マスターの言葉
メディテーションの目的
自分の本性を認識し、内在の至福に到達する
スプリームマスター チンハイ 1995.6.19 フォルモサ・西湖センター
(英語)ビデオテープ 481
実際、私たちが大変幸福な時は、メディテーションをするのはとても難しいです。また、とても不幸な時もやはり難しいです。そういうわけで、私たちは常に中庸にバランスを取る努力をしなければなりません。そうすることで、私たちは真の幸福が内面にあることを忘れてしまうような極端な感覚に陥ることがありません。本当にそうなのです。
私たちがどれほど誰かを愛していようが、誰かがどれほど私たちを愛していようが関係ありません。いつかある時、その人は私たちを失望させるでしょう。それで傷ついてしまうのです。私たちが相手を誤解しているのかもしれませんし、それが真実なのかもしれませんが、それでも傷ついてしまいます。子供たちや夫に対しても、本当に彼らに愛してほしいと思い、私たちが彼らの望みをすべてかなえるためには、一日24時間召使いのようにならなければなりません。そうすれば、彼らは幸せでいられて、私たちとずっと一緒にいるかもしれません。けれども、それも単に「かもしれない」という程度です。
時々、子供たちもやはり両親を困らせます。両親を誤解したり、両親にいつも一緒にいてほしいと思っていたり、両親の時間をみな提供してほしいと思っているからです。けれども、時々両親が彼らを満足させられないことがあると、もうどうでもよくなってしまうのです。それで、子供たちでさえ、両親にたくさんの苦痛を与えることがあるのです。そして時には、夫婦間であまりにも多くの期待をしたり、あるいは単に普通の期待を抱くことでさえも苦痛の原因になります。
それでもなお、彼らが簡単に満足するとは限りません。ちょうど今日、誰かがあなたを愛したとすると、あなたは翌日も彼が同じく愛してくれるように、あるいは、もっと愛してくれるように期待するのと同じです。けれども、翌日には何かが起こるのです。それで、彼はへそを曲げて機嫌が悪くなり、もうあなたと話したくなくなったりします。それはあなたが悪いのではないかもしれませんが、あなたは「私なんかどうでもいいんだったら、もうあなたのことなんか気に掛けないわ」と言うのです。お互いにそう言います。それで二人は別れるか、少なくとも二人とも嫌な思いをします。そして、再び仲直りするまでに何日もかかり、もしかしたら、もう仲直りができないかもしれません。時にはほんの小さな事でも人を別れさせ、とても感情を傷つけます。傷つかないのではありません。傷つけなかったならいいのですが、傷つけるのです。
実際、本当に私たちが内在の幸福に頼れば、すべての事がもたらされます。そうすると、私たちは誰かに失望するとか、頼らなければならないことはなくなります。誰かが来ても構いませんし、来なくても構わないのです。私たちはそんなに傷つきませんし、内面で苦痛を覚えたりしません。
ですから、すべての苦痛、悲しみ、不幸というのは、外側からやって来るのでも、他人からやって来るのでもありません。それらは私たちの無知から生じるのです。私たちはあまりにも多くのことを、すべての人に、すべてのものに期待してしまうのです。それで失望するのです。ですから、幸福の唯一の本源というのは内面にあるのです。メディテーションする時はいつでも、その本源に触れるように努めてください。みなさんのために、自分自身の幸福のために、満足のために、充足のために、常にみなさん全員の中にある喜びの中枢に触れるように努めなければなりません。そこがマスターパワーのある所です。宇宙におけるあらゆる奇跡が現れる所です。それは、愛のこもったすべての優しさであり、愛のこもったすべての優しさの生じる所です。それこそが、みなさんが発見するのを待っている、すべての真、善、美が眠っている所なのです。
そうでなければ、遅かれ早かれ、私たちはみな死んでどこかへ行くのです。誰が心配するでしょう。少なくとも、生きているうちは私たちは非常に価値ある人間の生活を送らなければなりません。幸福であるべきですし、喜びに満ちた方法で人生を送らなければならないのです。それこそ、この世界に存在するあらゆる動物の王としての人間の尊厳に見合うものだからです。私たちは万物の王です。私たちが宇宙の王かどうかはわかりません。たぶんそうではないでしょうが、少なくとも、私たちは万物の王です。ですから、私たちは人間としてあるべき尊厳をもって、すべてのものに恐れることなく、愚かで、不幸せではない人生を送らなければなりません。特に、私たちはいつでも使える宝物を内面に秘めているからです。
それこそが、メディテーションの唯一の目的です。それで、みなさんは自分自身を知り、真の幸福とは何かわかるのです。マスターがそう言ったからでも、マスターに従わなければならないからでもありません。それがみなさんにとって良いものであるから、マスターに従うのですが、みなさんは理由を知らなければなりません。それがみなさんのためであり、マスターのためではないということを知らなければなりません。マスターは気に掛けたりしません。私は気にしません。みなさんがメディテーションをしなくても、それはみなさんがメディテーションをしないだけのことです。それはみなさんの生活です。私はみなさんをコントロールすることはできませんし、そうしたいとも思いません。みなさんが誰か他の人をコントロールするとしたら、それはみなさんがその人に縛られているということになります。ちょうど、警察官と犯人のようです。彼らは両方とも手錠を掛けられています。警察官は犯人の世話をしなければならないのです。私はそういう立場を取りたいとは思いません。
ですから、どんな事でも私がみなさんに言うことは、みなさんにとって良いことなのです。そして、みなさんが聞くことは論理的であり、それがわかっているので、そのように実行するのです。私がみなさんに強制したりするようなことではありません。そのような奥義を知ることができるのは、私たちの人生において栄誉であり、特権であり、最高の幸運なのです。強制されるのでもなく、安売りされるのでもなく、義務でもないのです。何千回、何百万回も生まれ変わりをする中で、あらゆる不幸から私たちを解脱させてくれる扉を簡単に見せてもらえたのです。それはすべての特権の中で最高のものであり、すべての幸運の中で最高のものといっていいでしょう。ですから、修行に取り組んでください。そうするだけです。(拍手)
時々、私が非常に夜遅くまで働く時には、12時や1時や2時にまでなることがあります。それでも眠る前にはメディテーションをします。すべての自分の責任や義務とは別に、私はいつもメディテーションをしたいと心から思っています。決してメディテーションすべきではないとか、メディテーションはひどいものだと感じたことはありません。一度もありません。それは喜びであり、くつろぎの本源であり、再充電の方法であり、肉体的にさえそうなのです。
仏陀や何かになると言っているのではありません。みなさんがメディテーションをしなければ、その日一日の疲れや、社会の否定的なものから来る精神的な圧力などすべてのものから決して回復できません。ですから、自分が疲れているからとか、自分にはあれこれ問題がいろいろあるからなどと、私に不平を言わないでください。みなさんが十分にメディテーションしなければ、それだけです。みなさんは代価を支払うべきです。修行を始めた頃はみなさんは安定していないかもしれませんが、メディテーションをすればするほど、どんどんメディテーションが好きになっていきます。そういうものです。それこそが唯一の法門です。今、たとえ誰かがみなさんに百万ドルを渡して、マスターや法門を交換したいと言っても、みなさんはそうしないでしょう。決してそうはしないでしょう。みなさんにはそのことがわかっているからです。みなさんはうそをつけません。これはみなさんのためにはならない法門であると、うそをつくことはできないのです。たとえみなさんのメディテーションがひどくても、みなさんはそれがただ自分のせいだということがわかっているのです。(マスターと聴衆笑う) 正直にそのことがわかっています。
そして、非常に深い内省へと向かった時、観音法門こそが唯一の方法だとわかります。そうでしょう? そうです。それだけのことです。何の論争も、「でも」も「しかしながら」も「けれども」もありません。それだけです。それこそ私たちが心の中で感じ取っている感覚です。そして、それこそが私たちがわかっていることであり、唯一間違いのないことなのです。ですからみなさんにその感覚があるなら、そのことがわかっているということです。私がみなさんに言う必要はありません。