マスターの講義

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ
2001.6.8(英語)ビデオテープ716
私たちは愛の大海に沐浴する
私は今日みなさんにお会いできて、とてもうれしいです。みなさんは今日とてもいいですね。良い人に違いありません。というのは、時々、あまり良くない人がやって来たりすると、私もそれを感じとってしまうからです。今日、たぶんみなさんは良い気分なのでしょう。まるで空でも飛ぶような心地なのでしょう。ただリラックスしてください。そうすればすべてがみなさんにもたらされます。ただリラックスしてください。聖書がこう言っているのを思い出してください。「明日のことを思い煩うな。神は草の葉一枚、野のユリに至るまで、一切の面倒を見てくださる」。ですから、どうして神がみなさんの面倒を見ないことなどあるでしょうか。みなさんは神がご自身にかたどってこしらえた子どもなのです。みなさんは一日中、24時間どころか25時間、いえ、それ以上、ずっと神の愛と加護でいっぱいです。ですから、ただ静かにしてそれを感じとってください。じっとしていてください。そうすれば感じることができます。
例えば、とても気持ちのいいそよ風が吹いていたとします。けれども、みなさんが抵抗し続けて、「もっと風を、風よ吹いてくれ、とっても暑いんだ」と言ってもがけばもがくほど、汗をかけばかくほど、もっと暑くなり、どんどん不快になっていきます。そうすると、涼しい風が吹いている真っただ中にいながら、みなさんは疲れきってしまい、暑さで倒れて死んでしまうかもしれないのです。
私の犬もそんな感じです。ですから犬にならないでください。(聴衆笑う) 新しい犬、特に子犬がやって来ると、彼はいつも「はあはあ」とあえいでいます。いつも私に何かしてほしいとか、いつも私の近くにいたいと思っています。私がすぐそこにいるのに、いつでも私の足元をちょろちょろして、お互いの行動の邪魔をしてしまいます。例えば、時々、私は彼をあらゆるおもちゃと一緒に部屋の中に入れてやることがあります。大きな大きな遊び場です。そして、水とかそういうものもみな与えます。けれども、彼は必ず入り口のすぐそばでうろうろしているのです。何の理由もなく、ずっとあえいで、よだれを垂らし、汗をかいて、キャンキャン泣き続けているのです。くつろぐことだってできたのです。私は彼を柵の中に入れてしまうのはひどいように思うのです。それを使うのは彼がいたずらをした時、それもほんのしばらくの間だけです。その目的もしつけのためか、病気の養生のためです。そうすれば、あちこち飛び回ってエネルギーを消耗することなく休めるからです。それで、私は彼に部屋を一つまるごと与えているのです。それは私の部屋より大きいくらいです。私は彼を少なくても私と平等に、時にはそれ以上に扱っています。犬は私が食べる前に食事をします。彼らは果物とか何でも食べます。私は果物や野菜の皮をむいてあげます。自分のためにさえそんなことはしません。ほとんどの場合、もし弟子とか誰かがむいてある果物を出してくれなければ、私は果物を食べません。彼らは私がいつか果物を見て、食べることを願って、かごいっぱいの果物を持って来ては、またそれを下げて行くのです。
私は決してその果物を見ません。気にしません。私は果物のことを考えたりしませんが、今、私には犬がいるので毎日果物の皮をむいて、それを子犬にあげているのです。私は彼を自分より良い待遇で扱っているのに、彼はとても慌てふためいて、入り口のあたりを走り回り、ずっと扉を登ったり降りたりしているのです。すっかり疲れきり、汗をかき、よだれを垂らし、とてもひどい状態に見えます。何のためでしょう。私はすでに彼に言い聞かせてあるのです。「私は今ちょうど忙しいから、そこにいなさい。いい子にしていたら、あとで外へ連れて行ってあげますね」と。それでも聞きません。自分でフイにしてしまうのです。すべてをめちゃくちゃにして、してはならない、決められた場所以外のあちこちにおしっこをしてしまいます。それで、彼はもっとお仕置きを受けることになり、外に行くこともできなくなってしまうのです。
これは私たちにも当てはまる問題です。みなさんはいつも、まさに神がずっと臨在しているここにいるのです。もし、神がたった今ここにいないとしたら、神はどこにも存在しないことになります。もし、神がみなさんの望んでいる事をまったく知らないとしたら、神は何も知らないことになります。そうすれば、神は崇拝し、探しに行く必要もないような愚かなやつにすぎません。ですから、ただリラックスしてください。そして、神はすべて知っていることをわかっていてください。そして、何であれ、みなさんが本当に必要なものを求めてください。私はみなさんがここにいることを常に知っています。そして、もしみなさんがもっとリラックスすれば、私は近づいて行くでしょう。もし、私がみなさんのリラックスした自然な雰囲気を感じれば、たぶん私はそれに引き寄せられるでしょう。私はこういったさわやかな雰囲気が大好きだからです。そして、そうすれば私はほんの少しみなさんの方に近づいて行き、何か尋ねるかもしれません。すると、私たちは一組の素晴らしい座談家になれるに違いありません。今までそんなことが話せると夢にも思ったことのないような話もできるかもしれません。犬のように何秒か私をつかんで怒られ、自分のしっぽを股に挟んで逃げて行くよりいいでしょう。みなさんは犬ではありません。気に障ったらごめんなさい。でも、みなさんの中にはしっぽのある人がいるのです。(マスターと聴衆笑う)
とにかく、ただリラックスしてください。何であれ、起こるべきことは起こるのです。みなさんの多くはいつもそのような状態です。霊修行というのは、外での商売のようなものとは違います。外では、栄光をつかみ取るために競争して、互いに相手の上に立とうとしなければなりません。けれども、修行の利益を得るために、みなさんは隣の人から奪い取る必要はありません。みなさんが外で注意を引くためや、栄光と成功をつかみ取るためにしていることはすべて、門をくぐってセンターにやって来る前に落としてください。もし、自分をそういうふうに忙しくして、人をうるさく悩ませたいのなら、ここを出ていく時にそれをもう一度身につけたらいいのです。けれども、いったんここにやって来たら、リラックスしてください。覚えておいてください。みなさんは聖人なのです。聖人になろうとしている人です。そのように振る舞ってください。みなさんは高貴で、善良で、24時間守られていて、愛されていて、注意を向けられていて、歓迎されていて、面倒を見てもらっているのです。みなさんは世界が尊敬する存在です。そういうふうに振る舞ってください。そうすれば、みなさんはそうなっていくのです。
自分が聖人であると考え続ける
私を信じてください。何であれ、みなさんが考えるものをみなさんは得るのです。ですから自分自身が善良であり、良き聖人であると考えてください。たとえ、みなさんがそれほどそのことが信じられないとしても、頑張ってそういうふうに考え続けてください。なぜなら、みなさんは聖人なのですから。いずれにしても、みなさんは自分が聖人であることを再び思い出す過程にあるのです。みなさんはここにやってくる前は聖人だったのです。けれども、人間になるために、ここで演じる役のためにしなければならないどんなバカな事でもするために、みなさんは聖人であることを忘れる選択をしただけです。けれども、今、いったんセンターに入ったなら、その時こそみなさんが自分の世俗の役割を忘れて、そして自分の本性を思い出す時なのです。ですから、センターの門をくぐって歩くたびに、思い出してください。みなさんは聖人です。仏陀です。そして今、みなさんは本来の自分自身を取り戻そうとしているのです。「今はすべて自分だけのための時間だ。すべては聖人たるべき自分のためであり、聖人たる自分以外の何ものも介在しない。私は大丈夫だ。とても偉大だ。ここにいるこの2、3ないし4時間は聖人として修行をするのだ。そして、訓練して、この世界で聖人としての自分の役割を再び演じるのだ」と。というのは、みなさんがセンターにいながら無明な凡人でありたいと思うなら、他のどこで聖人になれるというのでしょう。他のどこで、自分自身が偉大な存在で、欠点がなく、知的で、悟っていて、そして全加護と、恩恵と、栄誉を持ち、神の品性を持つことを思い出せるというのでしょう。
今質問しても構いません。自分の頭脳を満足させるために、そういう事を尋ねてもいいですが、愚かな厄介者のような振る舞いはしないでください。自分の尊厳のレベルを低めないでください。自分の意識を低めないでください。低いレベルの自分自身で満足しないでください。習慣にあやつられるような存在にならないでください。どこにでも行って厄介者で、欲深く何でもつかみ、人々を煩く悩ませ、バカな事をし、自分自身をそんな事もわからないような愚か者にしてしまわないようにしてください。
神の法というのは、「あなたが考えたようにあなたがなる」というものです。ですから、自分の思考力がとても強くなるまで考え続けてください。そうすれば、みなさんはそのようになります。何であれ、みなさんは自分の考えたようになるのです。一日考えたからといって聖人になるということはないかもしれませんし、すぐに自分が聖人であると思い出したりしないかもしれませんが、その方向に考え続けていってください。せめて、センターに行った時はいつでもそうしてください。少なくても、その時こそ、みなさんが聖人になる時なのです。
創造のパワーはみなさんの考えの中にあります。みなさんの頭の中に、頭脳に、心の中にあるのです。みなさんは神だからです。この創造のパワーを持っているのです。ですから、本来のみなさんを創造できるのです。尊厳を持って自分を創造してください。自分自身を聖人に創造してください。自分自身を仏陀に創造してください。それが実現するまで創造し続けてください。私たちがなぜこのようになったと思いますか。それは、私たちがこうなるまで、自分たちはこういうものだとずっと考え続け、創造し続けて来たからからです。時間がかかりましたが、そうなりました。そういうことで、私たちは毎日メディテーションをしなければならないのです。本性を思い出し、それを確かなものにするまで、自分自身を創造し、再び創造し、思い出すためです。そうすれば、私たちは聖人であるということに確信が持てるでしょう。私たちはただ忘れてしまっているだけです。そして今、私たちはくりかえし、くりかえし、思い出そうとしなければならないのです。
センターの門をくぐるたびに、みなさんは聖人であることを思い出してください。思い出せば思い出すほど、みなさんはそれと一体になっていきます。そして、ますますみなさんに深い悟りがもたらされ、それがみなさんに近づいて行きます。悟りはすでにそこにあるのです。ただ、みなさんがそれを自分自身に思い出させようとすればするほど、どんどん自分の持っているものに気がつくのです。
ですから、自分自身をそういうくだらない習慣で邪魔しないでください。みなさんは聖人なのです。自分を愚か者のようにしないでください。それはばかげた事です。おかしいです。愚かに見えます。私はそういうことをするみなさんを誇りに思うことはできません。みなさんが背筋を伸ばし、とても高貴な精神でいる時、自信を持っている時、自分が聖人だとわかっている時、そして少なくても「まだ気がついていないかもしれないが、私は聖人である」とわかっている時、私はみなさんを誇りに思うことができます。少なくとも、みなさんはこう言えるでしょう。「たぶん、私はまだ完全に思い出してはいないが、自分は聖人だということを知っている」と。そういうふうに考えるたび、聖人のように振る舞ってください。みなさんは聖人なのです。それについて疑問の余地はありません。みなさんはすでに聖人なのですから。ただいつもそのことを忘れているにすぎません。みなさんが思い出すたび、その時こそみなさんが聖人になる時です。おお、神様! 聖人になることはとても簡単です。食べたり、眠ったり、何か他の事よりずっと簡単です。ただ思い出せばいいのです。