マスターの開示
まず自分自身を浄化すること
The Supreme Master Ching Hai アメリカ・ロサンゼルスにおける英語の講演 1997年7月5日

なたたちがここ、あそこ、そしてどこかで行なったすべてのことの利益は、最終的にはやはりあなたたちのところに戻っていきます。私たちが他の人によいことをしたり、やさしい気持ちを抱いたとしても、最終的にはすべて自分の利益になるのです。ですから、私はあなたたちに、プラスのことを考え、プラスのことを話し、プラスのことをしてもらいたいのです。これが唯一、私たちのするべきことです。もし、あなたがこの人生で、何か良いものを得たいのなら、バランスのとれた、今までより良い生活に変えていかなければなりません。そうするべきです。

美意識は人の見方によります。恋人の目には、西施(春秋時代の越の美女)にさえ見えます。このことを覚えておいてください。もし、あなたの考えが汚れていれば、何でも汚れて見えます。性行為でさえ、あなたにとって汚いものになってしまうのです。これは神からの贈り物です。もし良くないことなら、神は創造しなかったでしょう。とはいえ、それには愛を伴なわなければなりません。あなたが誰かを愛しているなら、あなたたちが性行為という方法を用いて、愛を賛美したり表現しようとするなら、それは二人にとって一種の愛の儀式なのです。ただし、「性」に対してどんな汚れた考えも持たないでください。他人を抑制したり、独占したり、虐待したりする目的で使おうとしないでください。そうすると、それは神から与えられた性の悦びを乱用することになってしまいます。

二人がお互いに愛し合って結婚するのなら、それはその人たちの問題です。同様に、あなたたち二人が結婚し、愛し合うのも、他人には関係ありません。あなたたちが性関係を持つかどうかは、自分たちの問題です。完全に自分たちの権利であり、自己表現の方法であり、自分の選択です。私たちはさまざまな方法を選び、自己表現します。私たちの考え方が純粋であるなら、どんなことでも純粋です。ただしだれも傷つけず、たとえそのときには良いことに見えなくても、何ごとも神が私たちに良いように手配してくれたのだという、神に対するゆるぎない信仰を持ってさえいればですが。

たとえば、今日の午後、私はある同修に奥さんが戻ってきたかどうか聞きました。彼は「いいえ」と答えました。彼の奥さんは彼のためによかれと出て行ってしまったのですが、でもその後にもっと良い奥さんがきました。もちろんその間、彼はしばらく苦しまなければなりませんでした。ときどき、私たちは自分にとって良くないことだと感じますが、そうでないことがよくあります。私はあなたたちに言いましたね。もし神が私たちから何か取り去ったら、必ず別のものを与えてくれるということを。神は私たちに何か新しいものを与えて、新たな冒険、挑戦、創造力などを試すのです。ですからそのとき私たちは十分な意志力、知恵、開かれた心で体験しなければなりません。

ただ、もんもんとして落ち込まないでください。「ああ、前の女房のほうが良かったなあ」などと。でも、本当はよくなかったかもしれません。もしかして、奥さんもあなたを嫌いだったかもしれません。たぶんあなたが彼女のほうががいいと感じているだけです。それは過去のことだからです。とかく私たちは自分をだまし、過去の思い出はすべて良いものと思い込むものです。本当のことを言いましょう。今を生きることこそ、一番いいことなのです。私たちには今がすべてなのです。たとえ過去が本当に美しかったとしても、前の奥さんとか恋人が良かったというように、あなたの頭脳が過去を美化しているのです。あなたをだまさないにしても、それはもはや過去のことなのです。今はもう持つことはできません。エジプトのクレオパトラも、もういません。ですから、あなたが結婚している、今の奥さんに満足するほうがいいのです。

すばらしいことだけを分かち合いましょう

私たちの生活の中の悩みのほとんどは、自分自身で作り出したものです。私たちはたくさんのゴミを想像しますが、それは過去の経験にもとづいて、その状況はどうかとか、それに対してどうすべきかという、先入観を持っているからです。そして、私たちの考え方は、その先入観に固定されるのです。またそのことが、以前のように起きることを求めるのです。自分の考えにもとづいて、当然そうなるべきだということを望んでしまい、自分自身で生活をみじめにしてしまうのです。もし、私たちが新しい挑戦に向かって心を開き、一瞬一瞬、神からの贈り物を受け入れ、どんなことに対しても新鮮な好奇心と熱意を持ち、そして誰がそばにいてもお互いに喜びをもたらすなら、そうすればだれもが天使で、一瞬一瞬が天国です。

ところが、私たちはあまりにもたくさんのゴミを持っています。あなたがゴミを持っているなら、自分を反省してゴミを捨てましょう。センターに持って来て、他の人に分けないでください。私は食べ物とか、愛とか、悟りを分かち合うのが好きです。ゴミは困ります。あなたがこのセンターに何かゴミを持って来るたびに、あなたにとって大きな損害になりますし、ここにいる同修たちについては言うまでもありません。ここはあなたたちが愛、加護、一体感など、プラスのことを実感しに来るべき場所です。なぜなら、たぶんあなたたちは家ではまだこのようなものを得てはいないからです。家にいるときは、けんかやマイナスのことで溢れています。あなたたちは他人に対して、良くない考えと疑いに溢れています。もし、こういったゴミを持っているなら、あなたたちがここに来るたび、マスターや神や、内在のパワーに「どうか浄化してください」と祈りなさい。少なくとも、持って来て人に分けないことです。あなたたちは、家では自分のゴミを持って来て、隣の人や誰かに分けるようなことをしているのですか? しませんね! 分けるのなら、春巻きや菜食の「フォ」(オゥ・ラックの食べ物) があるでしょう。あなたは自分の家のトイレからゴミを持って来て、「ほら、見てください」と隣の人に言わないでしょう。そんなことをしたことがありますか?(いいえ!と答える)

頭脳のゴミも同じです。ここに来て、だれがいい、だれが悪いとうわさばなしをしたところで、あなたにとって良いことはありません。ゴミは捨てるべき場所に捨てるのです。そして、なるべく早く捨てなければなりません。絶対に、人に分けないことです。良くないこととわかっていて、どうして分けるのですか? とにかく私たちが話したり、考えたりすることはほとんど真実ではありません。それは、あなたたちがカルマの働きを知らないからです。あなたたちは、物ごとの表面だけを見ているのにすぎません。たとえば、この人はあの人に対し辛くあたるとか。でもあなたたちは、前世で彼がもっとひどい仕打ちをしたということを知らないのです。

私は、あなたたちに証明し、教育するために何千もの物語を話しました。あなたたちはそれを学ばなければなりません。それを理解し、実行に移さなければなりません。右から聞いて、左から出ていくということはしないでください。ただ、ここに座ったまま、バカみたいになにも考えず、自分を改善しないということではいけません。誰かを浄化するまえに、まず自分を浄化することです。

私は、私の生活について、自分は完璧であるとか何とかと、言ったことはありません。けれども、私は毎日恥じることなく自分と向かい合っています。あなたたちに言えないことは何もありません。ですから、あなたたちもそのような生活を送ってください。そうすればあなたたちの生活はもっと快適になります。

隣の人のことを詮索する必要はありません。まして、隣のゴミやマイナスのことを言いふらす必要はありません。そのようなことは、往々にして真実の情報ではなく、お互いをもっと下に引き下げてしまうものなのです。何の役に立つのですか? かりに、ある人が本当に悪くて、あなたはそのうわさを一人の人に言ったとします。「ああ、彼は本当に悪い男だ!」と。そして、あなたたち二人とも、彼はとても悪いと納得しあいます。そんなことをして、あなたたちにとって、何かいいことがありますか? あなたたち二人がもっと良くなるのですか?(いいえと答える)たとえ、その人が悪かったとしても、ただあなたたちは、彼のゴミを分け合っただけにすぎないのです。

例えば、隣の人のところにたくさんゴミがあり、あなたたち二人はそのごみ箱のところに行き、「ねえ見て! 隣の人のゴミよ! ゴミがいっぱいね。持って帰って調べましょう」と言います。このようなことをして、あなたにとって何かいいことがありますか? あなたが隣のゴミを自分の家に持って帰って調べても、結局ゴミはゴミにすぎません。あなたは初めから、すでにそれがゴミであることを知っているのですから、さらに調べる必要はありません。それはごみで、しかも隣の人のものです。そのゴミについて話す必要はありませんし、討論する必要もありません。とても明白で、とても簡単なことです。それはただのゴミです。ということで、ゴミはもとのところに置いておけばいいのです。わかりましたか。(はいと答え、拍手)あなたたちはそれをごみ箱だとわかっていて、その中にはゴミがたくさん詰まっているのに、鼻を突っ込んで臭いをかいだり、手を入れてかき混ぜて、取り出して臭いをかいでいます。そして自分でしておいて、こう言います。「ああ、これは本当にゴミだ!」(笑い)バカみたいですね。もし、誰かがそんなことをしたら、愚かなことだと思いませんか?(はいと答 える)でも、あなたたちもいつもそういうことをしています。笑わないでください。そうではありませんか?

ゴミの収集者

ときには、あなたたちは私のゴミさえも、ほじくり返すのです。私にはたくさんのゴミがあると言ったことがあります。私は決して、あなたたちをだましたことはありません。私はあなたたちが持っているものは、すべて持っています。私はそういったものを収集しているからです。それで、あなたたちがきれいに保たれているのです。それで、あなたたちの家は良い雰囲気なのです。たとえ、私にゴミがあっても、私のゴミを批判しないでください。臭いをかがないでください。私に処理させてください。私は自分の時間でそのゴミを処理します。ゴミを捨てるべきところに捨てます。そして廃棄します。そうすれば、あなたたちはきれいで、美しく、すばらしく、衛生的で、健康的に保てるのです。ということで、私のゴミを批判しないでください。(拍手)

これは、あなたたちのほとんどが犯している過ちです。私にとっては問題ではありません。でも、あなたたちにとっては煩わしいことが多くなります。たとえば、あなたがそういったゴミをあちこち持ち運ぶので、ゴミのような臭いがして、ゴミのように見えたりします。その上あなたがゴミを集めるなら、人々はあなたがゴミであることがわかってしまいます。ゴミの収集はあなたたちの仕事ではありません。外の通りには、ゴミ収集人がたくさんいます。彼らが仕事をしているので、あなたは彼らにお金を支払っています。彼らの仕事をとらないでください。あなたにはもっと良いするべき仕事があるでしょう。あなたに代わってゴミを収集してくれる人がいることを喜ぶべきです。なぜ、奪い取るのですか? ましてや、それが本当のゴミかどうか調べようとするのですか? ゴミは確かにゴミです。とっくに知っていることです。

私はあなたたちをだましたことはありません。私にはたくさんのカルマがあると、あなたたちに言ったことがあります。そのために私はよく病気になります。その上、わけもなくトラブルに巻き込まれることがよくあります。私はよく健康を害しますし、悪い評判が立つことがあります。手助けをした人さえも、私を裏切ります。私が行なった良いことを利用して、私を攻撃するのです。個人的なこともたくさんあります。多くの新聞はいつも私について悪く書いていますが、それらは100%ゴミのことです。全く真実ではありません。

ですから、私がたくさんゴミを持っていることをすでに知っているなら、私のまわりに来ないでください。近寄らないでください。離れたところで、自分を清潔に純粋に保つことです。たとえ、私がゴミであふれていても、大丈夫です。それは私の問題で、私の仕事です。あなたたちは見ないでください。私はいつだって一切問題なしと言って、あなたたちをだましたことはありません。私には何も問題がないというわけではありません。

私はひとつの犠牲的ゴミ箱です。どんな人でも、その中に何でも捨てることができます。私はそれを消化し、面倒をみなければなりません。あるときは非常に苦痛です。実際は耐え抜かなくてもいいのですが、でも、私はそうします。私はゴミをゴミとして見ないので大丈夫なのです。私にはそれを消化して、肥料にする方法があるからです。そして、美しい花を咲かせることができます。けれども、あなたたちはこのようにしないでください。あなたたちはこのようにするすべを持っていません。あなたたちには、そのような生まれもった使命がありません。ですから、距離を保ってください。ゴミは私のところに置いておけばいいのです。あなたの隣人が誰であっても、ゴミをその人のところに置いておきなさい。あなたはただ自分の清潔さと純粋さを保つように努力すればいいのです。それが主要な義務です。あなたの使命は、隣人や私のゴミを調べるために生まれたことではありません。あなた自身の問題が、すでにあなたを十分悩ませているのですから。

かりに、すでにあらゆることをして、自分を浄化しきれいにしてきたなら、あなたは幸せです。あなたは戦争のまっただ中にいなくて幸せです。どうして人は、戦場で死んだ人を批判するのでしょう? あなたがそこに生まれていないことを幸せに感じるべきです。手足があることを喜ぶべきです。その上、あなたは平和な国で生活をしています。良い生活をするのに十分なお金があります。あなたは幸せに感じるべきです。教育を受けられない貧しい人や、帰る家のないホームレスの人たちを批判しないでください。自分が持っているすべてのものに、幸福を感じるだけでいいのです。それすら持てない人を批判しないでください。

美は見る人の意識にかかわる

私たちは決して知らないのです。私たちが見ているものは、ほとんどが真実ではありません。というのは、それを見ているのは私たちの頭脳だからです。それは、物ごとをきれいに、単純に見せることができません。なぜなら私たち自身が単純でなく、きれいでないからです。恋人の目には西施に見えるのです。覚えておいてください。あなたにとって、ある人が純粋でなく見えたときはいつでも、自分自身を反省しなさい。ある人が悪く見えたときはいつでも、自分自身を反省しなさい。ある人がとても汚く見えたときはいつでも、自分自身を反省しなさい。もし、あなたが本当にきれいで純粋であれば、いつも幸せに感じます。光栄に感じます。そしてあなたの美しい道を歩んでください。そのような幸せでない人のために、また私のために祈ってください。私には必要ありませんが、あなたたちはそうすることができるのです。

あなたたちに何か問題があるということが一点目です。二点目は、もしあなたたちがゴミをセンターに持って来るなら、この神聖な場所の持つ美しさを壊してしまうということです。そこは、人々が最良のそして最高の加護のパワーで、霊性が引き上げられることを期待して来る場所です。それで、彼らは家に帰ったあとも引き続き、責任を負うことができ、重い荷物を担えるのです。彼らは家にいるときも、問題を、ゴミを処理できるのです。ですから、彼らはあなたたちがまき散らしたゴミをもらいに、ここに来るのではありません。あなたの心の中に、毒された考えがあったら、神に祈りを求めなさい。内在のマスターに祈りを求め、それらを浄化することです。何かのせいにしたり、そのようなことを信じたりしないことです。

マイナスの物ごとは、決して真理ではありません。なぜなら、神はマイナスではないからです。どうして神がマイナスのことを創造できるでしょうか? マイナスのことはすべて私たち自身の邪悪な頭脳から来たのです。神が創造したものはすべて完璧なものです。私たちはすべての物ごとをめちゃくちゃにし、すべての物ごとを悪くしてしまっています。そのように教えられたので、他人のことも、自分の意見として受け入れるからです。本の中からも、これは良くない、あれは良くないというように学んでいます。そして私たちはそれを信じて、物ごとを良くないと判断するのです。ですから、あなたは読んでいるものに気をつけなければなりません。あなたが受け入れて、自分のシステムにインプットして、自分のものにしたことには気をつけなければなりません。あなたが信じていることが、本当に良いかどうか気をつけるべきです。

あなたはチェックしなければなりません。私が言っていることすべてが、あなたにとって良いかどうか、理にかなっているかどうかをさらにチェックすることです。もしそうでなければ、あなたは拒絶すればいいのです。本当です。私の言っていることは全部でたらめだと、私に言えばいいのです。それを自分のシステムにインプットし、自分のものにする前に、あなたはまずすべてをチェックしなければなりません。そうでないと、たいへんなダメージを受けることでしょう。もし、あなたがゴミや、悪い制度を受け取って、それをひとつの信念として自分のものにしたら、それは永遠に固定されてしまうのです。そしてあなたはそこで死んで、その罠にはまってしまいます。あなたは自由でいられなくなります。思想、制度、概念、これらすべては人を罠に陥れてしまうからです。

どれほど多くの家庭が、夫婦の性行為が罪悪であると信じて、不幸になったことでしょう。そのうち、どうしようもなくなって、彼らにはその罪悪感を取り除くことができなくなります。彼らには楽しさなどまるでなくなり、欲望を抑制しあい、生活を地獄のようにしてしまいます。神は、あなたたちの結婚生活を地獄にすることを望んでいるでしょうか? 神は互いに愛し合う二人が、いつもこのような罪悪感を持つことを望んでいるでしょうか? なんのために、そんなことをするのでしょうか? あちらで、何か神に奉仕することになるのですか? このような概念のすべてが、人をとても傷つけるのです。私はひとつの例を挙げたにすぎません。その他のことはすべて、あなたたちが自分でチェックしなければなりません。私は食べ物を全部よくかんでから、あなたたちに与えることはできません。そうすることはあなたたちにとって良くないからです。

あなたたちはもっと聡明にならなければなりません。瞑想をして、自分の知恵を磨いてもっと聡明になるようにするのです。そうすれば、自分で何がよいか悪いかを判断できるようになります。けれども、チェックするときは慎重に、誠実に行い、批判の態度や先入観を持たないようにしなければなりません。そうです。まるで子どものように純真でなければなりません。一輪の花をあるがままに見て、「まあ、これは白よ。赤じゃないわ。ピンクでなきゃ。私はピンクが好き。赤は好きじゃないの」などと、批判をしないでください。赤でもいいし、ピンクでもいいのです。良い悪いはあなたの心の問題です。あなたの魂は区別などしないのです。

自分の生活に注意を払い、純粋で肯定的なものにする

そういうことで、私たちは自分がどのような生活をしているか、慎重にならなければいけません。というのは、私たちが考えているすべてのことが何かを生み出すからです。もし、マイナスのことを考えれば、マイナスの雰囲気が生じます。私たちとまわりの人に悪い運が引き寄せられるのです。そしてどこに行ってもそういったものがつきまといます。まるで、毒薬を穴のあいた袋に入れて、あちこち持ち歩いているようなものです。あなたがどこへ行こうと中毒になるし、あなたに近寄って来る人も毒されてしまうのです。そうなります。

同様に有害な考えは、有害な映画やどんな有害な物質よりもっと害があるのです。自分の考えていることに注意しなければなりません。本当に良くない考えであれば、ただちに捨てるべきです。聖名を唱え、注意力を集中させて、自分を浄化し、あなたが生きているすべての瞬間の中で、神から与えられる加護を享受することです。健康な体に感謝するべきです。生きていることに感謝するべきです。良いところに来ることができ、リラックスできることに感謝するべきです。このような良い友達がいることに、私のような良い友達がいることに感謝してください。(拍手)

私はあなたたちに、私個人のために仕事をするように頼んだことは一度もありません。私があなたたちのためにすることはすべて無料であり、心から喜んで、愛の気持ちでしていることです。あなたたちはいつも私に聞きます。「マスター、私たちはどのようにして、あなたに報いればいいのでしょう?」と。その必要はありません。何も報いる必要はありません。ただ、自分をきれいにして、自分のことに留意して、そして私のことは私にさせておけばいいのです。とても簡単です。なぜなら、私のゴミに注目してばかりいると、進歩できないからです。あなたたちが隣人のゴミに目を向けていると、反対に自分で自分に害を与えて煩わせるのです。それだけです。私は、隣のゴミをのぞいたり、好きなことをすることを禁止するつもりはありません。とはいっても、あなたたちはこのようなことが、良いか悪いかどうかを考えなければなりません。

ある人たちについて悪く考えるとき、あなたたちは気分がいいですか? そうではありませんね。もうすでに良くないことなので、私の話を信じる必要はありません。自分で調べてください。それが真実かどうかにかかわらず、あなたが誰かのことを怒り、彼らが誠実かどうかについて悪く思うたびに、一番不愉快なのは誰ですか? 真っ先に不愉快なのは、自分自身です。そうです。ですから、とても簡単です。

自分をコントロールしていくことは、とても簡単なことです。ただ、まっすぐに内面を見ればいいのです。聖名を唱え、いつもマスターに助けを求めることです。すぐにある思いを与え、その悪い考えを愛あるものに取り替えて、あなたを助けてくれます。もしあなたが確かにそうだと思っても、怒ってはいけないという意味ではありません。本当にそう思ったのなら、そのように言い表しなさい。

もし、あなたがある人に腹を立てたら、その人にその理由を教えてあげなさい。でも、まず、あなたはそれが本当かどうかを調べなければなりません。理にかなっているかどうかです。それに値するかどうかを。もし、あなたの怒りが彼により引き起こされたものなら、彼に言うことです。少なくとも、彼にそのことをはっきりとさせるチャンスを与えるのです。また、一緒にわだかまりをなくすことです。ただ、自分個人の経験や、高いとか低いとかの意識レベルで人を推測したり、批判したり、人を固定観念で縛らないことです。彼のことを他の人に言いふらしても、あなたが彼について何を言っているか、彼さえも知らないのです。第三者は、なおさらどうすることもできません。ただそこに座って、ゴミを一部始終聞いているだけです。そのことについて何も知らないのです。もしかしたら、第三者が第四者にしゃべる可能性もあります。あら、まあ、なんてことでしょう。そうしたらセンター中ゴミで溢れてしまいます。

そのことを話さなくても、そのことを考えていることも良くありません。そのとき一番良いことは、こう言って神に祈ることです。「私からこの毒を取り去ってください」と。そうでないと、あなたのまわりの人々にもみな毒を広げることになります。考え、行為、言葉はどれもみな同じだからです。特に私たちが意識を集中しているときは、それらは非常にパワフルです。カルマが来たときや、誰かと衝突したりしたとき、とても疲れることがあります。朝、鏡で自分を見て、顔が黒ずんでいたら、何か有害なものがあなたの内面にあるのです。放たれた毒はあなたに非常に疲れを感じさせ、早く老けさせ、決して生き生きと若々しくは見えません。ですから、自分を純粋で肯定的に保たなければなりません。こうすることが、あなたにとって最も良いことです。

どうすることもできないときは別として、たとえば、あなたがその人と一緒に住まなくてはならなくて、その人がトラブルを起こし、お互いに誤解があるときは、お互いにはっきりさせなければなりません。でもそれは、あなたのことを全く知らない人や、あなたがその人に対して悪い感情を持っているのに気づかない人を、否定的に考えることとは違いますし、あなたの考えていることは、たぶん真実ではないということです。たとえそれが事実だとしても、あなたにはカルマがどのように働くのかわからないのです。神があの人やこの人のために、なんの目的のために手配したことなのか、あなたは何も知りません。ですから口を閉じて、頭脳を休止させ、聖名を唱え、プラスのことを考えるのが一番良いことです。なぜなら、あなたがプラス思考なら、何も損はしないからです。あなたがいつもマイナス思考なら、あなたは損をしてしまいます。それだけです。これはすべてあなた自身のためです。私があなたたちに禁止するものでも、神が罰することでもありません。もしあなたがあらゆる人に対して、いつもプラスの方向に考えるなら、あなたの人生はもっと良くなるでしょう。

誠実と信頼が結婚生活を維持するための鍵である

もし親しい人との間に問題があるなら、その人と二人で解決することです。あなたにはパートナーの悪口を他の人に言う権利はありません。それが真実かどうかにかかわらず、あなたは彼個人のプライバシーの権利を侵害することになります。もし、あなたがその人を愛しているなら、そのようなことをしたら絶対にいけません。あなたがそのようなことをしたら、相手を本当に侮辱することになります。なぜなら、ときには相手を誤解しているからです。

たとえ、それが事実であったとしても、彼はわざとやったのではないかもしれません。彼の習慣なのです。または、彼はそのようにすることが、あなたにとっていいことだと思っているからです。とは言っても、あなたにとってよくないのです。なぜなら、あなたはそのことが好きではないからです。あなたは相手にだけ告げなければなりません。それがあなたが努力しなければならないことで、第三者とは解決できないことなのです。あなたたちが夫婦のように一緒に生活するなら、一緒に物ごとを解決する努力をすべきです。相手のうわさ話をしないようにしなさい。なぜなら、そのうち相手がそのことを知ったら、あなたたちの関係も終わってしまうと思うからです。相手はあなたのことを許すことができません。あなたたちの信頼関係も崩れてしまいます。

あなたたちが夫婦として一緒に住むのなら、お互いに信頼し合わなければなりません。困難に出合ったとき、相手に頼ることができることや、相手はあなたを守ってくれることや、あなたを敬い、あなたの名誉を守ってくれることを知らなければなりません。相手はどんなときも、どんな人にもあなたを売ったりはしません。まして、あなたはその人が誰だかすら知りませんし、彼らが何を話しているのかも知らないのです。そしてそのことの半分は彼らの頭の中だけで思っていることで、真実でないかもしれません。

こうすることは難しいということは、私もわかっていますが、試してみてください。これが唯一の方法なのです。私は、とにかくあなたには他の選択はないと言っているのです。他のどんな選択も、あなたにトラブルをもたらします。あなたのやりたい方法を試すこともできますが、そのあとに面倒なことがやってきます。そしてあなたは、それが私たちが一緒に生活するための、唯一の選択であることに気づくのです。

私たちは真理の道を生きなければなりません。その上、自分が直面するすべてのことにも、自分自身のことにも気を配らなければなりません。私たちにはすでに自分自身やパートナーや子どもなどの問題があります。他人や隣人の問題の世話をする必要はありません。自分自身の問題が十分あると思いませんか? それともあなたの問題はまだそれほど多くないのですか? 私はあなたに私の問題をただでいくつかさしあげることができます。私にはたくさんの問題があります。残ったものも、未解決のものです。

さあ、ゴミについて話しましょう。もしあなたたちが本当にそんなにゴミが好きなら、私と一緒に住みましょう。私のボーイフレンドになってくれたら、自然にあなたにたくさんのゴミを分けてあげられます。あなたが頼まなくても、私がゴミをあげるということです。あなたが私と住めば、すぐにわかります。その人の隣にいながら、ゴミが見えないわけがありません。ただ、私と一緒にいれば、ゴミとは本当はどういうものなのかわかります。ときにはあなたたちも苦しみを受けることがあります。苦しみを受けることが、どんなことなのかを知りたければです。ですから、私と一緒にいないことを、幸いと思うべきです。あなたの生活は平穏で、普通なのですから。

本当に平凡な生活こそ幸福です。幻想を抱いてはいけません。あなたにパートナーや恋人がいるなら、その人と一緒に努力してうまくやっていくことです。なぜならそれは可能なことなのです。最後には必ず成功します。

私はたやすい結婚生活を見たことがありません。まして、いわゆる「それからずっと幸せに暮らしました」というようなものもです。あなたたちは結婚生活や共同生活などで、何も問題ないのを見たことがありますか? ありませんね。今日、私は小学校のときの先生と一緒に食事をしました。先生は自分から私に、若いときから今までトラブルのない結婚生活というものを見たことがないと言いました。

先生は若いとき、どうして大人はいつもけんかをするのだろうと驚いていたそうです。それで先生は、知っているカップルをすべて観察し続けました。摩擦がなく磨きあうこともないカップルは見たことがないということです。それで最終的には問題がなくなるのです。もしかしたら、まだ問題があっても彼らはだんだん良くなります。なぜなら、それが習慣になってしまうからです。

一組の夫婦が、あるマスターのところに行って、こう言いました。「マスター、私たちの結婚生活にはたくさんの問題があります。私たちを助けてください。この結婚生活は本当に価値があるのか教えてください。続けていくべきでしょうか?」

マスターは答えました。「心配することはない。将来はもっと良くなることを私が保証しよう。あなたがたはすぐ良くなる」

すると、その夫は聞きました。「どのくらいでよくなりますか?」

そのマスターは答えました。「恐らくあと、10年か、20年かな」

そこで夫婦は言いました。「それは、そのときになると私たちは楽しい生活ができるようになると言う意味ですか? 私たちにはもう問題がなく、けんかもないということですか?」

マスターは答えました。「いや、いや、それは同じだよ。ただ、あなたがたがそれに慣れるだけだ。そうなるとそれほど煩わしく感じないからだよ」(笑い)

それは習慣なのです。どんなことでもただ慣れてしまえば、それほど辛いと感じなくなるのです。

習慣を超越し、真・善・美(真理・高徳・完美)の本質を表すこと

夫婦のけんかも頭脳によるものです。頭脳はあらゆる種類のゴミの情報を記録し、状況がほぼ似ていると同じ資料を引き出し、夫婦間やパートナーと再びけんかになるのです。ほとんどいつも同じような話です。同じような過ちのくりかえしです。ですから、たとえあなたがいつもけんかしあっているとしたら、ただ頭脳がトラブルやカルマを作り出し、間違ったことをしているだけだということを知るべきです。

カルマとは頭脳の中に記録されたものを指しています。あなたが前にしたこととか、行った結果を頭脳はすでに記録しているのです。それから、頭脳は次のときに同じようなものを出してくるのです。ですから、頭脳のレベルや、肉体的接触、性行為やトラブルを越えて、愛し合うことです。あなたたちは神の愛、永続的で無条件の愛で愛し合わなければなりません。そうすれば、長続きして、困難を乗り切ることができるのです。

もしあなたが、いつもパートナーや自分のトラブルばかりに目をやるなら、問題をますます大きくするだけです。一所懸命努力して、協力していくことです。それはパートナーの習慣があなたを悩ましたことについて、目をつぶるということではありません。話し合うことです。相手を嫌うのではなく、相手の習慣を嫌うのです。その人を排除するのではなく、その人の悪い性格を捨てるのです。誰でも何かに努力しなければなりません。これが、私たちがここに来た目的なのです。これが人生のすべてです。難しいことですが、不可能なことではありません。私は私でそのお手本となる努力をしています。ですから、あなたたちもあなたたちで、自分自身のために模範となるように努力しましょう。いいですね。お幸せに!

まず自分自身を浄化すること