二十世紀の門徒
旧正月の数日間、マスターは心労と疲労で衰弱し入院しました。マスターのスタッフは次のように回想しました。「病院へ向かう途中、マスターは一度意識を取り戻し、私が心配の汗と涙を流している姿を見て忍びず、か細い声で慰めて下さいました。『手袋をはずしなさい。とても熱すぎます!』また弱々しい手でティッシュを取り出し、私の額の汗を拭ってくださいました」ここまで話すと、スタッフは熱い涙をとめることができませんでした。「マスターはまた、みんなに『私は大丈夫です。心配しないで』という知らせの電話をかけ忘れないようにとおっしゃいました。言い終わるとマスターはまた意識を失いました」
弟子たちがとても心配していることを知っているマスターは、私たちがお見舞いに行けるように口実を探して下さいました。ちょうど旧正月の三日の早朝に、マスターは電話で私たちにある仕事を下さいました。それから旧正月の三日はオゥ・ラックと中国では師を訪れる日でしたので、マスターに会いたい人は病院に行くことを許してくださいました。そしてビスケットとキャンディーも忘れずに持ってくるようにと!
病院で苦しんでいる身でありながらも、マスターは弟子たちにお年玉をくばることを忘れませんでした。マスターはスタッフに、私たちがマスターの愛に満ちた縁起ものを受け取れるよう特別に手配したのです。
生花、観用植物、ビスケットやら、キャンディーを持ってみんなが病院に着くと、マスターはちょうど超音波検査を受けているところだとスタッフは言いました。何ということでしょう! マスターは、もっとも恐れることはこの種の検査をすることだと言っていたではありませんか。人を狭くて冷たい長い管の中に閉じ込め、少しの身動きさえもできず、何時間もの苦しみです。マスターがどれほどの苦しみを受けているのかと思うと、気が倒転するような思いでした。
私たちは静かに待合室で座禅し、仏号を念じ、マスターをあまり苦しめないようにと神の加護を祈りました。
その後、病室の中で弟子たちはマスターのベッドを囲んで両側に座りましたが、彼らの心の痛みは抑えがたいものでした。マスターはそれを感じとりました。目を開けて、出来る限り身体を起こし、私たちを慰めようとして下さいました。旧正月は中国人にとって非常に重要なので、私たちが異国にいることを考えると、私たちを招待する責任があるとマスターはおっしゃいました。
忠実に守護するマスターの化身
マスターは、本来これらの苦しみを受ける必要はありませんと言いました。弟子たちはみな、マスターが慈悲により衆生のカルマを背負い、そのために肉体の苦痛を耐えることになったことがよくわかっています。
スタッフは言いました。「マスターが意識を失っているときのことです。病院の医療スタッフが麻酔を注射しようとすると、突然マスターは身を起こし、とても強く力のある声で拒絶しました。注射は必要ありませんと言うと、また横になったのです」マスターはそれを聞くと、そんなことは少しも覚えていません、とおっしゃいました。きっとマスターの化身が彼女を保護していたのです。というのはマスターの肉体はとても敏感ですから、普通の量の薬剤でもすでにマスターにとっては多すぎるのです。もし病院の医療スタッフが忘れたり、誤って薬剤の量を多くしてしまったなら、マスターにとって大変大きな傷害を与えることになるのです。ことによってはとても長く意識不明の状態が続くでしょう。マスターは超音波室に入るとき、スタッフがだれも付き添い願いを申し出ていなかったことを知り、本当に安否を気遣ってくれる者はいないのだと、悲しく思いため息をつきました。もし本当に心配ならば、きっとできる限りのことをしたはずです。ガラス越しに、あるいは屋根に穴を開けてでもマスターを見守り、確実にマスターが無事だとわかってやっと安心できるというものです!
私たちはマスターを愛していると言いますが、マスターの化身の忠実な守護に比べると、私たちのすることなんて本当に恥ずかしいものです!
ブッダと彼の息子の親密さ
マスターは意識が次第に回復してくると、身体を起こし腰かけて、私たちと共に加持物を楽しみました。マスターは釈迦と、そのひとり息子であるラーフラ親子の親密さについて話し始めました。ラーフラは皇太子という高い身分でしたが、出家後ブッダは彼に対して非常に厳しくしました。一般の弟子たちに対してよりもさらに厳しいものでした。ラーフラが誤ちを犯したときブッダは罰として彼をトイレで眠らせました。
二千五百年前のインドで、僧たちが使用していたトイレは、陶器でできた、消臭芳香剤の置いてある現代のものとは大違いだったことでしょう。ラーフラは屋根さえもない粗末なトイレで夜を過ごしたのです。これがブッダの教え方です。その結果、ラーフラも謙虚を忍辱することができたため、ついには法統を継承し第四代祖師となったのです。
夫婦のように生死を分かち合う
マスターはついでに長住者たちのいくつかの欠点を取り上げました。私たちが改善できると期待して。ある者はマスターに弟子入りした後、同修と一体になりすぎ、友情を重視しすぎるため、かえってマスターに学ぶために来たその初心を次第に忘れています。ブッダの息子のような高貴な者でさえ、厳しい試練を経なければならなかったのに、まして私たちなど言うまでもありません。
マスターはまた師と弟子との付き合いにおける問題も指摘しました。なぜなら私たちの関係はまだガールフレンドやボーイフレンドと同じで、相手と喜びを共に分かち合うのを待っているからです。それらは夫婦の関係のように、苦難の生死を共に分かち合うほどにははるか及びません。
ステージで講演しているマスターのその荘厳さに惹かれて、心に敬慕の念が生まれ、すぐさまついていきたいと思ったのです。ところがいったん近づくと、マスター自らの教育に耐えられないのです。マスターはどうして私たちが偉大な人物であるとわからないのだろうか、と思うのです。「もしあなたが本当に偉大ならば、私に証明してみせるべきです」とマスターはおっしゃいました。マスターは私たちの偉大さを知っているからこそ、私たちが自己の真の偉大さを認識するよう激励するのです。
私たちはまた「考えすぎる」ためによく誤解が生じ、師徒の間に溝を作りだしてしまいます。マスターは例をあげて説明しました。ある日のこと、彼女と何人かの長住の弟子たちが植樹しているときのことです。誰も彼もみんながありったけの力を振り絞り、正しい方法と場所に注意を払っているとき、一人の長住者が突然駆け寄ってきて側に立ち「好意」で尋ねました。「私に何かできますか?」そんな混乱しているときですから、マスターもただ思いついたのは「あっちへ行って!」
マスターは笑いながら言いました。「誰もがちょうど忙しく、また樹を運ぶときに彼にぶつかるのではと心配なのに、それでも彼はまだそこで、この樹がどのようにして成長したのか、またどうやってここまで運ばれて来たのかなど、全ての話を説明するのを待っていたのです。しかし残念なことに彼の我執はこのため傷ついたのです」
そのとき、看護婦が黄色い液体の入った注射器を手にして入って来ました。病室に大勢の人がいるのを見て、彼女は驚きました。マスターは私たちが彼女の生徒であり、旧正月のため師を訪れたのだと説明しました。注射を打ち終えると、マスターは午後のお茶をご一緒にと、看護婦を招待しました。彼女たちは、マスターを囲んでのリラックスしたひとときを楽しんで去って行きました。マスターはまた弟子に加持物の入った大きなかごを持たせ、ナースステーションへ届けさせ、医療スタッフ全員に贈りました。
その後、マスターは興を添えるために、私たちに歌を歌わせました。誰もが偉大な歌手の前で彼らの「ベスト・パフォーマンス」を贈りました。練習がおろそかで、調子外れではありましたが、しかしまごころは、神の心をも動かしたに違いありません。マスターも加わり一緒に合唱しました。
またマスターは優雅に香る花を一人一人に投げてよこしました。途端に小さな病室はマスターの愛によって、歌声に満ちたかぐわしい天上の宮殿に変わりました。
マスターが私たちを楽しませようと、私たちを笑わせ喜ばせているとは知りつつも、マスターが疲れすぎるのではと心配していました。しかしマスターが与えようとするとき、それはこのように無我で惜しみないのです。だから私たちもまた、神の加護を祈り、一切の災難は消えてしまえと、思う存分声高らかに歌うのです。
さよなら、嫉妬心!
その後マスターもスタッフがお互いの面倒をよく見ないで、相手をひもじくさせたことに気づいていると言いました。それで悲しくなって涙を流すのです。マスターはこのように指摘して言いました。誰がマスターに近づいてもその途端、近くにいた人はすぐに嫉妬して故意にあるいは無意識に圧力をつくり出し、その人を耐えられなくさせ、逃げ出させてしまうのです。マスターは彼を救うためにこそ、そばにおいているのだということが、私たちはわかりません。そうでなければその人はおそらくまた何度となく輪廻しなければならないかもしれません。
同じマスターの弟子なのですから、まさかマスターが彼を見捨ても構わないとでもいうのでしょうか? もちろんできません。またその人を救うためにマスターが再び降りて来て苦しみを受けるのを見て耐えられるでしょうか? もし一時的な無明によってその人を立ち去らせたならば、後にたとえ私たちが天国へ行けたとしても、このカルマは私たちを百万年の間マスターと会えなくさせるでしょう。
弟子が無明からカルマを創り出してしまうのを見て、マスターの心は痛みます。それで口を酸っぱくして私たちを戒めるのです。たぶん因果であるカルマの力の影響を避けられなければ、心の中の嫉妬を抑制することはとても難しいのです。しかしそれでもできるだけコントロールしなければなりません。お互いがみな兄弟姉妹と思っていれば、どうして無情なことなどできるでしょうか?
マスターはため息をついておっしゃいました。すべての人が、みな彼女のそばに留まることのできる、マスターとの縁があるわけではありません。私たちが無明なので、その結果よい友を探し出せず、マスターをずっと孤独にさせているのです。
マスターの涙は弟子の頑固な鉄の心を溶かしました。私たちは本当に利己的すぎます! マスター本当に申し訳ありません!
キリストを再び十字架に架けてはいけない
床に落ちた花びらを拾いながら、加持物でいっぱいのかごを持って病室を去ろうとしていると、マスターは涙にむせぶのをこらえた声で言いました。「歌をどうもありがとう!」「新年おめでとう!」
バスを待っている間、満天の星を仰いで“Starry Starry Night ...”今さっきの病室でのことを思い出しました。ベッドの上で、マスターは両腕を伸ばして、天に向かって言いました。「気にしないことにしましょう。どのみちすでに十字架に架けられているのです」
何度生まれ変わっても、キリストは彼の血をもってあがない、世の人を救っているのです。どうして私たちは聖なる人の純粋な心を、無慈悲にも再び傷つけることができるでしょうか!
“Now I understand what you tried to say me?
How you suffered for your sanity,
How you tried to set them free.
They would not listen,
They did not know how,
Perhaps they'll listen now...."
今やっとわかった
あなたが何を言おうとしているのか
はっきりしている
あなたがどんなに耐えているのか
彼らを自由に解脱させようと
どんなに力を尽くしているのか
彼らは耳を貸そうとしない
彼らはどうすればよいか知らない
ひょっとしたら、今彼らは耳を貸すことができるかもしれない 
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