マスターの言葉
エゴについてのレッスン
Supreme Master Ching Hai フォルモサ 西湖道場にて 1996年2月25日(原語は中国語)

る人々は賢くそして才能があります。それで私は、彼らを仕事をするために使い始めたというわけです。けれども彼らはちょっと小さな試練を経験しただけで、去って行ってしまい、自分が偉大であると考えてしまいます。自分のどこが偉大かということも知らないままで。そして彼らは、自分自身を簡単に売ってしまいます。世俗的な仕事をするために才能と知性を提供してしまうのです。彼らは、数千あるいは数万ドルのお金を稼ぎます。そしてそれはせいぜい何人かの面倒をみることが出来るだけで、あるいはちょっと豪華な車を乗り回すぐらいにすぎないのです。彼らは、マスターと一緒に仕事をすることが、どのくらい多くの人々にとって有益かということを知りません。彼らは、このことさえ知らないのに彼らは自分自身が偉大だと思いこんでしまいます。私は皆さんが、ある一定の能力を持っているということを知っています。それで、非常に短い時間で課題を終わらせるようにと強制するのです。ただちょっと皆さんの潜在的な力を奮い起こさせるためにです。もし私が、すべてを簡単に説明してしまうなら、それはそんなには有効ではなくなるでしょう。このようにして、私は皆さんを教え るためにこの戦術を使うのです。

もし皆さんがこのテストに直面するたびに失敗し、そして私たちのグループを離れるならば、それはあまりいいことではありません。もしいくらかの才能と知性を持った人々が、すべて去って行って、そして外で働くなら、残った人々は、ただ花や草を植えることしかできません。そうなれば私は、一人も後継者を見いだすことはできません。あなた方中国人は、他の中国人によってのみ、救われるのです。そうでなければ、もはやいかなる希望もありません。いまだにとてもたくさんの助けを必要としている中国人がいるからです。

もちろん中国人は、すばらしい性質を持っています。例えば彼らはとても暖かく人を迎えてくれ、彼らの持っているものをすべて彼らのお客さんに提供します。しかしそれはすばらしい性質のほんの一面でしかありません。そして高い霊的な理想を持たず物質的な外観の方に傾いていく傾向があります。 いかなる外国人も、中国の人々を救うことはできません。私は歴史を通して一度もそのようなことを聞いたことはありません。たしかに、何人ものラマ僧や、マスターがフォルモサに来たことがあります。しかし彼らはただ一人も救済することなく、いくらかにぎやかに騒いでいただけです。

彼らはほんとうに、いくらかの超能力を持っていました。地上から二、三十センチメートル飛び上がり、そしてそこに十数分とどまるようなたぐいの。しかしこれを達成するにはとても長く厳しい修行が必要とされるのです。なぜ自分自身をそんなに苛酷に扱うのでしょうか? 皆さんは簡単に、飛行機に乗ることができるのですから。しかしながら、それは科学者たちに、物質的で科学的な技術の他に、精神的な力が存在するということを気づかせるためには役に立ちます。    

チベットではたくさんのヨガ行者たちが、空中を飛ぶことができます。そしてそこに、長い間とどまることもできます。毎回彼らは地上に着陸するのに、鉄の鎖で自らを縛り付けて下ろさなければなりません。彼らは空高く舞い上がってしまうので、地上で食事をすることが出来ないからです。また、彼らは毎回地上に降りたいと思うと、エネルギーを使いきってしまうまで、空中で待っていなければなりません。

私は空中を飛ぶことができる車が発明されたという話を聞きました。できるだけ早くそれが買えるようになるといいと思います。私はいつも車に座って、そして地上を這い歩くということが好きではないのです。 私は中国語を話し、そして中国人のように見えるために、いくらかの人々をこのように救うことができます。そういう状況におかれたから中国語を話すことができるのです。私が最初フォルモサにやって来たとき、通訳が結婚してしまい、そして翻訳してくれるふさわしい人を探すことができなかったので、仕方がなく私は自分で中国語を学ばなければならなかったのです。もし人がこのような状況に陥ったとき、その人は自然にそれを学ぶのです。

ですから、皆さんは働くという状況を恐れることはありません。働けば働くほど、ますます知的になり、そして能力がつくのです。私たちが他の人に奉仕できないとしても、それはそれで私たち自身に充分有益であるのです。もし私たちが、知的で才能豊かになるのであれば。

中国人たちは、自分のグループをあまりにも保護しすぎます。彼らは何にしても、中国人にとって有益なことを考えます。これはもちろんいいことではありますが、しかしあまりにも狭い考えです。

達磨は中国にやって来ましたが、彼はそんなにたくさんの人々を救うことはできませんでしたので、九年間も壁に向かっていたのです。

五祖弘忍(ごそぐにん、※注)は、皆さんのように中国人です。そして五千人の弟子がいました。何人の弟子がいるかと尋ねられたとき彼は「一人もいない」と答えました。「慧能(えのう)ただ一人である」と。そして慧能は中国人ではなくベトナム人だったのです。彼の弟子の多くは、少しも高い理想も持たず、そして彼らの目的は単純なものではありませんでした。

五祖は受け継ぎ伝えるものとして、托鉢用の袈裟と鉢を慧能に渡しました。他の弟子たちはマスターの指示を聞かず、袈裟と鉢を中国人の弟子たちのために奪い返そうとしたのです。そして、慧能を殺したいとさえ思ったのです。彼らのマスターでさえ彼らをコントロールすることができませんでした。それで慧能をこっそり隠したのです。臨済もまた皆さんと同じように中国人でした。そして彼は、一万人以上の弟子を持っていました。他の人が「何人の弟子を持っているのですか?」と彼に尋ねると、彼は「ほんの四、五人です」と答えました。彼はあえて弟子たちを怒ることもせず、あるいはまた追いやることもしませんでした。弟子たちはただ人数が多いだけで、まるで山賊のような者もいて、そして彼らは必ずしも菜食をしていたとは限りませんでした。

私はたくさんの霊的修行道場に行ったことがあります。そしてほとんどのマスターたちは、弟子の行動に干渉しないということに気がつきました。このようないくつかの道場では弟子たちが、喫煙などの不適当なことを、堂々と道場内でしていました。すでに真理に到達している人にとって、そのような世俗的なことに関わらなければならないということは、非常に苦痛なことです。

私は、ある道場出身のマスターが、他の人々から自分自身を隠してしまい、そして彼の弟子たちにさえ会うことを拒んでいることも知っています。たとえこのようであっても、彼はなおカルマを取りつづけ、病気になり、そして非常に苦しんでいるのです。

釈迦牟尼は非常に幸運でした。彼の弟子たちは彼ら自身の食物を托鉢して貰い、そして自分たちの面倒をみました。他の人々は彼の道場に対して供養をしました。彼らの面倒をよく見、そして彼を講義のために招いたりもしました。その頃、ほとんどのインドの人々は菜食者で、そして霊的修行者でした。そして僧たちを非常に尊敬していました。            

釈迦牟尼は、彼の周りにほんの数人の弟子をおいているだけでした。五人の弟子の中の一番は、過去世では釈迦牟尼の肉を食らっていた、恐ろしい夜叉でした。残りの者もまた、過去世で釈迦牟尼の血をすすっていた吸血鬼だったのです。もう一人は、かつて釈迦牟尼を迫害した王だったのです。こんな感じです。それはただ釈迦牟尼仏が、彼らを救うと誓ったからなのです。ですから彼らが皆、地球に降りてきた何人かの菩薩の生まれ変わりであるという幻想を持たないでください。

私の周りの人々にも同じことが言えます。皆さんは自分自身を見ることによってそれが分かります。マスターの仕事をするとき、皆さんはただそれが上手にできないばかりか、むしろそれを邪魔してしまうのです。それは皆さんが私に対して悪縁を育ててしまったということなのです。そしてそれは、過去世からの影響なのです。

私が外に送り出す観音使者たちは皆、私が直接見たり教えたりしたくないので、このようにして私は、彼らに外で自分自身をレッスンさせるのです。そして社会の中の状況に彼らを教育させるのです。ですから彼らを幻想の中で甘やかしたり、彼らを拝んだり、彼らに頭を下げたりしないでください。施しをしたりしないでください。あるいは彼らを連れて車で町を回ったりということもしないでください。

ある人は他の人の精神を虐待することが得意です。彼らに暴力的な考えを起こさせます。もし皆さんが彼らに何かするように言ったら、彼らはここで何か間違いを犯し、またあちらでも間違いを犯し、そして始めもなければ終わりもないようなことをしてしまいます。あるいは彼らは皆さんの計画を駄目にしてしまうようなことを自分で勝手に決めてしまい、あなたが立てた計画に逆らい混乱させるのです。

例えば私が誰かに、ほんの五ページほどの長さのタイプを打つように頼んだとします。毎回彼は一ヶ所直し終わったコピーを私のところに持ってきます。その時、彼はもともと合っていた他の所を間違えてしまうのです。彼が再び直し終わったコピーを私の所に持ってくると、彼は三番目の所を間違えてしまっています。それはこのようにして繰り返し繰り返し起こるのです。今私は厚い本のように積み上げられたコピーを持っています。それはただ単に私のお金の無駄だけではありません。私の時間とエネルギーの無駄でもあるのです。私はどういうふうに彼にタイプを打つかということを教えるために、三日間も眠っていないのです。しかしそれはいまだに出来上がっていません。

さて、皆さんご存じのように、よその一部の人々が彼らの妻を殴ることで、人々は夫の暴力を非難します。しかし実際は彼らは極点に押し詰められているからなのです。また、一部の殺人のケースでは、殺人者たちはほとんど不正に取り扱われています。彼らがあまりにも極端に不当に取り扱われているために、彼らは彼らの理智を失ってしまうのです。

私も同じような状況にいるのです。そうするとそんな時皆さんは「なぜマスターは人々を怒るのかしら? 彼女はとっても恐い!」と尋ねます。もう皆さんは誰が本当に恐いのか分かったでしょう。皆さんは私が先程大きな山のような物を燃やしたのを見ましたね。それは彼らが間違ってタイプしたものです。そしてそれはほんの一部でしかないのですが。        

私は彼らのために器材とコンピュータで、およそ百万台湾ドル(約4百万円)も使いました。しかし、電脳(中国語でコンピュータのこと)は人間の頭脳を手助けしたりしないのです。それでも彼らは、自分たちで勝手に決定し、そしてたくさんのコピーを印刷する前に、それでOKかどうか私に尋ねなかったのです。たとえ私が何も言わなかったにしろ、どうして私とコミュニケーションをして、それで私にこれでOKかどうか尋ねなかったのでしょうか? 皆さんがそうしていたなら何の問題もなかったはずです。そして私が何かを忘れている場合、もし皆さんが私に念を押してくれたなら、私はとてもうれしいのです。

もうこれらのコピーは役に立ちません。すべて無駄になってしまいました。それらは命あるのものたちのお金なのです。皆さんはすべて自分自身の徳を無駄にしているのです。もし皆さんが自分の徳をすべて使い尽くしてしまったなら、ここにとどまることも修行することもできません。ある人はもはやここに住むことができず、去って行かなければならなかったのです。私に理由を聞かないでください。皆さんは自分自身に尋ねるべきです。そうすれば皆さん自身で分かるでしょう。

毎月まとめて、スナック菓子の注文はざっと一万台湾ドル(約4万円)以上にもなっています。皆さんはここに来て住む前に、スナック菓子のためにそのくらいの金額を使った覚えがありますか? そのうえ、たくさんのお菓子を食べるということは、良いことではありません。なぜならば私たちは、決められた食事の時にたくさん食べることができないからです。一日中食べているということはできません。皆さんの胃を休ませてあげるべきです。体に良いことなのです。物質的な面にあまり注意を持っていかないようにしてください。それが皆さんの霊的な修行を妨げるからです。もし皆さんがこの世でたくさん使いすぎてしまえば、それは払い戻さなければなりません。皆さんの月々のスナック菓子代がどんどん増え続けていますので、別に私がけちけちしているというわけではないのですが、ただ聞いてみてるだけです。数千、あるいは一万台湾ドルは、一ヵ月の間一家族を養うことができるのです。

ときどき私たちが他の人々を助けるとき、私たちは多額のお金をあげ助ける必要はありませんし、長い間助ける必要もありませんが、ただ彼らが一番苦しい時だけ助ければいいのです。そしてそれは一日あるいは一時間持ちこたえることができます。彼らがその時を越せるように助けてあげるのです。そうすれば彼らは立ち上がることができ、自分たちで自分たちの面倒をみることができるようになります。たくさんのお金や、ずっと続けて世話をする必要はないのです。彼らのカルマが通り過ぎてしまってからは、それでもう彼らは大丈夫なのです。ですから簡単にお金を無駄にしないでください。なぜならばそれは、たくさんの人を助けることに使えるからです。

私は芸術家です。物質的な面でとても多くのことに関わらなければならないとしたら、私はとても煩わされるでしょう。そしてまた、これらのことを代わって面倒みてくれる人を探すこともできないでしょう。もし私があまりにも物質的なことに関わっていると、多くの霊的なことにも関われなくなるのです。

※注 五祖弘忍(ごそぐにん): 達 磨から数えて五代目の禅の大師。弟子の慧能は、六祖と呼ばれる。法の伝授の証として、袈裟と鉢が代々受け継がれてきた。

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