問答精選
愛は唯一の宗教(下)

         Supreme Master Ching Hai アメリカ・テキサス州 ヒューストン
       観音ベジタリアン・レストランにおいて
       KLODラジオのヘレン・ストーン女史よりインタビューを受ける
       1993年11月14日(原文は英語)

:即座に悟りを開くというのは、どのような意味ですか? 私にはよくわかりません。

答:悟りを開くというのは、光を意味します。誰かがあなたの手助けをして、すぐに天国からの光が見えたとき、それを「即座に悟りを開く」と言います。私たちが人々にしている手助けというのは、人々に天国の光を見えるように、天国の音楽が聞こえるようにすることです。それは神からのメッセージです。つまり聖書に記載されている「音」です。「音は神であり、神と共にある」覚えていますか? その音はつまり神から聞こえる音です。私たちがその音を聞いたそのときが、悟りを開いたときです。

神からの音、神からのメッセージはそんなに簡単には聞こえません。光も簡単には見えません。見える人はほんのわずかにすぎません。敬虔な気持ちで深く祈るとき、深い悲しみにあるとき、意識のないような状態のとき、この物質世界の代わりに、より高い境涯とつながります。けれども、これは珍しいことです。

ですから自分の力で神からのメッセージ、光や音の体験が得られないときは、あなたをすぐに手助けしてくれる人を見つけるべきです。つまりそれは真理を探し、マスターを求める過程なのです。すぐに光と音を体験させる手助けをしてくれる人は、誰でも精神的なマスターと言われます。

問:友人は、外見や見た目で人を判断すべきではないと言っていたのですが。なぜなら私たちの周りには比較的高いレベルの衆生や霊魂がいて、私たちは毎日想像以上に高い精神レベルの衆生の中にいるからだと。

答:そうです。その人たちは非常に高いレベルの人々です。

問:私は最近映画を見ました。「愛の魔力」を歌ったロックシンガー、ティナ・ターナーの波乱の人生の物語で「ティナ」という題名です。映画の始まりで仏教の言葉を引用していました。私は今だいたいの意味を話すことができます。「最も美しい蓮の花は最も汚い泥の中に咲きます」。マスター、あなたは悲惨な境遇の中でもがき苦しむことに何の価値があると思いますか? 悪の中に善を見つけることはできますか?

答:いいえ、私はそうは思いません。善は悪の中には決して存在しません。もちろん、少しはいいこともあるでしょう。困難が私たちを目覚めさせ、私たちに生命無常の本質を気づかせ、そして私たちが苦難を乗り越えなければならないことを理解できるなら、よいことです。けれども、最もよいことは私たちが全く苦難を経験しないことです。私たちが目覚めることです。苦しみを受ける種をまかなければ、私たちは一切の苦痛から免れることができます。

問:生活の中で陰と陽、善と悪、苦難などのバランスをとることはできますか?

答:はい、当然です。私たちは今バランスをとるべきです。なぜなら、私たちはすでにこの世界に住んでいるからです。完全に免れるには遅すぎます。ですから、私たちがこの苦難を陰と陽の一部として受け取るのです。プラスとマイナスの力のバランスをとることが必要です。けれども、それでもまず私たちは将来の悪因となる種をまかないようにすることです。第二に他人にも悪因となる種をまかないことです。同時に私たちは毎日の座禅と神を思うことにより、肯定的魂の力を日常生活にもっと取り入れ、それによって私たちの過去の行為がつくりだした悪いカルマを減らすことができます。そうです。正道を行なうことです。実際、すべてのことに方法があるからです。

問:マスター、一人ひとりの内部にアニマとアニムス(男性的な魂と女性的な魂)があると信じますか? なおかつ調和とバランスを取ることができますか?

答:つまりそれは肯定的な力と否定的な力です。女性は否定的な力と言われています。私たちは、弱く遅く鈍いようなものをみな、否定的な力と言っています。ある人は陰性という言い方をします。反対に比較的外向的で、なおかつ強いものを肯定的な力と言っています。多くの人は別の呼び方もしています。実際は、創造力のことも陰性と言っています。けれども、それには副作用があります。その訳は創造すればいつか壊滅する日が来るからです。ですから全体的に見ると、陰と陽のバランスが保たれているとき、私たちと宇宙の間が相互に調和して、大きな苦難を受けなくすむのです。

問:もう一つ質問があります。私たちは多くの児童虐待について耳にします。もちろんデビディアン派関連の事件だと思います。私たちの社会の中では、児童に対して、暴力をふるったり、感情的に性的虐待が行われています。私たちはどのように子どもたちと接していったらよいのですか? もともと私たちは、いつも子どもたちの天真爛漫な姿に感動しています。子どもたちを虐待して、良い成長、最高の自我が発達できる環境を与えないことをどのように思いますか?

答:幸いなことにそのようなことは、まだそれほど多くありません。新聞や雑誌で読んだり、ニュースで聞いたりします。たとえ何度聞いても、それはたった一つの同じ事件をくりかえし討論しているにすぎません。ですから同じようなことがたくさんあると思いがちです。けれども、実際には私たちの社会はそんなに悪くありません。まだきれいです。

精神異常者がいて、彼らが自分でそのことを知らなかったとしても、あなたはなにもできません。もし彼らが知っていたら、精神科医のところへ行き、治療を受けるでしょう。ですからこのような災難、事件を私たちは次のように理解すべきです。それはただ苦痛から抜け出すことのできない一部の人たちの悲劇と事故であると。おそらく彼らは自分の過ちに気づく時間がきていないだけです。 

さらにもう少し深くお話ししますと、多くのことはあなたが言っているような犯罪や事件の発生を促しています。多くの災難も同様です。このような犯罪行為には根本的な原因があります。私の言っている意味がわかりますか?(わかります)ですから、私たちが考えているような全く罪のない人はいません。ただ神だけが罪がなく純真無垢です。私たちの魂は完全に潔白で無傷です。けれども、私たちは多くの邪念を集めて、一緒に生存し成長して死にます。そして幾度となく邪念とともにこの世に戻ってきます。それは私たちが目覚めるまでずっと続きます。私たちがこのようなことにうんざりするまで、学ばなければなりません。これは生命についての否定的な面です。幸いなことに私たちにはこのような例はまだそんなに多くありません。

問:この世に来て神からの課題、あるいは自己の修行を達成させることが、つまり輪廻する目的ですか?

答:はい、そうです。正しい道を見つけるまで、宇宙計画の中で自分の人生の正しい目的を見つけるまで、私たちはまだまだ苦しむでしょう。その理由は私たちは間違いを犯し、計画された道をきちんと歩んでいないからです。当然混沌とするでしょう。ですから私たちは戻ってきて、正しい「スイッチ」を押すまでやり直さなければならないのです。そしてそのとき私たちは満足します。 

それが正しい道です。そのとき私たちは悟りを開き、神を見つけます。そして毎日私たちの悟りを深めるのです。私たちが発見すべきこと、すべてをみつけることを完全に確信すれば、二度と戻ってくることはありません。私たちはもう一度戻ってきてマスターに、精神世界の指導者になることも可能です。

問:私はマスターがヒマラヤ山中で道を求めたときの霊修体験を知りたいのです。私はこの質問を準備したとき、日曜の朝、ラジオの前にいる聴衆のことを思い浮かべました。おそらく、その人たちはマスターの教理を理解していません。でも、印心したいと思っているかもしれません。もっと深く観音法門を知りたいと思っています。

答:あなたの質問の意味は内面の悟りについて聞きたいということですか?

問:そうです。どうぞ私たちに教えてください。

答:いいでしょう。たくさん話すことがあります。第一に、宇宙はとても広大です。そして宇宙は私たち自身の中に含まれています。ですから私は一部の例だけしかお話しすることができません。例えば一般の人は悟りを開くとき、普通光と音を体験します。いろいろな色、いろいろな強さの光が見えます。一千個の太陽より明るく、またある人はそれほど明るくなく、またある人は黒い雲のようなものが動いているように見えることもあります。時間がたってから見える人もいます。けれども、そのようなことは非常にまれです。多くの人はすぐに神からの光を見ることができます。光は智慧と超意識を表わします。それは影のない光です。肉眼では見えず、内在の知覚で見ます。光が見えたときが、いわゆる悟りを開いたときです。

続いてあなたには音が聞こえます。父なる神からの静寂の音です。天国からのメッセージを伝えています。言葉はなくても、はっきりと聞くことができます。音楽のようですが、楽器は用いません。それがどんなものか形容できません。けれども、とても美しく、メロディーに満ちあふれています。その音は俗世間の限界を越え、あなたを高いレベルに引き上げ、あなたの行くべき、もともといたところに導きます。その高い境地からあなた自身の人生をさらに正しい方向へと導きます。ですから、私たちは低いレベルの修復できない混乱やもつれを正しく解決することができます。その理由は高い境地にいると、よりはっきり見えるからです。

ここで言っている高い境地とは、はしごか何かで登ることではなく、つまり高い意識、自覚、知性です。私たちは智慧の源、神のような真の自我に戻ります。私たちは神に戻るのです。神は私たちの内なる聖殿に住んでいます。ですから私たちはやっと自分は誰なのか、はっきりと知ることができます。そして私たちは外側から自分を縛りつけているすべての習慣と学識を捨てることができるのです。

あなたは内在の智慧に集中すればするほど、自分の本来の姿を思い起こします。さらに智慧が深まり、あなたの生活はますます順調になります。すべてのことはどんどん良くなり、多くのことを完全に理解し、ありとあらゆる所に偏在し、すべてのことができるようになります。あなたを求めるすべての人たちが、宇宙のどこにいてもわかります。そしてあなたは状況によって、その人に有益な方法を選んですぐに手助けします。それはつまりマスターと呼ばれる人の最高の成就なのです。

問:ずいぶん前に私は観音様について聞いたことがあります。私はバッファローの、ある小さな店で観音像を手に入れました。話によると観音様は日本の女の菩薩の一人で、慈愛と幸福と健康の象徴だそうです。多くの文化などが日本から渡ってきて、今観音法門を修行することになったのはどういうことでしょうか? 私は何かつながりがあると思ったのですが。

答:観音様は日本だけの女菩薩ではありません。中国、ベトナム、インド、チベットの女菩薩で、さまざまな名前で呼ばれています。インドではAvalokitesvara、チベットでは何と呼ばれているか忘れてしまいました。インドでは男性です。チベットでも男性です。けれども、日本、中国、ベトナムに伝わったとき、男性が女性になりました。(マスター笑う)ですから、私もそれがどちらかわかりません。もちろんどちらにしても、それは神話の中の人物です。観音様は過去のマスターです。例えば、モーゼのようにです。

観音様は在世のとき、人々が求めることに必ず答えてくれました。ですから、誠心誠意願えば弟子でも弟子でなくても利益や加護を得ました。たとえ観音様が往生したあとも、人々は昔のように祈りました。例えば、キリストやお釈迦様を求めたように。とはいえ、私たちが現在それほど感応がないのは、マスターたちはすでに往生しているからです。私たちは必ず在世のマスターを求めるべきです。そうしないと、効果がありません。マスターが往生した後でも、人々は以前と同じように求めます。その訳は彼らの祖父母が願い求めて助けを得たからです。ですから、その子孫たちは同じように願い求めていても、その本質はわかっていません。加護の磁場はマスターの死と共に消滅してしまったことを知りません。

あなたは数百年前に往生したマスターに祈ることができます。ただし五百年を越えることはありません。それ以後は効力がありません。その原因はマスターの磁場が消失したからです。その磁場は献身的な愛の心からつくられたものだからです。一部のマスターとつながった弟子は、マスターが往生した何世代後も彼らの心の中にその磁場は留まっています。つまり、マスターの愛の雰囲気です。その訳は彼らがなおもマスターを愛しているからです。マスターが在世のとき、すでにマスターとつながり、少なくてもとてもレベルの高い弟子とつながっていたからです。

ですから、その法脈と血脈はマスターが往生した後も存続します。何世代も継続し、最高で約五百年続きます。それは弟子たちがいるからで、マスターが弟子たちの心の中になおも生きているからです。ですから、弟子たちを通してマスターの加護と愛が今も存在するのです。けれども、マスターやその弟子たちが往生して、法脈を伝え続けていくことができる良い弟子がいなくなれば、そのときそのマスターに祈っても何も効果はありません。(拍手)

問:私たちはどのようにすれば、私たちの霊性と肉体をさらに遠ざけてしまう物質主義を取りのぞきはじめられるでしょうか? どうしたらもっと私心をなくし、あれこれ欲しがらなくなるのでしょうか?

答:これは非常に難しいことです。なぜならば私たちはいつも葉にばかり水をやり、根には水を与えていないからです。いろいろな誤解、無知そして貪欲のもとは根からのもので、理解力が開かれていないからです。ですから私たちは誤解するのです。私たちは真理、永遠の幸福を追求します。けれども、お金や美女たちが私たちを楽しませてくれると誤解しているのです。私たちは真の幸福を求めています。つまり真理です。それは本当の霊性のパワーで神そのものです! けれども、私たちはそれを知りません。ですからあれこれと要求し続けます。いつか理解力が開き、理解の源が開かれたらすぐ、あなたはいろいろな異なることを理解することができます。あなたはこのように言います。「ああ! これが私が求めていたもので、あれではありません」と。そしてすべてのことがはっきりしてきます。なにもする必要はありません。例えば植物の根に水を与えれば、葉は自然に緑豊かになるのと同じなのです。

問:私たちがこの地球上で生きている間、自分の全力をつくし仲間を思いやり、愛の力をもつ良い人間になるべきですか?

答:はい、けれども、それは付帯的なことです。最も重要なことは私たちの内面が喜びで満ちあふれて満足だと感じることで、自分が満足できたとき他人を満足させることができます。自分をいかに愛するかがわかったときだけ、あなたは自分がどんなに偉大だとわかるのです。あなたは他人を偉大にすることができ、他の人の偉大さを尊重することができるのです。ですから、すべてのマスターはこのように言っています。「自分を認識しなさい」「まず自分の内に天国をみつけなさい」と。それは自分自身のことを意味します。「あなたの内に住んでいる精霊を見つけなさい」「自分が神の殿堂であると認識しなさい。そして、精霊はその中に住んでいます」「あなたの仏性、最高の仏性を見つけなさい」などすべて同じ意味です。

愛は唯一の宗教(下)