智慧の真珠
内面において僧または尼になる
スプリームマスター チンハイ アメリカ・ロサンゼルス
1998.12.16-18 (英語) ビデオテープNo.641
私たちはみな僧です。それぞれに違う道にあり、歩んでいる僧なのです。私たちは外で通りを歩き、一般の人々と混ざり合っています。それと同じことです。昔は、出掛けて行って、法を人々に広めるのが大変難しかったのです。ですから僧にならなければなりませんでした。僧たちは職につかず、お布施によって生活していたため、遠くまで歩いて行って、仏陀やイエス・キリストの教えを広く伝えることができたのです。今日では、必ずしもこのようにする必要はありません。あなたは自宅で伝道ができますし、家庭にいながら僧になることができるのです。
もうひとつの理由として、昔は人々は自分たちの性的エネルギーを、他の事柄を行うために蓄えていました。なぜならもし、あなたに家族があって、たくさんの子供がいたとしたら、通りを歩き回り、真理を説くことは困難だったでしょう。ですから修行の道を行き、そのメッセージを広めるために、家族を持つ幸せや、セックスの歓びを放棄しなければなりませんでした。なぜならセックスのエネルギーは、僧がする類いの仕事から、注意力を大変そらしてしまうので、そのようにする必要があったのです。
ですから私にとって、僧や尼になる、ならないは、どうでも良いことなのです。大切なのは、あなたが心から物事を理解しているかどうか、あなた自身の内面に神を見出しているかどうかなのです。そして、家庭を持ち、修行をしている人々の多くは、人々にとってとても魅力的でもあります。彼らが内面で、こつこつと勤勉に修行しているからです。そして、本当に開悟しています。彼らはまた、自分の家庭から教理を広めることができるし、たくさんのびっくりするような事を成し遂げます。
現代は昔とは違います。私たちにはこの大変素晴しい法門があり、この法門はあらゆる方面に適用できるのです。ですから私たちは、神に到達するために、自分自身を肉体的、精神的、感情的に餓えさせたりする必要はないのです。言っておきますが、神は素晴しいのです! 神はとても寛大で、とても力強いのです。何ものをもってしても、あなたを神から引き離すことなどできません。愛する女性や男性とのほんの少しの歓びなど、いうまでもないのです。ですから、出家していても、していなくても関係ありません。内面において僧や尼であればいいのです。