謙虚な人は、とても神や菩薩に近いと言えます。心が純粋になれば、真理に近づきます。私たちが傲慢になればなるほど、真理の道から離れてしまいます。私たちは、なぜこんなにも真理の道から遠ざかっているのでしょうか? それは、私たちがこの世に頼っているからです。もし、この世に頼るものなどないなら、傲慢にはなりません。金銭や権力や学識や社会的地位などに頼ることは、すなわちこの世に、つまり無常なものに頼るということです。真理はこの世にあるものではなく、また無常なものでもありません。ですから、こちら側にあるものに頼れば頼るほど、あちら側のものからはどんどん離れて行くことになるのです。これは、非常に論理的でわかりやすいと思います。
お金も権力もない人や、年老いて誰も面倒をみてくれる人もいない人たちの方が、より謙虚だと言えるでしょう。ですから、私はそのような立場の人や、刑務所に入っている人々に対してとても優しくしてあげているのを、みなさんはよく見かけると思います。逆に、みなさんにはあまり優しくしなかったことを申し訳なく思っていますが、それも自然の成り行きです。わざとその人たちに親切にしようとしたわけでもなく、わざとみなさんに優しくしないというつもりでもありません。私はちょうど鏡のようなもので、ただみなさんの姿を映しだしているに過ぎません。私のみなさんに対する態度を責めないでください。また、「どうしてマスターはあの人にとても優しくして、私にはちっとも優しくないのかしら」と比べたりしないでください。よく見れば、彼になぜ優しくするのか、その理由がわかります。あなたよりハンサムとは限りません。もしかしたら、歯が一本もないかもしれません。親戚や友人が一人もいないかもしれませんし、一銭も持っていないかもしれません。私がお金を援助する必要があるかもしれません。けれども、私が彼にとても親切なのは、心がとても純粋で謙虚だからです。汚
れていないのです。彼の前には何一つ妨げるものもなければ、執着するものも頼るものもないのです。心は広々として、果てしない宇宙と一体になる直前の状態にあるのです。
もし、私たちがどこかに頼れる場所があると、それによって私たちは限定されてしまいます。「私は何々大臣になった。私はこのように道徳心が高いのです。私こそ悟りを開いているのです」などと。私たちには依然として閉ざされた境界面が存在し、それによって制限を受けることになります。謙虚で純粋な人たちは、頼るものが何もありません。何もないということは、すべてを持っているということなのです。
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