マスターの言葉
繰り返し思い起すこと
The Supreme Master Ching Hai アメリカ・ロサンゼルスにおける英語の講演 1997年7月6日

たちは、印心後自分自身の旅を始めます。みなさんは間違いなく、より良い方向へ人生が始まっていくという実感を受けるでしょう。方便法を受けた後でさえ、しばらく修行すると人生が変わり、以前よりずっと良くなっていると思うようになります。そうですね?(聴衆:はいと答える)それで、みなさんはそれ以上のことを求めてやって来たのです。今日、以前よりもっと多くのことを紹介されたので、当然、加護の力や幸福はさらに多方面にわたり、より良く順調で平和な人生を謳歌できるでしょう。かつては困難であったことがすべて容易になります。また解決のできなかったすべての問題が、ずっとたやすくすばやく明確に解決できるのです。そのためには、毎日瞑想時間をとれば良いのです。

自分自身を汚したり、細胞や脳を混乱させると、結果的にみなさんの霊的な成長を妨げてしまいますから、食べ物に気をつけてください。神が、私たちの食べ物の監督をしてくれるわけではありません。もし私たちが、中毒性のある物や、肉や動物製品のような不浄な食物をとることで私たちの組織を害したなら、私たちの細胞(体や脳の細胞)もまた、汚染され混乱してしまうのです。そうなると、はっきりと物ごとを考えられなくなり、幸福と知恵の根源を見つけだすために、穏やかに瞑想することができなくなります。私たちは穏やかに瞑想しなければならないのですが、ただ瞑想するだけではなく、日々の修行も必要です。日々の行動が、より穏やかに、より内面へと向かって行き、私たちの神の品格の真の根源と接触できるのです。そこから、私たちは日々の問題や苦しみをすべて処理し、幸せに変えることができるのです。

もし、私たちが自分の細胞や脳や血液を混乱させたら、「感情部門」もまた混乱してしまいます。そうなると、もはや物ごとをきちんと考えられなくなり、瞑想で座っていても非常に疲れ、落ち着かないでしょう。たとえ私たちが瞑想中に良く座れたとしても、私たちの直感力は、体内に取り入れた有毒物の否定的な影響によって曇らされてしまいます。ですから、食べる物を神や私が監督するのではないし、また少しの肉を食べたからといって、まっすぐ地獄に落ちていくということでもないのです。それは真実ではありません。ただ、神のようになりたいと望むなら、私たちが行なうあらゆることに、自分で責任をとらなければならないということです。私たちが身、口、意をきれいにするためには、口にする物がすべて純粋かどうか、自分で気をつけなければなりません。

私は、みなさんが何を食べようと構いません。けれども、食べた物はすべて、みなさんの瞑想修行、気分、気質、個性、性格、人生の価値観に影響します。すべてのことがそれに関わっているのです。私たちが物質世界にいるかぎり、物質的なものすべてが、私たちに影響を与えるのです。ですから私たちは、自分自身のために清浄な食べ物、苦しみの少ない、カルマの負担の少ない食べ物をとらなければなりません。

動物は非常に苦しんでいます。死を恐れ、命にしがみつき、そして、私たちのためにむりやり彼らの死期が早められ、彼らはもちろん恐れて、その憎しみは私たちの食べる肉の中にとどまります。それで、私たちは攻撃的になったり、いらいらしたり、欲求不満になったり、ときには暴力的になるのです。ちょうど、動物たちが死ぬ前に感じていたようにです。

植物もまた感情を持っています。実際には感情ではなく、単なる反応というようなものですが。けれども、植物は動物のような長い寿命をもっているわけではありません。植物のもつ恐れは、さほど強くないのです。さらに、植物は再び成長できます。木の一枝を切ると、他から二、三本の枝が伸びてきます。ですから、もし私たちが少しばかりの木を切ったとしても問題ありません。もっと多くの木を植えれば良いのです。または三枝伸ばすために、一枝を切るのです。問題はありません。私たちは自然を崇拝するのではなく、それを利用し、私たち自身のために自然を守るのです。人間というのが、常に優先的でなければなりません。

ある人々は非常に極端です。彼らが、「わかりました。それでは、私たちは植物を食べません。植物も命がありますから」と言うなら、私は「わかりました。それでは、そうして死んでしまいなさい」と言いましょう。私たちは狂信主義を賛美しません。ニュートラルで、非常に穏やかな方法ですべてのことをするのです。まさに私たちの生活様式と同じです。私たちは一日中瞑想しているわけではありません。ほんの二時間半だけ瞑想するのです。まず、義務からすべて解放されて穏やかになり、そして瞑想のために座れるのです。

一回に二時間半続けて瞑想する必要はありません。もし一時間座って疲れたなら、立ち上がっても良いのです。朝、もう少し瞑想したり、次にあまり疲れていないときに、少し長く瞑想すれば良いのです。そうやって足していけば良いのです。二時間半、あるいは三時間というように、それで良いのです。しかしときには、みなさんで集まって一、二週間、あるいは二、三日間、一日中ずっと瞑想できます。これもまたみなさんにとっては有効です。その機会に、し損なったり、十分瞑想できなかった分を補うのです。

ですから、私たちが紹介してきたことすべては、みなさんにとって非常に助けとなり有益なことなのです。何のきまりも規律もありません。実際にはいかなる戒律もないのです。それらは単に、私たちの人生を送る上での高尚な手段に過ぎないからです。というのは、もしすべての人がみなさんと同じ方法でその人生を送ったら、この世の中は天国になる以外ないからです。まさしくそうなのです。

私たちは、世の中にたくさんの戦争や問題、そして災難を抱えています。というのは私たちの多くは、神が意図した素晴しい方法に従って生きていないからです。私たちのほとんどが、自身の内面にある神の品格を実践していないからです。神の品格を埋もらせ、世俗的な資質のみをあまりにも発達させてしまったために、私たちの人生は非常に不均衡で、すべてがより物質的になりすぎて、次々に災難や競争を招いているのです。そして競争を通して、戦争や対立が世界的に持ち上がっているのです。

ですから、私たちが人生を歩いているこの道は最高の道であり、最も高尚な道であり、すべての人が歩かねばならない道なのです。しかし、すべての人が歩くわけではありません。その点が、この世におけるひとつの哀しむべき事実なのです。私はこのことに気がついてもらうために話しているのです。みなさんが、今日より人生を歩こうと選択した道は完全な道です。ですから、この道を進み続けることを忘れないように努めてください。自分自身に思い出させてください。前に印心をした同修も、選んだこの道が完全な道であることを思い出すよう心がけてください。これ以上の道はありません。人生を送る上で、今私たちがしている方法以外に、より良い選択肢は存在しません。他にどのような選択をしようとかまいませんが、きっと苦しむことでしょう。ですから、私たちが唯一選べるのは、今ここにある、私たちが行っている方法なのです。つまり、霊的な知恵を修行し、否定的なものから遠ざかり、自分の生活を高尚で有意義になるようにする方法なのです。他に選択の余地はありません。たとえ他の方法を選びたいと思っても、それがみなさんにとって良くないことは、みなさんも知っています。 ですから、とどまるべきですし、そうしたいということもわかっていますね。

私は、ただこの道こそが、みなさんが今まで選択してきた中で、最高のものであるということを言いたいのです。そして私は、みなさんに選択した所にとどまってほしいと希望します。というのは、それが私たちにとっても、世界にとっても良いことですし、後に続く他のすべての人にとって、模範的な人生となるからです。私たちは隣人がそう行動してくれるのを待つわけにはいきません。まず私たちから行動すべきです。そうすれば隣人も後について来るでしょう。一人から始まり、他のたくさんの人々がそれに続くようになるでしょう。最初はたった一人、私から始めて、それでみなさんは手本を見ることができたのです。みなさん一人ひとりの、それぞれの光の手本によって、他の何千の命がより輝き、より幸せになっていくなんて誰が想像できるでしょうか?

ですから、みなさんは非常に重要なのです。一人が重要なのです。二人はもっと重要です。グループ全体となれば、この世にとってはかりしれない程重要となります。みなさんが印心を受けた日から、みなさんの霊的なエネルギーによって、多くの戦争が避けられるでしょうし、多くの災難が最小限にくいとめられるでしょう。ひょっとすると隣人さえも、より良くなり、素敵に見えるかもしれないし、そして、みなさんが歩く道端や木々のまわりや、みなさんが楽しむ花々のまわりに、輝く光を見つけるかもしれません。そして、すべてのものがより良くなっていくこどに気がつくでしょう。みなさんのおかげで、他の多くの人々が続き、同じ恩恵を享受するようになるのです。ですから、この惑星の利益のために、私たちに加わってくださったことに対してお礼を申し上げます。(拍手)

神の恵みが永遠にありますよう、お祈りしています。それはまちがいなく確かなことです。(拍手喝采)

繰り返し思い起すこと