マスターの開示
聖書物語--ノアの箱舟
Supreme Master Ching Hai 中国語の講演 フォルモサ・西湖道場 1990年5月30日

ぬけ(中国語でイヴの発音と似ている)と大胆(中国語でアダムの発音と似ている)の二人が山から降りてから、たくさんの子どもが生まれました。彼らはさまざまな国、さまざまな場所に分散して住みました。やがて、この世界は徐々に混乱し始め、人々はどんどん悪くなっていきました。彼らは神の指示を聞かず、神を敬愛していませんでしたし、また、神が彼らにどんな生活方式を望んでいるのかも、気にしていませんでした。つまり、彼らは道徳や神の戒律など気にしなかったのです。そして、誰一人として、神の言葉に耳を傾ける者はいませんでした。

神は人間の創造を後悔する

それで、神は人間を創造してきたことを後悔し始めました。今や残された方法はただひとつで、それは、改めて人間を創造し直すということです。神はとても悩んだので、全世界を消滅させることに決めましたが、この決断は神にとって苦痛を伴うものでした。人間だけではなく、世界中のすべてのものを破壊してしまおうと思ったからです。そこで、神は洪水を起こし、すべてを水中に沈めてしまうことにしました。

ところが、あるところにとても善良な人がいました。彼は神の指示に従って生活し、規則と戒律をよく守り、神をとても愛していました。この神の友達の名前はノアと言いました。神はノアに洪水のことを話し、神の計画を説明しました。神はノアに言いました。「私はおまえと、おまえの家族を救いたい。それには、家族全員が入れる一隻の箱舟を造らなければならない。また残りの空間には、それぞれひとつがいの動物を連れていってもよい。それぞれ二匹ずつ、一匹はオス、一匹はメス。こうすれば、後に繁殖し、生き残ることができる」。ご覧なさい。神はとても周到に考えています。もしノアにまかせたら、きっと三匹のメスと、二匹のオスを入れたでしょう。そうしたらけんかが始まり、卵を産むどころではありません。(笑い)神はまたこうも言いました。「長期間生き延びるための食料を貯えるのに十分な空間が必要である」。

ノアは神の指示に従って、神が要求した箱舟を造り始めました。この仕事はとてもとても長い時間がかかりました。大勢の人が見に来ては、いつも聞きました。「何をやっているんだい。何でこんな箱舟を造っているのかね」。ノアは彼らに神の計画を教えましたが、彼を信じる人はいませんでした。みなノアは頭がおかしいと思いました。こんなことをするなんて、きっとノアの頭に問題があるに違いないと考えたのです。みなさんは想像できますか。ノアが住んでいたのは、海や川から何千キロも離れた高い山で、そこで彼は箱舟を造っていたのです。「なんてバカな人だ!」。みんな口々にこう言い、彼をあざ笑いました。けれども、ノアはやはり神を信じ、信念は揺らぎませんでした。

洪水がすべてを覆いつくす

ついに箱舟が出来上がり、やがて雨が降ってきました。そこで、ノアと家族と、それぞれのひとつがいの小鳥、動物など、みんな箱舟の中に駆け込みました。すると神は、箱舟の入り口をしっかり閉じるように言いました。しっかりと閉鎖すると、まるで誰かが天をひっくり返したかのようなどしゃぶりになり、それが何日も続きました。すぐに、すべての河川、海の水位がどんどん上がってきました。そのうちに箱舟はだんだん浮き上がり、ノアと家族は水面に浮かんでしまいました。けれども、雨はやはりずっと降りやまず、何もかもが水に覆いつくされて、一番高い山の山頂さえも見えなくなりました。何も見えなくなり、生き物は何もいません。すべてが消滅され、助かったものは何もありません。ノアと家族と動物は箱舟の中にいて、周りに見えるのは水だけで、他には何もありませんでした。

ある日突然、世界がこんなふうになるということを、みなさんは想像できますか。私たちがここでお茶を飲んでいたとします。ところが突然、すべてが水に覆われ、屋根に上がっても無理で、一番高い山さえも見えなくなります。そのとき、世界は孤独で静寂とした哀れな場所に変わってしまうのです。

それでも、とうとう雨がやんで、水位が少しずつ下がり始め、ある日水がなくなりました。箱舟は山の頂に乗って、漂流しなくなりました。ある日、ノアは地面が乾いたかどうか知りたいと思いました。外に出られるくらい地面が乾いているか、確かめたかったのです。そこで、彼は窓を開けて一匹の動物を外に出しましたが、その動物は戻ってきませんでした。もしかしたら、溺れてしまったのかもしれません。なぜなら、雨が長い間降ったので、木などが腐って泥に変わってしまったのかもしれないからです。それで彼は一羽のハトを外に放ちました。けれどもそのハトにとって、大地はまだ十分に乾いていなかったので、また戻ってきました。ハトはもともと戻ってくるのが専門です。ノアは戸を開けてハトを入れました。

しばらくたってから、そのハトをもう一度外に出しました。こんど戻ってきたときには、ハトは一枚の緑の葉をくわえてきました。それでノアは、木々がまた成長し始め、大地は十分に乾燥したので、外に出られるということがわかりました。ノアは箱舟の入り口を開けて、みんなを外に出しました。家族全員、動物もみなうれしくてたまりません。みんな外に出て、歓声を上げ、飛び跳ね、踊りだしました。とても長い間箱舟の中に閉じこめられていたので、きっと退屈していたのでしょう。

神はノアに言いました。「さあ、おまえたちはこの箱舟から離れることができる。ここから出ていき、新しい生活を始めるのだ」。彼らは、神に対し安全に保護してくれたことを感謝し、それからたくさんの石を集めて、大きな高い祭壇を作りました。そして料理を作って神に捧げました。そのとき、空に虹がかかりました。これは神の慈悲心の現れです。そしてノアに優しく約束しました。「今後、私は再び世界を滅ぼすことはないだろう」。神がこう約束したので、人々は新しい生活を始めることができたのです。

みなさんは神がなぜこうしたのかわかりますか。神が人間を創造し、神の精神を人間に与え、私たちの内面に神の智慧と愛の心を与えたのは本当です。けれども、私たちがそれを使いたいと思うとき、その品質は頭脳を通さなければなりません。もし頭脳が壊れていたら愛の心がなくなり、悪い行いになってしまうこともあります。この「頭脳」という道具がとても重要なのです。もし頭脳が壊れたら、人が変わってしまいます。神は人間を滅ぼしたのではなく、すでに腐ってしまった道具を滅ぼしたのです。神はその行いが正しく、根拠のあることだとわかっていました。けれどもこんなに美しい世界を作るのにはとても長い時間がかかります。何千万億の時間をかけて、やっとこのような地球ができるのです。

石炭がダイヤモンドにも変わる

ご存知のように、この地球の始まりは混沌としていました。どんな生命、人類、動物も、何もありませんでした。まるで火の球のようで、誰も住めず生き残れる生命力もありませんでした。長い長い何千億年の後、地球の表面がやっと冷えました。現在でも中心はまだ冷えていないので、たまには漏れ出てきます。それを私たちは火山の噴火と呼んでいます。溶岩の熱は石、金属などを溶かし、それからだんだん冷えて、それぞれ別の物質になります。早く冷えたものは固い物質になり、ゆっくり冷えたものは石などの類になります。分類上は違っても、実際には全部似たような品質です。というわけで、木材は長い間圧迫されて、堅い石炭に変わります。

石炭はもっと長い時間、圧迫されると何になりますか。(みな「ダイヤモンド」と答える)そう、ダイヤモンドです。あの役に立たない、真っ黒なものが、結果的にはダイヤモンドになります。たいへん価値のある石に変わるのです。同じ要素であっても、圧力が違うと別のものに変わるのです。

私たち人間もそうです。もともとはみな平等です。けれども、あなたがどのくらい努力したかによって、なれるものは変わります。みな平等というのは間違っていませんし、誰にでも仏性があるのですが、仏になれるかどうかは自らの鍛練にかかっているのです。こんなふうに、自分を変えることに身を入れられないのなら、石炭になって黒い光を放つしかありません。それでも、ダイヤモンドもまた石炭でできています。どんな宝石も全部石炭や普通の木片からできているのです。

長い長い時間がかかって、やっとこのような世界を造り出すことができます。私たちは地球があまり美しくないと言って、ときには嫌がったりもしますが、実際には多くの努力を費やしてきました。一匹の昆虫、一匹の蚊、一匹のハエでさえも非常に偉大な計画に基づいて造り出されたのです。創造主にはとても大きな計画があり、それぞれの生物について設計されています。人間だけではありません。どんな小さな動物を創造するにも、とても大変長い時間がかかります。ですから、神は世界を滅ぼしたとき、苦しんだのです。

けれども、その道具は使った後しばらくは放っておかなければなりません。ちょうど私たちが車を長期間使うと、やがて古くなって故障するようなものです。そうしたら、どうすればいいのですか。捨てますか。屑鉄置場に捨てます。全部そこに放っておいて、しばらくしてからスクラップにして、その鉄からまた別のものを造ったり、車の一部分にしたりします。同様に、この世界は破壊された後、また別の道具を使って再び創造されたのです。

破壊されたのは道具だけです

人の頭はあまり長く使うと故障します。というのは、悪い影響がたまるからです。悪い情報でいっぱいになると、悪い人に変わってしまいます。コンピューターがあまりにたくさんの悪い情報を集めたからです。しばらくすると、これ以上使うには悪くなりすぎるので、これを消し去り、再び造り替えなければなりません。けれども、私たち人の魂は永遠に存在します。

神はあらゆる人に、活力と愛の精神を与えたのです。神はそれを取り出して他のものの中に入れることができるので、何も失うことはありません。ただ、道具だけが傷つけられたり、破壊されたりするだけです。人ではありません。魂ではありません。神でも仏性でもありません。

それが、私たち人間の死ぬときに起こることです。もし、私たちが仏性を道具から引き離すことができるなら、私たちは自由自在に他の道具にくっついて入り込めるでしょうし、もしできなければ、やはり古い道具にくっついたままで、出られなくなります。

私たちが印心してからは、神のパワーが私たちの道具を修理する手助けをしてくれます。万一、修理できなかった場合は死んだ後で、神がそれを私たちから永遠に引き離す手助けをします。そして、私たちは別の使える道具、もっと良いもの、もっと完璧で、使いやすく、修理がしやすいものを自由に見つけるでしょう。こういうことです。私たちは何かものを失うのではなく、私たち本人はやはりそのままで、ただ道具を新しくするのです。

ちょうど、車が壊れて他の車に買い変えるのと同じことです。とはいっても、それにはお金が必要です。それで、印心は私たちに「お金」を授けてくれるのです。私たちを裕福にして、後で新しい道具を買えるメリットを与えてくれます。今、私たちはまだこの車をしっかり修理していないので、売りに出しても売れません。どこかに捨てようと思ったら、外に放り出さなければなりません。それが、やはりもうしばらく使うしかない理由です。つまり、「定まったカルマは変えられない」ということです。私たちは新しいものを買うまで待たなければなりません。そういうことです。

多くの人が修行すれば、世界を救うことができる

私たちのこの世界は、本当にたいしたことはありません。もともと、何ごともありません。もし、この世界を修理できるなら、そして、私たちが自らの道具を修理できるのなら、全世界を破壊することはありません。ゆっくりと、ひとつ直ったら次を修理するのです。たとえば、自分の車が修理できたなら、あなたは他人の車を牽引して修理の手助けをすることができます。しばらく他の人を乗せてあげることもできます。そうすれば、彼らは故障している車を使わなくてもすみますし、事故を起こすこともありません。自分で自分の車を修理すれば、他人を自分の良い道具に乗せ、彼らの車を空港や修理場まで牽引して行ってあげることもできます。

したがって、修行する人が多ければ多いほど、世界は破壊されることもなく、だんだんと修復されていきます。全人類の一部の人を修理すればいいのです。その後、彼らが他の人々に影響を与え、さらにそれぞれが他の人に影響を与えていけば、調和がとれ、やがて何ごともなくなります。

この物語から読みとれることは、当時ノアの家族以外には神を信じ、その指示に従う人がいなかったということです。それで神はすべてを滅ぼしてしまったのです。もし、多くの場所でより多くの家族が神を信じていれば、神はこのようにはしませんでした。たった一家族しかいなかったので、処理がとても簡単だったのです。

私たちの世界はまだ滅ぼされることはありません。なぜなら、私たちの中には修行している人がいるからです。とはいうものの、これは難しいことです。みなしばらく修行すると、怠慢になって、何をするためにここに来たのか忘れてしまうのです。些細なことでけんかをしたり、つまらない気持ちで、もがき苦しんだりします。生死の大事なことを忘れています。私たちはまず生死という重要な求道心を強くするべきです。それから他のことをやっても、神を忘れるということはありません。

他のことをやってはいけないのではありません。たとえばノアには家族がいました。妻、子ども、そしてたくさんの動物を養っていました。けれども彼は神を忘れませんでした。違いはここです。他の人々も奥さんや、ご主人、子どもがいて、商売をしていて、動物を飼っていました。ところが、彼らは奥さん、ご主人、動物、俗世のビジネスにすっかり執着していたのです。ですから、私たち修行者は何が最も重要で、何がその次かということを知らなければいけません。   

聖書物語--ノアの箱舟