あなたの愛が無条件であるということを、はっきりさせておきなさい。あなたがどんな「天候」のもとでも、人々を愛するということをはっきりさせておくことです。そうではなくて、私たちがある人をその人の機嫌がいいときだけ、調子のいいときだけ愛するとしたら、それに何の意味があるでしょうか。得てして、私が一番必要としている時に、人々は私から去っていきます。いつもそうです。ですから、どうかそうしないで欲しいと願います。私たちは、常に他のグループのことに配慮をしなければなりませんし、あなたの伴侶の状況や心情にも配慮しなければなりません。今、その人は困難に直面しているかもしれないからです。それが理由で、機嫌があまり良くないのです。おそらく、たくさんの仕事を抱え、頭が痛いのかもしれません。それで、いつものようにステキでいられないのです。そのときこそ、私たちの最も高尚な品格、そして、自分自身そうありたいと願う生き方を示す必要があるのです。
あなたがその人にやさしくすれば、その人がより一層あなたを愛してくれるということではありません。そうなるかもしれませんし、ならないかもしれません。けれども、それは善良になり、高尚になるための目的ではありません。善良になり、高尚になるということは、私たち自身のためです。というのは、私たちがその道を選び、そうあり続けたいと願っているからです。そして、そうすることで気持ち良く感じるからです。「OK、彼は今、私をもっと必要としているわ。だからもっと同情心を示せば、私たちの愛がより強くなるんだわ」という理由からではありません。そんなことは、考えも及ばないことです。
けれども、ほとんどの場合、私たちはテストに落ちてしまいます。人々が一番苦しいときに、私たちはその人から去ってしまったり、冷たくしたり、無関心な態度をとります。「おや、態度が良くないね。いいよ。いいよ。(マスター、おかしな表情をして見せる)(笑い)どうせ、すぐに私の所に戻って来て、私が必要になるでしょうから」。もちろん、そうなるでしょう。彼らの機嫌が良くなり、すべてがうまくいくようになった時、もちろん彼らは戻ってくるでしょうが、それでは遅すぎます。そのとき、それはすでに愛ではなくなっているのです。ただ単に、お互いを必要としているだけで、それは意味が違うものです。というのは、お互いになれすぎていて、習慣上、便宜上または経済的理由から互いを必要としているにすぎないからです。けれども、それは本当の愛ではありません。
真実の愛は、常に勝利を治める
真実の愛とは、「確かさと危うさ」の間で、私たちが互いに協力するということです。特に、それが危ういときが、問題になります。そのときこそ、本当に私たちが「荒れ狂う波」に橋を架けなければならないときなのです。英語にはそういう表現があります。けれども、私たちのほとんどがそのテスト、つまり私たちの結婚相手に対するテストではなく、私たち自身に対するテストに落ちてしまいます。あなたが良かったり、良くなかったりするので、結婚相手はあなたから去って行くかもしれませんし、一緒にいるかもしれません。けれども、あなたは自分自身に対して失敗をしてしまうのです。自分自身から去っていってしまうのです。本来そうであるべき最も高尚な存在から去って行ってしまうのです。ですから、私たちは自分の家族に対して、あるいは最も愛している大切な人に対して、この点を深く反省してみなければなりません。悲惨な状況のもとで、多くの場合私たちは背中を向けてしまうのです。それは良くないことです。
もちろん、私たちには怒りがありますし、欲求不満もあります。というのは、私たちの結婚相手、あるいは誰でもいいのですが、いつものように愛らしくないからです。けれども、それは今その人が困難な状況にあり、精神的に苦しんでいるからです。それは、単なる肉体的な苦しみよりもひどいものです。肉体的苦しみなら、薬を飲んだり注射をしたりして止めたりすれば、少なくても一時的には治まり、すぐに効果が感じられるでしょう。また、肉体的苦しみなら、少なくても人々は同情を寄せるでしょう。
けれども、人々が精神的な苦悩の状態にあるとき、私たちは追い討ちをかけるようなことをしてしまいます。背を向け、冷淡になってしまいます。それはより残酷で、よりひどいことです。その人は苦しみの海をたった一人で泳ぐことになります。特に、その人が私たちを最も身近な人間として信頼し、本当に必要なときに頼れる人だと信頼しているのに、そういうときに限り、私たちは背を向けツンとしてしまいます。その人が私たちに良い態度をとらなかったので、復讐したいと思ってなのですが、まだ復讐のときではありません。後になって、その人が良い状態に戻ってから復讐できるのです。ちょっとひっぱたいてやればいいのです。(マスターと聴衆笑う)。
実際そういうとき、その人はいつもの状態ではないのです。非常に大きなプレッシャーのもとで、自分自身をコントロールできなくなっているのかもしれません。本当は、コントロールできないというほどのことではありませんが、たとえばあなたは急いでいたりすると口調が変わるでしょう。ね。「コートを取ってちょうだい! 早く! 早く! 早く!」それと同じです。いつもならあなたは「ねえ、あなた。お願いだから、そのコートを取って下さらないかしら」(笑い)と言うでしょう。そうでしょう(答える:はい)またはどこかが痛いとき、たとえば胃が痛いとか、頭が痛いとか、何かそういうときにあなたは大声で叫ぶでしょう。そして、話しかけてくる誰に対しても、いつものように話せなくなってしまいます。それは、あなたには痛い所があるからです。
同様に、あなたが精神的に、心理的に痛みを抱えていると、とても不機嫌だったり、怒りっぽい口調で話したりします。けれどもそれは理解できないことではありません。ですから、もし私たちが、いわゆる愛する結婚相手や家族に対して、この非常に基本的な考えさえ理解しないのなら、その関係はダメになってしまうでしょう。本当にひどい状況に陥ってしまいます。結婚相手が私たちに何かしてくれるということが問題なのではありません。後でその人が私たちに何かしてくれるかどうかは問題ではありません。問題は私たちです。私たちが自らのレベルを下げてしまったことが問題なのです。私たちが本来そうあるべき自分自身の本性、私たちがそうでなければならない、あるいは実際にそうであるべき、自分自身の本性のレベルを下げてしまったことが問題なのです。ですから、自分自身の本性を下げてはいけません。
無条件の献身とは、まさしく自分自身のためです
それが愛と、無条件の献身についての、唯一の真理です。他人の利益のためではなく、自分自身のためなのです。あなたが自分自身を訓練したいからであり、自分が神であるということを示したいからであり、神を認識したいからです。神を認識する唯一のことは、それを実行することであり、実行できるということを知ることです。そうなれるのです。それが、あなたがまさしく神であるということを証明するためにこの世に来た理由です。いつも天国に座っていて、「私は神である。私は神である。私は神である」と言っていたとしても、それは意味のないことです。
あなたは、この神の力を実行するために、体の内側で抗しきれないこの愛を実行に移すために、ここにやって来ているのです。ですから、私たちはそう行動しなければなりません。他人のためではく、自分のためです。自分が本当に誰であるのか気づくためであり、内面にある偉大なる存在に気づくためなのです。ですから、この愛を伴って家にお帰りなさい。テントがとても小さかったとか、非常に寒かったとか、あるいは隣の人のイビキがとてもうるさかったとか(笑い、拍手)、そういう禅会に関する不平を持ち帰ってはいけません。いずれにしても、終わってしまったことです。愛を持ち帰りなさい。
人生というものは難しいものです。私たちは、みな承知しています。私も承知しています。私は毎日テストされています。もし、あなたが何かテストされているとして、それが、自分の家族の四、五人の間での試練だとしたら、私のことを思い起こしてください。その一千倍を超える人数の間で、私は毎日テストされているのです。それでも、私はここに踏み留まっています。風雨にさらされているように見えるかもしれませんが、私は大丈夫です。というのは、明日もまた続けていかなければならないことがわかっているからです。私たち修行者は、ただ命を引き揚げてしまうだけで、去って行くことはできないからです。やろうと思えばできるでしょう。できると保証しますが、私たちはそうはしません。そうしようとはしないのです。なぜでしょうか。ここにあと数年留り、ほんの少し良いことをするのと、直ぐさま引き揚げて永遠を謳歌するのとでは、どれほどの違いがあるでしょうか。なぜなら、私たちはその永遠をすでに手に入れているのですから。それは私たちを待っていることでしょう。(拍手)急がなくでもいいのです。
私はここでもう一度きっぱりと保証しますが、みなさんの中で最もひどい人でも天国に上がれます。(拍手)ですから、今こここそがたったひとつの問題です。私たちが去る日に、「もっと良くすべきだった」などと感じないように、私たちがしなければならないことはすべて、愛と献身で終わりにしなければなりません。後悔すれば、再び戻ってくることになります。このつぎには、私はみなさんと一緒には戻ってこないでしょう。(マスター笑う)戻ってきたくないのです。(マスター笑う)
私たちはいつもこの人生での問題を抱えています。ただそれを受け入れて、最善を尽くしなさい。常に最善を尽くしなさい。他の誰かが困難に直面し、ほんの少しあなたに対しカリカリ喋ったとしても、気にしないことです。二人の間をエゴで隔て、慈しみ育てたいと願っている愛を壊してはいけません。私たちは愛を育てるべきであり、戦いを起こすべきではありません。どこにいても、家でも、店でも、道端でも、友達といても、近所の人といても、状況を悪くするのではなく、良くするように、つねに平和を築く方法を模索しなさい。
平和を築く方法を模索しなさい
もし、あなたの結婚相手が非常に怒っていて、きわどい状態で、あなたが相手に背を向け、冷たくし、何日も口をきかないとしたら、二人の関係が良くなると思いますか。あなたが愛しているその人に対して良いことだと思いますか。(答える:いいえ)その通りです。まったくその通りです。それは愛を示す方法ではありません。そうでしょう。(答える:はい)ですから、いつも平和を築く方法を模索しなさい。もし、近所の人が大声でどなりかけたり、誤解をしたり、何かあなたのことや、飼っている犬や猫のことで不満があったとして、もしあなたがその人にどなり返したり、憎んだり、その人をとても理不尽な奴だと思ったとしたら、状況は良くなるでしょうか。(答える:いいえ)そうです。良くなりません。ですから、他人のものの見方、状況や感情を理解するように努めなさい。私たちだけが感情を持っているわけではないのですから。私たちには、そのとき違う意見があるかもしれません。違うようにものを見ていますし、私たちには私たちの感情があるからです。相手にもまた相手の感情があります。両方ともが自分が正しいと思ってしまうのです。けれども、もしできれば、私たちは歩み
寄る方法を見つけ出さなければなりません。結果的にできないとしても、少なくても私たちは最善を尽くしたのです。そして、自分たちが高尚であることがわかるのです。善良で愛情が深いことがわかるのです。それが重要なことなのです。
そのために、あなたは観音法門を修行したいのです。それが、内在の神を認識したい理由なのです。もし神を認識したいのなら、唯一しなければならないことは神になることです。つねに、神ならどう行動するか考えて行動しなさい。与えられた状況で、神ならどう話すかを考えて話しなさい。それはあなたが怒ったり、自分の感情や心情的な意見の違いを表したりしてはいけないという意味ではありません。違います。もし本当の感情なら表現しなさい。どのように自分が感じているかを人に伝えなさい。間違っていると感じるかもしれませんが、それがあなたの感じ取ったことなのです。もし、その瞬間その感情が真実なら表現しなさい。瞬間瞬間において、自らに正直でいることです。(拍手)
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