生き物と見なすのか私には理解できません。私は多くの動物は非常に高尚だと思います。彼らはとても気高く、愛情深く他の生き物や同種に対しても同様に接しています。そればかりか、友人を救うために、犬や猫が危険な川を泳いで行くのを見ることもあります。その友人が人間であったり、犬、猫であったりしても、自分の命をかけて助けに行きます。けれども、私たち多くの人間は、あえてそうすることはありません。危険な状況とわかれば、私たちは自分の身を危険にさらしたりしません。けれども、動物たちは危険だとわかっても、それでも愛の心で、自分の命をかけるのです。
ですから、私たち人間が生まれながらに持っている、この基本的な慈悲と愛の本質に戻れないなら、動物たちにはそれが今なお備わっているのですから、私たちは人間である自分を誇りに思うよりも、むしろ悲しむべきです。それこそが私たちが菜食をしなければならない理由です。動物たちは本当に高尚なのです。本当に、私たちと同様に人間の品性や魂を内面に持っています。ですから、時には動物から学ぶのもいいことだと私は思います。それは、私たちが動物のようになることを学ぶのではなく、動物の水準よりも低くなって、恥ずかしい思いをしないために、彼らの優れた品性を覚えておくべきだということです。
私たちは聖人の高潔なレベルまで上昇すべきです。そのために、私たちは常に慈悲の心、愛、思いやり、そして自己犠牲の心を持っていなくてはなりません。リトリートの場であろうと、家庭の中であろうと、スーパーマーケットの中であろうと、その他どこにいようと、たとえ誰の目にも触れず、私たちの良い行いを記録したり、高潔な努力を誉めてくれる人がいない森の中であっても、そうしなくてはいけません。私たちは常に高潔であるべきです。私たちは自分が誰なのか知っているからです。そして、神も知っているのです。
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