問答精選

同情心もまた一種の祈りである

スプリームマスター チンハイ アメリカ・フロリダ 2002.5.11(英語)

Q:マスター、私は自分のためにはあまり祈りません。人生はただなるようになり、私はただメディテーションするだけです。もし、思うようにならない時は、もっと多くメディテーションをします。しかし、私は他人のために祈るということについて疑問があります。私たちが愛している人々や私たちの知らない人々に、しばしば悪い状況が起こることがあります。それで、私たちは「彼らのために祈ろう」と言います。(M:そうです)
それで私は座って考えます。「いいだろう、彼らのために祈ろう」と。けれども、そうすると、私はまたこう考えてしまいます。「でも彼らは神だ。彼らがこれを選んだのだ。彼らはそれから何か学ぶかもしれない」と。今まで私に起こった悪いと認められるようなことは、みなとても良い学びの体験となりましたし、とても多くの方法で変わり、成長してきました。それで、私はそれが悪いとは言えないのです。そして、彼らにとってもそうであるかもしれないと思うからです。私の質問ですが、人々を救うためにどのように祈ったらいいのでしょう。それはどのようなものでしょうか。

M:あなたが祈りたいと思うなら、ただ自然に祈るべきです。その時、あなたは自分自身をどうすることもできないでしょう。というのは、あなたは彼らのために祈っているだけではなく、あなた自身のために祈っているからです。そうすることで、あなたはその状況に耐えられるからです。

Q:自分で自分をなぐさめているということですね。

M:そうです。というのは、時々みなさんはとても苦しんでいる人々を見て、祈る以外に何もできないことがあります。「どうか、それがあなたの意志であるなら助けてください」。あるいは、少なくともみなさんはこのように祈ります。「どうか、何であれ彼に利益を与えてください。そうすれば、彼は学ぶことができ、あなたのことをより良く認識するようになりますから」。けれども、それはどうでもいいことです。彼らは最終的にはみな神を知ることになるからです。

Q:私は祈ろうと思うのですが、すぐにまた、「ただメディテーションしよう」と思うのです。

M:そうするべきです。あなたは祈るべきです。

Q:祈る時、私は何と言っていいかわかりません。というのは、私は「何が起こっても、彼らはもっと知ろうとしているのだ。真理の道についてもっと知ろうとしているのだ」と思うからです。

M:それなら構いません。あなたがそのことに気がついているのなら、祈らないでください。けれども、あなたが祈らなければならないなら、祈って構いません。あなたがそう望まないなら、祈らないでください。あなた次第です。あなたが、「いずれにしても神はすべての面倒を見ている」と思うなら、祈る必要はありません。けれども、あなたの同情心もすでに祈りなのです。私の言っていることがわかりますか。

Q:はい。そういう思いを強く感じます。けれども、私は願いごとをすることに確信が持てないのです。そうすることを心地良いと感じられないのです。

M:そうです。あなたがいくらその人がそんなに苦しまないように、こういうことを経験しないようにと願ったところで、その人はそうしなければならないのです。あなたにはそれがわかるのです。それだけです。同情心もまた一種の祈りです。というのは、あなたが愛と同情心でその人のことを考えている瞬間、あなたの良い思いを伝えているからです。それは誰でしょう。それは神です。神が苦しんでいる彼自身を見て、彼自身が気の毒に思っているのです。

Q:きっと最良の祈りというのは、ただ「愛」なのですね。

M:そうです。それが祈りです。その通りです。

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