2004年台風災害と中越地震の救援活動 2006年5月ホームレスへの入浴支援(群馬センター)
2004年台風災害と中越地震の救援活動
台風と地震の被災者へ心身の慰めをもたらす
風雨は強いけれど、愛はさらに強い
東京&群馬センター(日本語)
2004年10月20日午後1時頃、強烈な台風は日本の高知県より上陸した後、夕方6時には大阪付近から再度上陸し、台風の目は本州全体を横切りました。さらに暴風圏の範囲はとても大きく、相当莫大な災害が起きました。台風は広大な地域にひどい豪雨をもたらし、その中でも、兵庫県と京都付近は災害が最もひどく、4万人余りの人々が家からの撤退を強いられました。兵庫県豊岡市では、90%の家屋が浸水し苦しみを受けました。
慈悲深いマスターの指示を受けて、群馬センターの修行仲間は災害状況の視察のため、翌日の夜明けに直ちに災害地区へと向かいました。多くの道路は既に壊れ、災害地区へ接近するほど前進が難しくなりました。仲間たちは前後12時間近くを費やしてようやく豊岡市へ到着しました。群馬と東京センターは話し合った後に共同で4トントラックを1台手配し、被災者の最も急を要する飲料水とスポーツドリンクを一杯に載せて被災区現場へと送り、援助を提供しました。
震災の痛みが、暖かい心で癒される
台風の被害がまだ人々の心に影を落としている矢先、2004年10月23日午後、日本の東北地方から近畿地方にかけての一帯をマグニチュード6.8の地震が襲いました。地震の中心地は新潟県の中越地区でした。大地震の後も、幾度も大規模な余震が続き、交通中断及び新幹線の車両は開通以来初めて脱線を起こし、周辺地区の水道、電気、ガスも供給が停止し、たくさんの村が対外との連絡が完全に遮断され、孤島のようになりました。
マスターは地震の被害に心を痛め、被災者に物質的及び精神的な慰めをするようにと再び指示を送ってくれました。マスターの愛をより多くの被災者へもたらすため、東京センターと群馬センターは分かれて救済活動を展開しました。
東京センターは3つの班に分かれて救援のため現地に駆けつけました。第1グループは10月24日に新潟の被災地に向かい、先ず、避難所の中学校でお菓子を配り、次の目的地である見附市を目指しました。道路のあちこちに亀裂が走り、山の崩れている所、傾いた家、壊れた塀などが見えました。仲間たちは現地の救援物資センターでミネラルウォーター10箱余り(約260リットル)を寄付し、さらにすぐ近くの避難所の小学校と保育園を訪れ物資を手渡しました。この他、水を約26箱(約516リットル)とお菓子7箱を近隣の住民に配送しました。人々は仲間たちに心からの謝意を表わしました。
第2グループは27日に一番被害の大きい小千谷市に向かいました。道が寸断されて孤立している集落に行こうとしましたが、初めはどうやって行けばよいかわかりませんでした。しかし、マスターの加護の下、とても早く道は開けました。ボランティアの人たちに同行できたり、村の情報や道を聞くことができ、順調に川井地区の4集落に着きました。この集落は山中で道路が寸断されましたが、住民が自分の田畑を提供して臨時の迂回路を作ったことで、物資も届くようになりました。
28日、救援物資を調達するため営業している店を見つけ、懐中電灯、電池、キャンディ等たくさんの買い物をしました。すると店主が新品の毛布20枚を無料で提供してくれました。そこで岩沢地区の3集落に行くことにしました。この地区はほとんどの人が親戚の家などに避難していてお年寄りばかり村に残っていました。物資を渡すととても喜ばれました。山への行き帰りには、道がわからなくなると必ず道案内をしてくれる人や車に出会い、とても不思議な経験をしました。
29日、付近の吉谷という集落の被害が大きいとの情報を聞き、早速向いました。人を見かけると車から降りて話をして、何が必要か聞いて回り、すぐに調達に行きました。前日毛布をもらった店に懐中電灯、電池を買いに行くと、店主がまた毛布と食器を提供してくれました。他の店を探して、果物、おにぎり、カセットコンロ等を購入し、再び「吉谷」に向かい、被災者にこれらの物資を配りとても喜ばれました。
第3グループの仲間たちは29日に懐中電灯、温熱パック、バナナ、インスタント味噌汁、スープの缶詰などを載せて、小千谷市に向かいました。家屋の倒壊がひどかったので、仲間たちも多くの被災者の散らかった部屋の内外で、ガラスや土壁などの片付けを手伝いました。
30日の夜は、第2グループと第3グループが合流して、総合福祉センターで炊き出しをしました。アメリカ風トマトスープと野菜たっぷりのうどんを作りました。このビルには被災者が200名避難、他に全国から来た約300名のボランティアのうち100名ほどが滞在していました。こんな大変な状況の中でも、「おいしい!」と言って食べてくれる人たちの幸せそうな顔を見ると、自分たちも幸せな気持ちになりました。
31日の早朝、私たちはおにぎりを作って、第2グループが行った村に届けようと計画していましたが、どうやってご飯を炊こうか思案していたところ、ちょうど大きな電気釜を持っている団体がいて借りることができました。私たちはこのように「修行者の願望はみな直ぐに実現する」という体験をしたのです。そして250個ものおにぎりを作り、吉谷に向かいました。これらの熱々おにぎりの速達配送は、多くの被災者の心を暖めました。
被災者が愛のうどんに深く感謝する
群馬センターでは、地震発生の10時間後、第1グループが現地入りしました。また、台風26号の被災地、兵庫県豊岡市に救援物資を届けに回っていたグループも翌早朝に新潟に向けて出発しました。同時に、センター待機組は、24時間体制で情報収拾と状況分析を行い、現地の救援チームと連絡を常に取り、最新の現地状況及び関連情報を提供してサポートしました。救援方法を練っていく中で、東京センターと群馬センターは、粉ミルク、紙おむつ、トイレットペーパーなどを届ける決定をしました。
このほか、水も電気もガスもなく避難生活を送っている人々が、寒い中、何日も、乾燥食品だけで温かいものを食べられないでいる現状に着目し、温かい野菜たっぷりのうどんの炊き出しをすることに決めました。そして大都市で、物資、医療、電気、水など早めに供給を受けられる地域ではなく、僻地で、すべて後回しにされる比較的小さな単位の集落を回りたいと考えました。場所は最も震源地に近く、被害が大きい地域で、なおかつ行政の手が最後に入る地域でした。各所で道が寸断され、私達は迂回を余儀なくされました。道の両脇が大きく崩れ、ゆがみ、地面がよじれて沈み込んでいる峠道を、五句を念じて進みました。地元の人さえ通れない道を、仲間たちはマスターの加護に包まれて通過できたのです。
うどんの炊き出しの現場は、僻地の小学校、保育園、福祉センター、町内会広場などでした。どこでも事前情報の数倍の被災者が避難生活を送っていました。しかし、7人の修行仲間は、短時間の内に迅速に準備し、おいしいうどんを給仕しました。乾いたパンやインスタント食品しか口にしていなかった人々は、色とりどりの野菜がたっぷりで、あつあつスープのうどんを心から喜んで、泣いて感謝して食べてくれました。「こんなきれいなうどんは見たことがありません。この味は一生忘れません」と、たくさんの人が言いました。「地震以来初めてお腹が喜んで、体の調子が良くなったんだよ」と寝たきりの老人が言いました。また、地震以来、気力を失って寝たきりになった老人のいる家のお嫁さんが、「地震の後何も食べなかったけれど、うどんなら食べられると言って初めて食事をしてくれました。もう少しいただいていいですか」と遠慮がちになべを差し出しました。仲間たちは、なぜマスターがその場所に彼らを導いたのかをはっきりと理解しました。
仲間たちにとっては、食材、調理器具、水、テント、すべてを持って毎回移動するのは楽ではありません。しかし、より多くの地でより多くの人に会えると、むしろその困難を喜びました。避難生活の窮状を見ているうちに、うどんにのせる具の種類がどんどん増えていきました。仲間たちのサービスの対象は被災して避難している人だけでなく、多くの復旧作業者も含んでいました。昼夜奔走し、それでも不可抗力で避難民の要望に応えられず、焦燥と疲労、寒さと空腹で力を失っている人もたくさんいました。電力会社の工事夫もそうでした。けれども仲間たちの作った温かいうどんを食べると、また元気に雨の中を電柱に上っていきました。仲間たちのわずかな気持ちに対し、たくさんの人が手を合わせ、頭を深く地面につくほど下げ、泣きながらお礼を言って帰りました。
また、仲間たちは温かい食事だけでなく、加持物のお菓子、薬、カイロ、ウエットティッシュなどを持って、子供たちや寝たきりの人たちの間を配って回りました。ある老人たちは、地震に被災した悲しみや苦しみを仲間たちに語り、ある人たちは、地震の模様を鮮明に描写してみせました。多くの老人たちが苦しみの中に慰めを見出しました。
この活動期間に、たくさんの奇跡が起こりました。一例をあげると、仲間たちが回った所はどこも停電の場所で、避難民は不安で眠れず、ほんの少しうとうとしても、繰り返す余震ですぐ覚めてしまうのです。ところが、驚いたことに仲間たちのうどんを食べた直後、すぐに電気が通ったのです! それが修行仲間が移動する場所場所で起こったのです。マスターが光を人々の下に戻してくれたのです。みなが拍手をし、万歳をしました。その夜、避難民は地震以来、初めて穏やかに眠りました。
終わりに
今回の被災者救援活動を通して、私たちは、たくさんの貴重な体験をしました。私たちがマスターの仕事を行う時、たとえ十分な人員がいなくても、内在のマスターの導きに従う限り、不可能と思われたことさえ可能になります。マスターの無限の愛は、私たちの目に見えない鎧であり、その愛に守られて、私たちは被災者に心身の慰めを順調に届けることが出来たのです。私たちは、マスター、あなたに深く深く感謝しています!
感 謝 状
前略、
先般の震災に対し、早朝より暖かい皆様のお気持ちと暖かくおいしいうどんをいただき、本当にありがとうございました。余震の続く中、水道の復旧のめどが立たず、もう少し不自由な生活が続くと思われますが、町内皆で力を合わせて頑張って行きたいと考えております。
御礼が送れましたことをお詫び申し上げるとともに、皆様の暖かいお心遣いにお礼申し上げ、上坪野町内会としての御礼をさせていただきます。 敬具Top
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