マスターの言葉
マスターのために働く正しい姿勢
スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖センターにおける禅七
1989.2.13〜18(中国語)
みなさんがここに修行にやってくる時、自分がどれほど仕事をしたかということに頼ってはなりません。というのは、私たちはみな霊修行において、互いに助け合っているからです。誰もが何らかの貢献をしているのです。一度も講演会のポスターを貼ったことがなかったり、何らかの形で私を助けたことがなかったり、あるいは、一銭もお金を寄付したことがない修行仲間でも、やはり私をとても助けてくれているのです。彼らがここにやって来ることで、もう助けになっているのです。彼らの修行がすでに助けになっているのです。彼らの私への信心が、それだけで助けになっているのです。善良でいようとし、戒律を守り、菜食をし、身・口・意を純粋に保つよう最善を尽くそうとしていることが、とても助けになっているのです。
もし、そういうことに加えて、ほんの少し多く助けられるとしても、それはみなさん自身のためであり、みなさん自身の福報なのです。それについて何か言うほどのことがあるでしょうか。例えば、みなさんはポスターを二、三枚貼る手伝いをしたとします。誰かがそれを見たかどうか知るすべもありませんが、みなさんはすでに福報を得ているのです。私の仕事を手伝った時、それが成功か失敗かにかかわらず、みなさんは福報を得るのです。ですから、そのことを話す必要はありません。
私の仕事を手伝えば手伝うほど、みなさんは多くの福報を得るのです。けれども、みなさんはこのたぐいの達成観に頼るべきではありません。そうでないと、ばかばかしいことになります。その上、ある人々は天界の王からここに降りて来るように刑期を言い渡されているのです。うまくやらないで、ここでの福報を得られないと、彼らは後になって天国に戻って行けなくなくなるのです。例えば、西遊記の孫悟空、猪八戒、沙悟浄と白馬は、彼らのマスターが仏教経典を持ち帰る手伝いをしなければなりませんでした。その任務が完遂した時、彼らは解脱できたのです。
ですから、私の仕事を手伝うことが、みなさん自身の福報なのか、カルマのつけなのか、みなさんにわかるはずがありません。けれども、それが何であれ、ただ自分の最善を尽くしてください。そしてそのことは言わないことです。おそらく、ある人は、みなさんが沙悟浄や猪八戒のように、カルマのために私の手伝いをしなければならないだけだと思うかもしれません。それで、ますます悪くなるだけです。彼らはみなさんの貢献を認めないどころか、みなさんにカルマのつけがあると言うだけで、みなさんをもっとみじめな気分にさせるだけです。ですから、私のために何かをする時は、ただ黙ってやることです。もし、そのことを話してしまうと、しばらくするとマーヤからの妨害が入るでしょう。みなさんの中にはもう経験した人もいるでしょう。
時々、リトリートや共修中に、みなさんは内在の体験を話すことが許されます。私がいる所で、私がみなさんに話すよう許可した時は構いません。けれども、その後で私の許可がないのに自分自身のことを喜んで暴露してしまったとします。「あの日、マスターは私がこれこれのレベルに到達したと言った」などと、分別なく、自分自身を自慢に思い、話し続ければ、しばらくしてマーヤの障害に見舞われることでしょう。
私はみなさんを叱りたいのではありません。ただ、この「うぬぼれ」というものが、私たちに問題をもたらすということを、すべての人に気づいてほしいのです。この驕慢なマーヤが現れるのは悪い知らせなのです。ある人々はそのことに気づかないうちにレベルが下がってしまったり、蹴り落とされてしまったりするかもしれません。後になって初めて彼らは苦痛を感じるのですが、彼らはどういうふうに戻って行くか知らないのです。たぶんカルマが落ちた後、ようやく、彼らはゼロから新しく始めるために戻れるのですが、それでは良くありません。
そういうことで、私はしばしば、体験は私の許可がある時だけ話すことができると言うのです。私の許可がないなら話してはいけません。たとえ、もし私たちが何の自慢の気持ちもなく、とても謙虚な思いで話したとしても、それでも障害に遭うでしょう。というのは、他の人が私たちを邪魔しにやって来るかもしれないからです。時には、私たちの体験がとても素晴らしいということを聞くと、彼らはやって来て尋ねるかもしれません。「ねえ、最近の君の修行レベルはどうだい。それを話してもどうってことないだろう。私は本当に君を賞賛するよ」。それで、彼らは目をとても大きく見開きます。(聴衆笑う) ええ、そのような時、私たちは言わずにはいられません。そして、私たちが話せば話すほど、ますます問題が多くなります。
それから、彼らは私たちに賛同し、私たちに自分が偉大だと思わせるようにしてくれます。まるで、私たちが悪魔をめった切りにしたり、怪物を殺したりできるかのようです。そして、しばらくすると、私たちはこのパワーを失ってしまうのです。それでも、人々が私たちにお世辞を言い続けると、私たちは彼らの想像力に合わせ続けなければなりません。もともと、私たちにこのようなパワーがなかったか、このレベルに到達していなかったとしても、人々は私たちをほめたたえ続けます。すると、私たちは下を向いてしまうのが恥かしくなり、結果的に私たちのレベルはどこにも収まることなく、宙に浮いたままになります。そうすると、私たちは降りて来ることも、上ることもできなくなってしまいます。ですから、障害が起こるのです。
それは、私たちの福報も同じです。他の人に知らせないようにするのが最良です。他の人が自然にそのことを知ってしまった時は構いません。自ら率先して話す必要はないのです。そうでないと、本当に問題に巻き込まれてしまいます。私はそういう例をとてもたくさん知っていますが、名前を明かしたいとは思いません。そういう人々は、自分でそのことに気が付くでしょう。これからは、彼らは自分たちのやり方を悔い改めなければならないのです。