マスターの開示
神はすべてを面倒見てくれる
Supreme Master Ching Hai ドイツ・ミュンヘンにおいて 1995年8月18日(原語は英語)

はミュンヘンにいるといつも幸せな気分です。どうしてなのか分かりません。おそらくミュンヘンはかつての私の故郷だったからだと思います。私の生まれ故郷オゥ・ラックを除いて他のどこよりも、私はミュンヘンで一番長く暮らしていました。このような素晴らしい共修場ができたことに対し心からお祈り申し上げます。ほんとうにおめでとうございます。神はどんなに皆さんの面倒を見てくれているか、そしてどんなに皆さんを愛しているか、私のようなふつつかな使用人でさえも愛してくれています。神は私に彼の子どもである皆さんのために奉仕する栄誉を与えてくれました。また、私たちがいつまでも平和で一緒にいられる幸せを与えてくれました。私たちは何が欲しいとか必要だとか、何も口に出して言う必要はありません。神はいつも私たちに与えてくれています。ですから、私たちは神のこの優しさに永遠に感謝しなければなりません。そして心から、恵まれていない人々のために祈るべきです。

神に感謝し懐かしむことは私たちの本分である

私たちは座禅する前に先ず神に感謝し、私たちより恵まれていない人々のために祈らなければなりません。そうしてこそ私たちは喜びと奉仕の気持ちになって、神に感謝することができるのです。神に感謝し懐かしむことは私たちの本分なのです。これは非常に簡単で単純でしかも有効的です。そうすると私たちは何も望まなくても自然にすべてを持つことができます。

皆さんはこのような体験をしていると思います。そうでしょう。(皆答える「はい」)私もこのような体験があります。私は一度も自分の財政や他人を助けたいがために、神に絵を描く才能や、ファッションのデザイン、あるいは宝石のデザインの才能を与えて欲しいと望んだことはありません。一度も望んだことはありません。けれどもすべては望まずして自然にやってくのです。時にはあまりにも早くやって来るのでこの福徳を受け入れるために私は対処していかなければならないのです。いかなる福報も浪費しないためです。

天国の宝庫は私たちの内面にある

皆さん、何か問題がありますか。ないことは結構なことです。私たちはたくさん座禅をするほど問題が少なくなります。例え問題があるとしてもそれほど深刻ではありません。座禅した後に私たちはたいして重大な問題ではないことに気が付きます。ただ楽しく、喜びに満ちあふれるばかりです。私たちは楽しく、喜んでいる時に何も気にしなくなります。本当です。頭でたくさんの事を考えたりしません。人は楽しい時、例えこれが世俗的なものであっても、例えば恋に陥った二人はとても楽しく、このうえなく幸せです。そういうときはどこに住もうと何を食べようと着る物がどうだとか快適か否か全く問題になりません。もし私たちの内面が陶酔した状態ならば私たちはとても楽しく、喜びに満ち、二度と問題は生じません。本当に気にしないのです。例え世界の科学技術や最新の発明が何かを知らなくても、あるいは最近一番人気のある映画スターは誰か、最新建築が何かを知らなくても、少しもこれらの影響をを受けません。神の愛は十分私たちに楽しさを感じさせてくれます。これこそ私たちの生活の目的なのです。神の愛を見つけると私たちは満足を感じるのです。これは皆さんもうご存知でしょ うから、私もこれ以上言いません。

もし神の愛がなかったら私たちはいつまでも苦しみの中いるでしょう。限りなくむさぼり、いろいろな麻薬やアルコールで自分を紛らせ、それらに快楽を求めたりします。けれども、それらは私たちをさらにひどくし、私たちにさらに多くの問題をもたらすのです。なぜなら私たちは真の幸せや喜びを掴んでいないからです。

これが私たちが神に会いたいと思う理由です。もし私たちにできなければ、マスターの力が私たちに神の使者を見つけるよう導いてくれます。そしてその使者に私たちを導き、正しく神を愛する方法を教えてくれます。皆さんは常に神の事を念じなければなりません。そうでないと皆さんはお金やガールフレンド、ボーフレンドのことを思うでしょう。それも一種の念じることです。ただ影響が異なります。これはよくない影響です。(マスターと皆笑う)多くの人はいろいろな事を念じます。例えば商売人は彼の商売を思い、政治家は自分の名誉や出世を思います。プレイボーイは美しい女性を思う事で頭がいっぱいという具合です。私たちは物事に集中することができます。私たちが唯一しなければならない事は集中する焦点をあらためることです。

考え方の焦点をあらためる

お金や名声あるいはこの世のはかない快楽を思うよりは、神を思う事に転換すると、私たちはすべてを擁する事ができます。しいて言えば美しい女性をも含めてです。ただし一人しか持てません。(皆笑う)お金でも何でもあります。私はお金や名声のために神を求めたわけではありません。けれども私は神を探し求める事にたいへん専念しましたので、神は私に何もかも与えてくれました。これは私が専念して献身的に神を求めて得た証です。そしてこれもまた皆さんにこの事を証明しています。それは「まず、天国を求めて、そしてあなたはすべてを有するようになります」ということです。私が稼いだお金はまるで空から降ってきたようなものです。けれども決して私がたくさん仕事をしたのではないのです。外の人たちは往々にしてたくさんの仕事をしていながら、多くはもうけていません。けれども、私のお金は使い切れないほどあって人々に寄付したり共修場を購入して座禅する場所を提供したりすることもできます。これらはすべてそのときの必要に応じて決めます。本当です。もし私たちはいつも献身的に神を愛する事に専念するのであれば、望むものはすべて現れ、何一つ不足しているものは ありません。しかもそれほど努力しなくても、すべてが得られます。

continue私は仕事をする時少しも疲れません。皆が知っています。一つの絵または一着の服をデザインするのにほんの少しの時間しかかかりません。私は何でもあります。なぜなら、私は何も気にしないからです。私はただ神だけを気にかけています。そして神はすべてを持っています。私は神のことだけを思っていてすべてを得られます。これはとても簡単な道理で、理にかなっています。皆さんはあのインドの王様の故事を覚えていますか。彼はすべての財産を人々に分けました。皆に自由に選んでもらったのです。皆が来て自分の好きなものを選んで行きました。灯籠を選ぶ人もいれば宝石を持って行く人もいました。服を試着する人もいれば金銀の器や綺麗なカトラリーなどのものを持って行く人もいました。みんなが嬉しそうに自分が気に入った物を持って行きました。彼らは自分たちが選んだものは王様の最も綺麗で貴重な宝物だと思いました。けれども、人々は国王の財宝を一つや二つしか持って行くことができません。全部持って行くことはできないのです。一人の少女が、直接王様の前に行き「私は王様が欲しいのです」と言いました。これで彼女は国や王様を含めすべての財宝を得る事がで きました。

同じように、私たちは神だけを求めるのであれば勿論何でもあります。これは百パーセントの保証です。私が生きた証です。私はいつも幸せです。なぜなら神はずっと私を見守っていてくれるからです。神は私に一度もどんなものも不自由させたことはありません。私は私が本当に必要と思うどんなものも得る事ができるのです。

神からの最高の贈り物

実際に私は何も不足していません。私は自分が何でも持っている事を分かっています。最後に私たちは望むことが何もなくなるのです。もし私たちがたくさん座禅すれば自分が何も不足していないことに気付きます。けれども例え私たちが何も不足していなくても神は相変わらず私たちの生活の面倒をみてくれます。もし皆さんが毎日座禅するとこの奇跡が分かると思います。私たちにとって毎日が奇跡です。私たちはますます楽しくなり、愛にあふれるでしょう。これが神からの最高の贈り物なのです。もし神が私たちに金銭面の福徳をくださったとしたらそれも結構なことですし、私たちに互いに愛し合う福徳をくださったとしたらそれも結構、またたくさんの家や車をくださったとしたら私たちはそれも受けとります。神がくださったものは何であれ、皆いいものです。決して「ああ、神様私は物質の物は要りません、これは私が必要としている物ではありません」なんて言わないことです。何でも受け取ります。神がくれた物は皆いい物です、私たちはそれを人々に分かち合えばいいのです。問題ありません。これがこの世界を天国にする方法なのです。皆が他の人と分かち合えば皆がますます幸せにな ります。そうなれば誰も人の物を盗もうとか隣人を傷つける事など考えないでしょう。なぜなら皆がとても幸せだからです。これこそがこの地球の未来の展望であり、私たちがずっと絶え間無く追い求め、実現しようとしていることです。いつの日か必ずや実現できるものと思います。私たちはこのためにお祈りを捧げましょう。例え私たちの望む通りにならなかったとしても、少なくとも私たち自身の世界は平和で、楽しく、睦まじいものであるはずです。また少なくとも私たちの夫や奥さんや隣人や子どもが暮らしている世界は幸せで、楽しく、睦まじいはずです。

この世界は私たちにとってとても重要なのです。なぜならこの世界は大切な基盤だからです。この世界なくしてこの広い宇宙は存在しません。この世界というレンガがなければ宇宙は存在しないのです。なぜなら、宇宙はたくさんのレンガでできているからです。ですからその一つ一つのレンガはとても大切です。私たち一人一人の親戚や友人や隣人でできている小宇宙もとても大切です。これが私たち一人一人がこの小宇宙を大切にすると大宇宙もそれにつれて平和になる理由なのです。

私たちは平和について話し合うためにジュネーブで大きな会議を開き、大量のシャンパンやコーヒーを飲んだり、牛肉を食べる必要はありません。もしすべての家庭が神と接し、神からの永遠で無条件の愛を得られるとしたら世界は自ずから平和になるでしょう。何も議論する必要はありません。これは私たちの世界の理想の未来図であり、そして宇宙のそれぞれの星の理想の未来図なのです。これはまた神の意志でもあり、神が私たちに知ってもらいたいことでもあります。どんなに時間がかかろうと神は私たちにこれを与えて下さり、道具や情報や方法を与えてくれるでしょう。

神はすべてを面倒見てくれる

神は私たちに教え、道を切り開いてくれます。もし私たちが生命と宇宙との関係のような基本的な事について知る必要があるとしたら神は私たちに方法を教えてくれます。ですから私たちは無限の時間をかけて勉強することがでます。今すぐにでもできます。私たちは光と音流の法門でこれを得ることができます。すぐに得ることができるのです。さもなければ私たちは過ちや苦しみ、悲しみや幻想の幸せから学んで分かるまで待たなければなりません。これが神が使者を派遣して私たちを悟らせる理由なのです。古代と同じように私たちも即座にそれを得ることができます。これは結構なことです。もし皆さんがすでにこれを得たとしたら待つことはありません。たいへんよろしいことではありませんか、もし皆さんの友人が永遠に待つとしても、神は何とも思わないとお伝えください。(マスターと皆笑う)神はたいへんに辛抱強いのです。辛抱強すぎるくらいです。内面の瞑想と接触によって私たちはすぐにすべての事は、前からすでに手配されたもので、もともと問題など存在しないことに気づきます。(天下本来事なし)神はあらゆる生命の些細な部分まで面倒みています。これは私たちが楽しく、満 足し、世界の悲しみや苦しみの影響を受けない理由です。なぜなら私たちは神がすべてを面倒を見てくれるという唯一不動の真理を分かっているからです。

神が私たちに一番早い方法で勉強し、一切の苦しみを乗り越える真理を分からせる機会を与えてくれた時、私たちは神に感謝しなければなりません。なぜなら、真理は本当に私たちを自由にしてくれるからです。真に私たちを自由にしてくれるものはただ真理だけです。もしこれを知らなければ私たちはいつも不安で、とても苦しいのです。なぜ苦しいのか、なぜ悩ましいのか、なぜ災難に遭うのかなどというふうに。これは私たちが分からないからで不安なのです。私たちは細かい部分まですべて知りたいと思いますが、とうていできません。なぜなら、すべてのことは宇宙の大計画に合わせなければならないからです。私たちは宇宙のなかで一塵のチリに過ぎないのです。でも私たちはたいへん世話好きです。まるで自分は神であるかのように。私たちは世界平和をはかるばかりでなく、生活においても悪戦苦闘し、手段を尽くして私たちが必ず達しなければならないと思う目的を実現しようとするのです。私たちは神の意志でこそ成功するのであって自分たちの考えではできないということを忘れているのです。なぜなら私たちは何も知らないからです。

私たちは神と接する時、光と音流に接する時、初めて分かるのです。誰に教わる必要もありません。本や新聞を読まなくても私たちはすべてを知ることができます。深く、そして永遠に。もし皆さんが絶え間なく座禅に精進するのであれば、いかなるこも知ることができます。誰からも教わる必要はありません。なぜなら皆さん自身が自分のマスターだからです。すべての人の中には神がいます。これは誰もが分かる道理です。私たちは自分の知恵やマスターの力を使う程、もっとたくさんの事を知ります。これは自然に教わることです。言葉によるものではなく、内面から学んだものです。私たちは世間の人々がこのことを知らないことを残念に思っています。道理はこのように簡単なのです。空気を吸ったり水を飲むように簡単なのです。真理やそれを知る方法はこんなにも簡単です。けれども世間の人たちは複雑なことに慣れていて、貴重なものはたいへんな苦労を経ないと得られないものと考えています。ですから、こんなに簡単で迅速で、無条件なものを与えようとしてもかえって理解できないのです。

この世界の中で人々がどのように働いているか見てください。彼らは毎日八時間、十時間、十五時間、十八時間も働いています。一体何のためなのでしょうか、ただ雨風をしのぐ家や日に二、三回の食事、着る服、そして仕事用の車のためなのです。彼らはこのような基本的な生活必要品のためにあんなにも働くのです。人々は重労働に慣れてしまったのです。これが人々が無料で、簡単で、直接的で、無条件のものを信じない理由なのです。もし願いがあれば私たちが神からいただいた慈悲や愛で、彼らに最も素晴らしいものは簡単で無条件であるということを教えてあげたいと思います。私たちは私たちの生活様式や道徳的な人柄、皆に見て分かる慈悲と愛でこの道理を証明していきたいと思います。私たちは必ず私たちの生活様式や行為、神に対する奉仕、献身、愛、そして全人類に対する奉仕、献身、愛で神の愛を表さなければなりません。これはまた私たちの教理が成功した理由でもあります。言うだけではなく、行動で示しているからです。

神はすべてを面倒見てくれる