一袋の米が何万の福報に変わる
一袋に満たない米によって、私たち家族はマスターから無限の恩恵を授かりました。ほんの少しの奉仕の心で、マスターから何万倍もの福報を受けました。いつもこのことを思い出すたび、感動でいっぱいになります。
私の祖父は本来小作農で、その後、小さな田畑を分け与えられましたが、その収穫はやっと最低限の生活ができる程度のものでした。そのため、父は故郷を離れ、台北へ出稼ぎに行きました。父はいつも故郷の田畑の収穫の際に、何袋かの自家製の米を台北へ持ち帰っていました。
初期の頃、マスターは新店に住んでいました。あるリトリートの時、観音使者がマスターに米が足りないことを報告しました。マスターは確信を持って「心配いりません。米を届けにくる人がいます」 と答えました。この時ちょうど、私の二番目の姉は一袋の自家製の米を抱えて、喜びいっぱいに外の山道で、「マスター、マスター、米を持って来ました」と叫んでいました。
この時から、私たちの貧しい家庭は物質面、精神面にかかわらず、すべてにおいて奇跡のような大きな変化が起こりました。私の両親、兄弟姉妹、次の世代までもがみな次々とマスターの弟子となり、世俗の生活も徐々に順調になりました。本来負債のあった家はしだいに自給自足できるようになり、姉の夫は株式二部上場の電子会社を持つほどになりました。一袋と言うにも足りないほどの少しの米が、全家族の助けになったのです。
十年程前、姉と私は一緒に西湖道場に共修に行った時、マスターの恩恵に感謝し、私たちはこの米について話をしました。思いがけなく、その日マスターは講義の時に「しかし、たった一袋の米に過ぎません。何度も話して、忘れられないほどのことなのでしょうか」と一言おっしゃいました。姉は驚いて「マスターの霊感は凄い。もう二度と話してはいけない」と言いました。このため、この話は私たち数人が知っているに過ぎず、その他の家族は誰もこのことを知りません。
当時、当事者の二番目の姉は家族の変化に、マスターへの感謝の念が止みませんでした。十年後の今日、私はこの間に家で起こった無数の奇跡を思い出して、心は更なる感謝でいっぱいです。小さな一袋の米が、これほどたくさんの良い結果をもたらすとは一体誰が予測できたでしょう。私たち凡人がどうやってマスターの愛を測ることができるでしょうか。
この話を披露したのは、私たちは何もマスターを手助けする必要はないということを、みなに知ってもらおうと思ったからです。私たちが何かをしても、自慢するほどの価値があるでしょうか。奉仕の心とマスターに苦労をかけまいとする愛の心は、マスターが私たちを加護する口実となり、私たちにマスターと一体になるチャンスを与えくれるのです。
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