マスターと弟子

初期の師弟の物語

マスターは私の心を知っている

ある時、マスターが突然西湖のオフィスに現れ、私のデスクの前まで歩いて来て尋ねました。「何か報告することはありませんか」。突然、目の前でマスターを見られたので嬉しくてたまらなかったうえ、書類をまだ整理していなかったので、ただ、マスターに「あります」としか答えられませんでした。とりあえずマスターの足を止めてジタバタとデスクいっぱいのファイルの中から書類を探しました。

奇妙なことに、たった今まで目の前にあったはずの書類が、どうしたことか必要な時に限って見当たりません。マスターを目の前に立たせたまま待たせ、私は恥ずかしさのあまり耳まで赤くなりました。この時、マスターは素早く傘を振り上げ、その傘の先でデスク上の一枚の書類に触れました。マスターのその不意の動作は素早く軽快で、私の頭脳が反応することさえ間に合わないほどでしたが、よくよく眺めて、私はすぐに笑顔になりました。それこそ私が探していたものです。その時の私は、きっと尊敬の表情で一杯だったのでしょう。マスターを見ると、何事もなかったかのように微笑んで、まるで「こんなことは何でもないですよ」と言っているようでした。

タイムリーな援軍

時々、マスターは突然以前頼んだ仕事を思い出して、私たちに進行具合や結果を質問します。幸い、マスターがタイミングよく尋ねるので、問題が発生していることに気がつきます。たとえば、何かの資料を注意深く保管していなければ、なくしてしまうかもしれません。マスターはただ何気なく質問しただけのように見えますが、私たちにタイムリーにあらゆるミスの発生を防ぐようにしてくれるのです。

マスターはどんな仕事でも、任せた後で私たちの処理の過程において必要がなければ介入することはほとんどありません。しかし、問題が起きそうな時には即座に手を差し伸べます。時々は、マスターに会って指示を仰ぐのに間に合わず、ただ心の中で援軍をお願いするとすぐに来てくれます。マスターの指示を得た後、仕事はすべてすぐに順調になります。本当は全部マスターがしているのですね!

無言の愛の歌

ある時、マスターは西湖に戻った時に体の具合が悪かったのですが、数日静養すると元気になってみんなに会いにオフィスへ歩いて来ました。マスターの柔らかな磁場は全く人の邪魔をしません。その日、マスターはオフィスの真ん中をゆっくりと加護して歩きました。両側にはちょうど仕事に打ち込んでいた修行仲間が、まだ状況に気付かず声高に話し、マスターが傍を歩いて行くのに少しも気がつきませんでした。マスターの長く伸びた髪は彼女のピンク色の頬を軽くなで、光り輝く柔らかな瞳は美しさを極め、私たちはうっとりと見とれていました。マスターは恥ずかしそうに微笑み、私たちの愛慕の眼差しを逃れて黙々とオフィスを加護しました。その日のマスターは本当に美しかったです。マスターが去った後も、オフィス全体にまだマスター特有の芳香が漂っていました。みなは大変リラックスした境界(きょうがい)に引き上げられ、午後はずっとロマンチックなハミングが続いたのでした。

心で伝えることは最もすばらしい

西湖でかつてこんなできごとがありました。みんなが集合した後、マスターはあまり講義をせずにみんなにメディテーションをさせ、マスターも講義用の椅子の上で目を閉じて私たちと共にメディテーションをしました。その日、あたりは特に静かで、私がマスターの傍らに座ると感応も特別に強烈でした。観音の時には、これまで聞いたことのない美しい音を享受しました。私は喜びに酔い、マスターが私たちを軽く呼び覚まして出定するまでずっと永遠の愛の河に浸っていました。私は目を開くと、半分陶酔し、半分ぼんやりとし、心の中で「これこそが高い境界(きょうがい)のコミュニケーション法なのだろうか」と思いました。するとマスターは愛に満ちた瞳で私に答えました。

マスターは「心」で私たちに教理を伝えます。どの講義にも勝り、言葉は用いませんが、その影響はさらに永遠に続くのです。

内なるコミュニケーション

インドのヨガ大師であるヨガナンダが初めて外国講演をした時、彼の英語はあまり流暢ではなく、ステージに上がった後、どのように人々に講義をすればよいのか分からず、ただそこにぼんやりとしているほかありませんでした。やがて彼は心の中で、彼のマスターに助けを求めました。彼のマスターの加護はすぐにインドからもたらされ、一瞬にして彼は流暢に話し始めました。現代のマスターの弟子も、同じような状況に遇ったことがあります。

たとえば、ある出家者がマスターに話したことですが、彼が海外に真理を広めに出かけた時、たくさんの人が彼に質問をしました。中にはマスターがかつて講義したことのない質問もあり、彼はどう答えればよいか分からなかったので、急いでマスターに助けを求めました。すると突然スラスラと話せるようになったうえに、大変筋の通ったものだったので、みんなは「こんなに若いのに、どうしてこんなにも多くを理解しているのか」と大変驚きました。実際は彼自身にも分かりません。なぜなら、マスターはこれまでこれらの事を彼に教えたことがなく、彼もどうしてこんなにうまく、すばらしく答えることができたのか分からなかったからです。実は、マスターは内面で私たちに教えているのであって、ただ単に外面で教えるだけではないのです。

まさにマスターの言葉通りです。「私がとても年老いて、白髪になるまで話したとしても、みなさんに聞かせるべきことは話しきれません。このように2、3冊の本を印刷すれば充分というわけではありません。しかし、私たち師と弟子には内面のコミュニケーションがあります。みなさんが私のそばにいる時、私はたくさんのことを教えますが、みなさんは知りません。なぜなら、私は「心」で教えるからです。ただ外面の形式で教えるだけではありません。時には、行動で教え、時には叱り、時には他人を叱ることを通してあなたに教えます。時には直接叱り、時にはざっと話してわからせます。時には直接答え、時には何も話さずに多くを教えます。しかし最も多くを教えるのは、内面で教えている時です。ですから、みなさんは時々、学んだ経験のないことでも突然理にかなった話ができることに気がつくのです。聞いたことのない教理でも他人に話して答えることができます。しかし、みなさんが少しでも傲慢な気持ちを起こすと、この種の感応はすぐになくなります。そしてそこに引っ掛かってしまいます。なぜなら、その時は頭脳を用い、我執を使って行うからです。ですから私がみなさんに何も教えていないと言わないで下さい。とてもたくさん教えているのですよ」 (フォルモサ西湖におけるマスターの中国語による講演1990.11.04カセットテープNO.138)

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