不思議な体験

人生の中の感嘆符‐‐化身マスターとの出会い

スプリームマスター チンハイと修行仲間とのティーパーティーでの会話
アメリカ・フロリダセンター 2002.5.12(中国語)

私たち観音法門を修行する人は、修行を積めば積むほどパワーに満ち溢れていきます。しかし、修行を始めたばかりの人には、急にたくさんのパワーを受け取ることができません。一日に2、3時間で十分でしょう。それから徐々に増やしていきます。長く修行を積んでいると、一日に8時間、あるいは18時間、さらには24時間でも大丈夫という人がいます。修行を始めたばかりの人はそれほど長く続かないし、そんなにすると問題が出てきます。内面のパワーに耐え切れなくなるのです。そのパワーは元来私たちのものですが、自分自身がまだ完璧でなく、まだ適応できない時に、突然それをあまりたくさん受け取ると問題が生じます。ですから私は、毎日2、3時間でいいとみなさんに教えているのです。方便法を学んでいる人は、一日に30分から1時間でよいでしょう。貪欲になって、修行すればするほど良くなるというわけでは決してありません。もちろん多ければ多いほどいいのですが、やはりゆっくり進んでいくべきです。 

あのヒマラヤにいるマスターたちは、一日中修行をしています。毎日8時間、18時間のメディテーションをしているため、強力な神通力を持っています。彼らは気がつかないうちに、みなさんの前に現れては一瞬にして消えることもでき、もちろん、それは彼らの化身です。でも、時にはそういった化身を、物質的な体と同様に捕まえることができます。みなさんの隣の修行仲間を捕まえてみてください。(笑い) 彼らの化身かもしれませんね。(笑い) そのマスターたちはとてもレベルが高いので、何千億もの化身があります。たくさんの修行を積んでいるため、自然にそうなるのです。

なぜ修行を積むとそうなるのでしょうか? それは、私たちの体と細胞が進化すれば、霊魂もまた進化するからで、普通、大多数の人は自然の循環システムの中で何千万年も経て、やっとこのレベルに進化することができます。でも観音法門を修行すれば、わずか2、3週間で、一般の人が何世代も修行したレベルにまで到達できるのです。実は、彼らのしていることは修行とは言えず、ただ宇宙の循環システムに巻き込まれているだけなのです。一般の人が観音法門を修行していない場合は、ただ布施をして、戒律を持ち、善良な人になるだけで、何千億年か経過すればこのようなレベルに到達できます。

私たちの観音法門では、修行を始め、戒律、自己の身・口・意の浄化などがあり、さらに「観音」と「観光」がプラスされるため、進化システムの中でレベルアップしていくことができます。本来人類は比較的きめが粗く、体の細胞や頭脳がすべて非常に粗雑なため、ゆっくり進化を重ねて聡明になっていくものなのです。観音法門を修行すれば、より聡明な人へと進化することができ、智慧があるだけでなく、神通力も備わり、ただし、ああいったあからさまな神通力でなく、「使っていそうで使っていない」といった高尚な神通力を指します。私たちはこの法門を学び、修行すればするほどレベルが上がって、より高尚な人となるので、進化システムの中で迅速に進歩していきます。この法門を修行すればするほど、より高等になり、違ったレベルの衆生に変わっていくのです。

たとえば、ちょうど人類が現れたはるか遠い時代は、人々の形相はサルとあまり変わらず、顔が似ているだけでなく、考えもすることもほとんどいっしょで、たくさんの事をする能力もありませんでした。その後徐々に人類は進化して、現在の状態となったのです。もし私たちが観音法門を修行すれば、何千万年もかかるゆっくりとした進化を待たなくても、上へ何ランクもジャンプすることができます。

ですから私たちが観音法門を学ぶのは迷信でもないし、神秘的なことでもありません。私たちの体の中には、進化できるシステムが必ずあるため、その速度を上げようとしなければ、それは自ずとゆっくり進みます。観音法門を修行すれば、そのシステムの能率を上げることになるため、修行を始めたばかりの人はたくさん修行してはならず、毎日2、3時間で十分なのです。

ヒマラヤにいるマスターたちは終日修行し、四六時中サマディーの状態にいるため、大きな神通力を持っています。彼らは現れたり消えたり、行ったり来たりと、捕らえることもできません。同様に、メディテーションをしている時、あるいは家の中でマスターの化身が見える修行仲間もいて、マスターの化身が彼らに話しかけることもあります。彼らは内面の体験でマスターの化身が見えるだけでなく、目を開けている時でさえ、今、私がみなさんを見ているのと同様にマスターの化身を見ることができるし、握手さえできるのです。でも、この場合の化身マスターは長く留まることはありません。残ってもいいのですが、その必要もないため、一言、二言だけ言って消えます。なぜ修行仲間たちが見えるのかというと、彼らは何世代もかけて観音法門を修行しているため、あるいは今生で積極的に修行しているためです。

私たちが修行をしないとしたら、それは大変惜しいことです! 修行を積めば積むほど偉大になり、もし私たちが修行の利益を認識していれば、時にはじれったくて、全世界を捨てて、どこかへ逃げて隠れて修行したくなるでしょう。私たちの内面にはたくさんの能力があるのに気がつかず、毎日乞食や貧乏人のようにこの世界に住み、ほんの少しの力もありません! でも大丈夫でしょう。ゆっくり修行を続ければ、何世代か後には、私たちも優れた神通力を持つことができるかもしれません。

みなさんはヨガナンダの物語を知っていますか?(答える:はい) 彼らのマスターであるババジは常に行ったり来たりと、弟子にも捕らえることができません。ババジは時に化身として弟子の家にやって来て、また一瞬にして消えるため、弟子はマスターが去ったと思い込むのです。ババジは風の中、雨の中、太陽の中、あるいは空気中に身を隠すことができたため、全く捕まえることができません。大変長く修行を積んでいるためです。彼らのようなマスターは一般の人とは完全に異なり、歩かずに飛ぶことができ、さらには飛ばなくても、空中に隠れて消えるのです。しかし、私たちも福報があってこそ彼らの化身を見ることができるのです。

私たちの修行仲間の中にも、誰かがマスターの化身を見たという話をいくつか聞いたことがありますが、そうでしょうか?(答える:はい) あなたがそうですか? 内面のマスターですか、それとも物質的なマスターですか?(女性A:肉体のあるマスターと同じです。ただ黙っているだけでしたが) おそらく彼女と対話できるほどあなたは進化していなかったのでしょう。(笑い)でも、良かったですね。あなたがもっと修行をすれば、彼女は話をするでしょう。(笑い) 触れられましたか?(女性A:彼女は振り返って私に微笑みかけました。その時私たちは一緒にバスに乗っていました) 一緒にバスに? かわいそうに!(笑い) たぶんその時は弟子が多すぎて、マスターにお金がなかったのでしょう!(笑い) もう一度みなさんにその話をしてあげてください。でないと、彼らに聞かせなければ、なぜ私たちが笑うのかわからないでしょうから。

女性A:それは8年前に起きたことです。当時私は新竹運輸のバスを使い、乗車の時にマスターを見かけました。彼女は私の斜め前に、私と一列隔てて座っていました。でも当時、私はまだマスターのことを知りませんでした。バスが中?という所を過ぎて龍潭に着いた時、マスターが降りました。マスターは歩道を渡った後、振り返って私に微笑みかけました。その時私は心の中で、「あら! この人はとても感じのいい人だ!」と思いました。二日目、私は同じ場所で一枚のポスターを見かけました。それには、ヒマラヤから来た僧侶が講演会を開くと書いてあり、その時に初めて、前日に見た人が実はポスターの中のマスターだと気がついたのです。

マスター(以下M):おそらくその時、「彼女」もバスで講演会場に向かっていたのでしょう。(笑い)

女性A:私も最初はそう考えていました。でも、後になって近くにいた女性が、その時マスターはすでにリトリートを始めていて、その上一人で出歩くことは不可能だと話していました。

M:そうですね。私も「彼女」がフォルモサでバスに乗ったことを覚えていません。でも、当時お金がなかったからかもしれません。(笑い) あるいは彼女がこっそり乗りに行き、私に報告しなかったのかもしれませんね。(笑い) 修行仲間でなくても、マスターの化身が自分の家に来たのを目撃し、それで後に修行仲間になった人もいます。

女性B:およそ7、8年前、ある日私が帰宅すると、間借り人が私にこう言いました。「さっきはあなたが家にいなくて本当に残念でした! あなたのマスターが来たんですよ。(笑い) その上彼女は私に、『お腹は空いていませんか? 食事は済みましたか?』と尋ねるので、『空いていません。食べたくないんです』と答えました。するとマスターは、『食べなきゃいけませんよ。さあ、私がお米を洗って、ご飯を作ってあげましょう』と言いました。あなたのマスターはすごいですね! お米がどこに置いてあるかさえ知っていたんですよ!」(笑い) 間借り人はその時マスターに食事のことで面倒はかけなかったと話し、「実に残念でしたね! その時刻に戻って来られなくて!」と言いました。彼女は、自分が見たのは、実はマスターの化身だったことを全く知らなかったのです!

M:ご飯が食べられなくて残念でしたね。あなた自身は会えなかったのですか?

女性B:マスターの化身が私の家に来ただけで、とてもうれしく感じました。

女性C:マスター、これは私個人の体験ではありませんが、中?にいる、ある女性の修行仲間が話してくれたことです。それによると、彼女には八十数歳の隣人がいて、ついこの間亡くなったそうです。その人が亡くなる前に女性がマスターの写真を見せると、彼は四、五十年前のことを思い出しました。日本に徴兵されてフィリピンのマニラに送られた際、船が非常に深い海溝を通る時に故障して海底に沈んでしまいました。その時、マスターの化身がやって来て、彼を深い海の底から救い上げたそうです。そのマスターの化身こそが、この『甘露法語』の表紙の人だとようやく彼は気づき、マスターが救ってくれたことに大変感謝していました。

女性D:マスター、これは私の義父の体験で、以前話してくれたことです。彼が病気で入院していたある日、マスターの化身がお見舞いに来たのです。その時マスターは白い服を着ていて、彼に「私が誰だか知っていますか?」と尋ねたので、彼は「おばあさんだろう?」と答えました。(笑い) またマスターが「もう一度、はっきりと見てください」と言ったので、彼は心の中で考えました。「ああ、きっと息子が信じている清海マスターだろう!」するとマスターは、「安心して病気を治してください。ゆっくりと治りますから」と話しかけました。それを聞いて彼はとてもうれしくなってずっと泣き続け、その後マスターは急に消えたそうです。翌日私たちが電話をして、彼と一緒に住むと話すと、彼は大変喜びました。マスター、ありがとうございました。

女性E:十数年前、ある時私は友達のところに出かけ、帰る時に迷子になりました。あたりをしばらくうろうろしましたが、全く帰り道がわかりませんでした。すると、観音菩薩の装いをしたマスターの写真が目の前に現れたので、その観音菩薩の方に向かって歩いたら、帰り道が見つかりました。

M:よかったですね!

女性E:その後、私はマスターのその写真を買いました。(笑い) それはマスターが後になってから着た衣装でした。

M:あら? マスターが白い服を着たあの写真があなたに道を探してあげたのですか?

女性E:そうです!

M:かなりたくさんの人が体験を持っていますね! 私たちが今話しているのは、化身のマスターが「外」でみなさんと話した状況ですが、これはとても特別な状況で、みなさんがメディテーションの時に見たものではありません。メディテーションで見るのは内面の境界(きょうがい)であり、マスターの化身がやって来て話しかけるのは、すなわちこの世界の境界にいるということです。彼女が肉体の形でみなさんに話しかけています。これはメディテーションで見たものとは違って、上の境界から降りて来たのです。みなさんがメディテーションの時にマスターを見れば、それはみなさんが上の境界に行ったことになります。もし目を開けたままマスターの化身が見えたなら、それは彼女が私たちのこの俗界に降りて来て話しかけているのです。みなさんが今見えている物質的なマスターの体は、上でも下でもなく、これは「お茶会」の境界と言います。(笑い)

男性F:私には二つの話がありますが、どちらも私自身のものではありません。そのうちの一つは、私の妻の甥がまだ幼かった頃の体験です。当時、義母は印心を受けたばかりでした。ある日、彼女がその子を台北の青年公園へ遊びに連れて行った時、子供がトイレに行きたいと言ったので連れて行き、私は義母と少し歩きました。子供がトイレから出た時、おばあさんが見あたらなかったので、とても怖くなりました。その時彼は、自分は泣いてはいけない。泣いたら迷子だと思われて、悪い人に連れて行かれてしまうと分かっていたからです。

M:子供は何歳でしたか?

男性F:たぶん4、5歳でした。彼が緊張していたら、マスターの化身がやって来て、「私について来て! 泣かないでね!」と話しかけられました。そこで彼はおとなしくマスターについて行き、二カ所ほど探し回っておばあさんを見つけました。彼はおばあさんに「さっきマスターを見たよ! マスターが僕をここまで連れて来たの!」と言いました。これは、マスターの化身が私の家の近くで出現するのを初めて聞いた体験でした。それまでは、マスターの化身が夢の中で私に試練を与え、私に起きろと言った体験しかありませんでした。(笑い)
もう一つの話は、新竹にいるある女性の修行仲間の体験です。彼女が印心する前のある日、市場で買い物をしていた時、一人の小柄な尼さんが彼女に小冊子を手渡しながら、レクチャーに参加してね! と話しかけました。彼女は小冊子を見た瞬間、心の中で、「あ、この本の表紙に載っているお坊さんは、さっきの人だわ!」と思いました。(笑い) 彼女は振り向いてマスターを探そうとしましたが、見つかりませんでした。その時マスターの化身は彼女の前に現れただけでなく、話までしたのです。もちろんその後、彼女は印心しました。

M:みなさんは徹底して仕事をしていませんね。お陰で私が自ら小冊子を配りに行く羽目になりました。(笑い) みなさんは怠けていますね。だから一人の弟子を失ってしまい、自分で探しに行かなければならなかったのです。ほらごらんなさい! 人に頼るよりも自分に頼ったほうがいいですね!(笑い)

女性G:私の娘は小さい頃からマスターとよく接触がありました。でも、私たちは人の体験を聞くべきではないので、娘に対しても聞かないようにしていました。ところがある時、娘の行動がとても異様だったのです。私はその時、修行仲間と雑談をしていたのですが、横で娘がこっちを拝んだり、あっちを拝んだりしていたため、不思議に思い、「何をしているの?」と尋ねました。すると娘が、「マスターが来たよ!」と答えたので、私は、「じゃあマスターを拝めばいいでしょ!」と言うと、「でもマスターはあちこち歩き回っているから!」と言いました。(笑い) それで私は、「ぶつかったりしたら良くないから、マスターがどこにいるのか早く教えて!」と言いました。(笑い)
 以前、娘がまだ2、3歳の時、私は娘を連れて碧潭という所の吊り橋に行きました。娘を橋の上に降ろしてから、「ここでおとなしく座っていてね。ちょっと買い物をするから。もし悪い人が連れて行こうとしたら、大声で私を呼ぶのよ」と言いました。すると娘は、「マスターを呼べばいいのに、どうしてママを呼ぶの?」と言いました。(笑い) それからもう一つ別の話ですが、娘を連れて修行仲間と遊びに行った時、大きな岩を見つけて、写真撮影をするために娘ともう一人の子どもを一緒にその上に立たせました。そして良い角度で撮影しようと、もう少し、もう少し後ろと声をかけました。写真を撮った後に娘のそばに寄った瞬間、その岩の後ろはすぐ深い海だったことに気づいたのです。娘たちが立っていた位置は、岩の縁で、もう少しで海に転落するところでした! 私が、「さっきはどうして言わなかったの?」と尋ねると、娘は、「だってマスターがいるから、怖くなかったんだもの!」と言いました。その頃、娘はよく、マスターがいると話していましたが、まさかマスターの化身が本当に来ているとは思いも寄らなかったのです。その後写真が出来上がり、見てみると、不思議なことに娘の腕が全部透明になっていて、腕から後ろの海が見えるのです。写真店の主人も不思議そうに、「どうしたことでしょうか?」と言っていました。

M:おそらくあなたのフィルムがおかしかったのでしょう。(笑い)

女性H:7、8年前のある日、私は車で陽明山センターに向かう途中、ある女性を同乗させました。彼女も仏教を学んでいるようだったので、私はマスターの小冊子を一冊渡しました。彼女はそれを見るなり、「あれ、この表紙のマスター、どこかで見たことがあるような気がします!」と言いました。実は、彼女は夫とバイクで陽明山センターの近くまで来た時に、ジョギングをしている尼さんを何度も見たことがあったそうです。また、雨の日も走っていましたが、レインコートを着ていないのに濡れた様子がないので、彼女は不思議に感じていました。
 この時、私は萬里に住む彼女をついでに家まで送ろうとして、私たちのセンター近くに差しかかった時、「私が見たお坊さんはここで消えました。でもここにはお寺なんてありませんよね!」と彼女が言いました。彼女が示したのは、まさにマスターが以前陽明山センターに住んでいた場所でした。でも、その女性がマスターの化身を見かけた期間中、実はマスターはフォルモサにはいなくて海外にいたのです。また、彼女は「あのお坊さんは晴れの日も雨の日もジョギングをしている」と言っていました。(笑い) 彼女は夫婦そろって見かけたのです。そこで、私は数冊の雑誌とマスターの小冊子を彼女に渡し、どの写真ですか、と聞くと、古い方の小冊子に掲載されているマスターの僧侶姿の写真だと言いました。マスター、ありがとうございました。(拍手)

M:私がジョギングして、なぜあなたが私に感謝するのですか?(笑い) 私が運動して感謝する人もいるとは、おかしな話ですね!(笑い) 私は陽明山にいた時、とても退屈でした。彼らは私を囲いの中に閉じ込めていたため、少しジョギングして、リフレッシュしていました。体験のこととなると、みなさんは話し尽くすことがないようですね。(笑い)

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