知恵の真珠
エゴの罠
The Supreme Master Ching Hai カンボジア・国際禅七における英語の講演 1996年5月11日

ゴにだまされないことです。というのは、それはエゴとは気づかないようなさまざまな形で現われるので、私たちにはエゴがないと思ってしまうからです。たとえば、「どうして、こんなにマスターを愛しているのかしら」とか、「私は同修たちをとても愛しているから、彼らのためなら何だってできる」と考えます。そうです。みなさんは彼らのために何でもするでしょう。けれども、それはあなたのしたいやりかたです。そして、良い子や慈善家などになったつもりで、自分で自分を忙しくしているのです。実際、みなさんは助けることよりは、問題を引き起こすほうが多いでしょう。それは、人があなたにして欲しいと思っていることをしていないからです。自分をその他のことでとても忙しくするためだけに、ただ忙しくして良く見せているのです。みなさんはとても善良に見えるので、人々は叱ることができません。あえて叱らないのです。なぜならみなさんは、人が望んでいること以外のことは何でもするからです。このようにエゴというものは、私たちを、本当はそうではないのに、道徳があり善良で我欲がないかのように、常に私たちを騙して惑わせるのです。しかし、それは間違っています 。

ですから、私たちは何かをするときはいつでも、そのことが必要とされているかどうかを考えなければなりません。というのは、ときに人々は、何か良いことをすると、とても良い気分になるのと同じで、慈善活動して自己満足してしまうからです。

同様に、私たちのような修行者も、ときとして誰でも知っているほど一日中忙しくしていて、その他あれこれしていることで、自分たちは善良で慈悲深く、無私であるという考えに惑わされがちです。しかしそれが必ずしも、人の役に立っているとは限らないのです。

The Supreme Master Ching Hai タイ・ハジャイにおける英語の講演 1994年11月27日

もし私たちがより高いレベルに進み、最も強力な意識のレベルを知りたいと思うなら、また私たちが宇宙の万能なエネルギーを味わいたいと思うなら、準備をする必要があります。私たちは純粋にならなければなりませんし、その高いレベルにとどまるためには、その純粋さと一体にならなければなりません。なぜならそのパワーは、純粋さ、肯定的なこと、愛、慈悲以外のなにものをも含んでいないからです。もし、私たちが反対方向の否定的な痕跡を少しでもとどめていたなら、決してこれとは結びつきません。この純粋さ、愛、そして慈悲と一体になることができないのです。もし私たちがこのような何かを持っていたなら、それは取り除かなければなりません。これが、なぜ私たちに問題があるのかという理由です。ですから今、私たちはなぜ愛情深くならなければならないのか、慈悲深くならなければならないのか、純粋にならなければならないのか、その理由がわかりました。それは、私たちがこの無上のパワーを手に入れたいと望んでいるからです。

エゴの罠