マスターの講義

印心の真価に感謝しなさい

スプリームマスター チンハイ ドイツ・ハンブルグ
国際禅三 1995.8.25〜27(英語)ビデオテープ493

印心したばかりのみなさんにお話したいことがあります。みなさんにとって印心が本当にどんな意味を持つのかわかりませんが、私にとっては深い意味があります。印心とはみなさんがそこに座って指示を聞きながら、私を師として受け入れるに値するかどうか、印心が受け入れるに値するものかどうか、心の中で悩むことではありません。そういうものではありません。印心は百万年に1回のチャンスなのです。みなさんにとって、それがどれほどの意味を持つかわかりません。けれども、みなさんの印心前後に、私がしなければならない仕事がどれだけあるか知るべきです。

そこへお尻をついて座り、私に付いて来るべきか、やめるべきかと思い悩むようなことではないのです。付いて来るか、やめるかはみなさんの問題です。みなさんの権利と選択です。私にはみなさんを縛ろうとか、手元に置こうとか、みなさんの体や心や霊魂に何かしようという意図は全くありません。私は本当に無条件の友として、みなさんの側にいます。みなさんは私を必要とする時にやって来て、離れようと決めたら、行ってしまうのです。みなさんにとって印心がそれくらいの意味しかないのなら、買物に行くのと同じです。頭脳に欠陥があるので、本物のダイヤとガラスの区別ができません。ですから、心の中でもがくのですが、その意義はわかっていません。本当にわかっていないのです。

少なくとも死ぬ時にはわかるでしょう。みなさんにとって印心とは何を意味するものなのかわかるでしょう。死ぬ時、誰一人としてみなさんの側にはいませんし、共に歩んでもくれません。お金でみなさんに権力を買ってあげることもできず、どんな地位も地獄の炎から守ってはくれません。その時、唯一マスターだけがみなさんの側にやって来ます。その時みなさんは気づくでしょう。

何をするにしても、真心を込めてしてください。そうすれば完全な結果が得られます。でないと何も得られません。たとえ印心中でも、ただ座って自分の過去のマスターや過去の仏陀、あるいは誰であれ過去のことを考えていたら、ここでは何も得られません。すると、みなさんはどうして体験がないのかと聞くのです。なぜここに来たのか、これが自分にとって正しいか、間違っているかと思い悩むのです。

そんなことをしていたら、生涯ずっと迷い続けることになります。誰一人みなさんが満足できるような答えは与えられません。私の時間と同様、みなさんの時間も貴重でしょう。みなさんの時間が貴重でないとしても、私の時間は貴重です。お遊びでバスや飛行機に乗って、あちこち走り回っている時間はありません。私はいつでもみなさんが望む時に私に会えるように来るのですから。けれども、みなさんはうろうろしたり、ぶらぶらしたり、やりたいことをしています。そのくせ、やって来ては、「何の体験も得られない」とか、「自分たちがどうしてここに来たか、どうしてここに座っているのか、どうしてあれこれするのかわからない」と文句を言うのです。みなさんは私に何でもしてくれるように期待しながら、自分では何一つしません。ここに来て座ることさえしないのです。

私たちはみなさんのためにすべての手配をしました。ですから、みなさんは何一つする必要はありませんでした。みなさんは何もしません。何もすることはありません。料理も他の人がしてくれます。ほんのわずかな責任さえないのです。さあ、どう思いますか。それでいいと思いますか。そんなふうにしていて神の加護が得られると思いますか。みなさんは何でもあると思い込んでいますが、私が全部しなければならないのです。その上、批判する人さえいるのです。

昔、マスターや、マスターは言うに及ばず、ただの先生でさえ探したい時にはどうすべきだったか知っていますか。今日でも、大学に通うとしたら、やはり学費を払わなければなりません。みなさんが払わなくても両親が払います。直接払わなくても、税金を政府に払い、政府がその先生に月給を払います。みなさんはそこへ行って願書を提出し、試験に合格しなければなりません。このように多くの時間と手間がかかります。

みなさんはいつも私に、どうして講演に出かけ、世界中の人々を救わないのかとずっと尋ねています。人を救うことは簡単なことでしょうか。今日の印心の時、最高の神のパワーがすでにここに臨在していたのに、それでもなお何人かの人を感動させることができませんでした。地獄の炎だけが燃えるのです。本当に難しいことです。本当に難しいのが人の心というものです。神の前で、神のパワーの中で座っていても、感動を覚えない人もいるのです。

それを考えると恐ろしくなります。人々がどんなに頑固かと考えると恐ろしくなるのです。最高の神のパワーでさえ彼らを感動させられません。ですから、世界は相変わらずこのようなのです。なぜ戦争、災難、殺戮があるのか私に聞かないでください。かわいそうな「ミスター神」に何ができるでしょう。神のパワーは山を砕き、海を干し、宇宙全体を塵埃に帰すこともできますが、いまだに人間の心は感動させられないのです。私たちがこうなってしまったのは本当に恐ろしいことです。

それなのに、みなさんはいつも私にあそこへ行け、ここへ来い、話をしてくれ、一緒にいてほしい、友達や家族を救ってほしいなどと、あれこれ要求します。私が断われば、「マスターはどうして自分の仕事をしないのか。どうして人間に対する慈悲と愛の心がないのか。彼らは本当に苦しんでいるのに」などと思っています。私にできるならそうするでしょう。イエスにできたならやっていたでしょう。それで終わっていたはずです。私たちの時代まで待つこともありません。イエスが全世界を救えたなら、やっていたでしょう。釈迦牟尼仏が全世界を救っていれば、私の番は回って来ませんし、みなさんの番も回って来ません。

それがどれほど難しいことかわかりますか。私たちは自尊心が強すぎて、傲慢で、たくさんの事を知っていると思っているからです。私たちは経典や聖書などを知っていて、すべてを暗記し、それで、自分たちの愚かな知識を誇りにしているのです。自分たちは何でも知っていると思っているので、誰かが何か新しい事を教えたいと思っても拒んでしまうのです。揚げ足を取ったり、批判したり、自分たちが非常に素晴らしく、何でも知っていて、その人よりも良く知っているのだと他の人に見せびらかします。けれども、それはただ私たちを傷つけ、自由と真理への道を阻害するだけです。私たちは真理のあらゆる広告だけしか手に入れていないのに、それを真理そのもののように話し、得意になっているだけなのです。

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