天国  平和  メディテーションのパワー


神 の 特 質

   スプリームマスター チンハイ オーストラリア・ブリスベン 1993年3月20日(英語)
 父なる神について、私たちにお話していただけますか。神はどんな姿をしていますか。

(マスター) 神はあなたに似ていて、二つの側面を持っています。善良な面といたずらな面です。いたずらな面では、それによって人生をつらくも、楽しくも、愚かにもします。というのも、誰もがこのようなことを喜ぶからです。また、善良な面では、それによって私たちに強さ、霊性の知識を、そして私たちにできる神聖で崇高な事すべてを与えてくれます。

  もし、「神は完全な善であり、愛である」と言うなら、それもよいでしょう。けれども、それではこの世界のあらゆる罪悪について説明できません。実際、この世界には悪はないのです。それは私たちの物の見方にすぎません。つまり、私たちが神とのゲームのやり方を知らないからです。そして、それが物事を難しくし、否定的に変えてしまうのです。もし、私たちが神との交流方法を学べば、物事はそれ自体順調に行き、そうすれば、違った見方で物事を見るのです。私たちはそれをどのように調和させるか知っています。いわゆる毒薬でも、科学者はどのように使用したら人々の健康に役立つか知っていますが、私たち素人が使うと命の危険があるのと同じです。

  神は「人間」でも「人間にあらず」でもありません。それは宇宙全体に充満している「最高のパワー」であり、私たちはその中にいます。その一部であり、全体でもあるのです。熱心に探し求めて、この神を知ります。私たちがどれだけ誠実に内在する神の天国を渇望しているか、その程度によってもたらされる神の恩恵によって知ります。これはただ、いわゆる神の一時的な説明です。そうでなければ、もし神が見たいのなら、あなたの隣人を見なさい。神はあなたの隣にいます。お互いを見て、その人の中に神を見つけられるかどうか試してみてください。聖書には、「私たちの内面にいる」と書いてあります。

  隣人や見知らぬ人に、愛を込めて何か善良で高貴なことをするその時こそ、自分が神であることを理解する時なのです。その時あなたの内在の神が目覚めるのです。好ましくないと思うことをしたり、誰かを傷つけてしまうのは、神のいたずらな面に主導権をとらせたからです。けれども、いずれにしてもそれはすべてゲームです。私たちはその両面に耐えて、そして悪を善に転換させるためには、悟りを開かなければならないのです。



私たちは神聖さにおいて一体である

スプリームマスター チンハイ マレーシア・クアラルンプール 
2000.4.30(英語)ビデオテープNo.688

  神は光であり、それは数千個もの太陽を一緒にしたものより明るく光り輝いています。神は音楽であり、それは私たちの魂をあらゆる幸せと満ち足りた気持ちで一杯にします。私たちがどこにいるか、人種や国籍が何であるか、どんな生い立ちや宗教であるかは全く関係ありません。そして、もし私たちが、私たちの一員として神に触れたいと願えば、神は人として姿を現しさえするのです。例えば、イエス、仏陀、モハメッド、シーク教のグルたちやクリシュナ教のマスターたちのように。これらはみな、神が人の体に姿を変えて私たちの前に現れたものです。それで私たちは愛したり、見たり、触れたり、信じたりできるのです。

  また私たちは、自分の意識を彼らのすばらしい境界(きょうがい)へと高めれば、これらのマスターと交流することもできます。その境界は、この惑星における物質的な意識レベルよりも高いものです。私にそれができるのだとしたら、みなさんにもできます。私たちの兄弟姉妹である修行仲間ができるのなら、みなさんにもできます。そして、それは今現在起きていることで千年も前の話ではありません。なぜなら福音とは、私たちがこのシステムにおいて一体であり、この神の本質と一体であり、私たちが見たり、夢見たり、イメージできるすべてのものと一体であるというものだからです。私たちはこれらすべてなのです。



いつでも、どこででも神を体験できる
スプリームマスター チンハイ サンフランシスコセンターの同修とのビデオ会議 
2002.8.25 (英語)ビデオテープNo.748
  神の存在を体験するのは、智慧眼や天国のオーディオセンターを通してだけ体験するのではありません。それは、あらゆるものを使って、いつでも―――みなさんの呼吸や体、感覚、知性、感情、心理状態、そして周囲にいる人々を通して体験するものなのです。というのは、神は遍在し、みなさんに数々の体験と奇跡を毎日、常にもたらしているからです。みなさんはただ、そのことに気づかなければなりません。

  けれども私たちは気づかないこともあります。私たちはメディテーション中に神が姿を現すのを待つだけですが、神はそのようなものではないのです。ですから、私たちはメディテーション中に静かに神を体験できますが、神は毎日ほとんどずっと、どこででも私たちを加護してくださっているのです。しかし、みなさんはそれがわからないこともあるのです。時には、みなさんは事故に遭う運命だったりします。そしてあやうく自動車事故に遭いそうになったとします。しかし誰がみなさんや人の車の向きを変えたりして、無事でいられるようにしたのでしょう? こういう場合こそ神の存在に気づく時なのです。ところがそういう時、私たちはただこう考えます。「ああ、なんという偶然なのだろう」。あるいは、私たちは全く考えもしなかった良い仕事にたまたまつくことがあります。すると私たちは思うのです。「ああ、また偶然だ」と。しかし、違うのです。神はあらゆる所に存在し、常に私たちを保護し、助けてくださっているのです。私はみなさんがこのことをよくわかっていると思います。ですから智慧眼を通してのみ、神が自分の前に姿を現すのだと期待するのをやめましょう。神は常にその姿を現しているのですから。


心が平和であれば、どこでも天国

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖道場(英語)1993.6.6
  神の王国とは何でしょうか。それは金、銀、ダイヤモンド、ルビーやあらゆる宝石でいっぱいのきらきらと輝く宮殿ではありません。それは純粋、博愛、慈悲、そして平和な心のことです。それこそが神の王国なのです。私たちの内面にこのような神の王国があれば、どこへ行っても、いつも私たちは天国にいるように感じます。ですから、私たちはまだこの世にいる間は、超世界の生活を切望することや、地球上の兄弟姉妹へ貢献する機会を避ける必要はありません。もし、内面ですでに天国を得たならば、生きていても死んでも天国は私たちのものであり、誰もそれを取り去ることはできません。しかし、まだそれを得ていないのならば、天国に行ったとしても天国の雰囲気や環境は内側の暗い魂に浸透できず、依然として心の内に恨みや嫉妬、良くない否定的考えを持つのです。そうして、自分にとって天国は宇宙の別の場所にすぎず、どこに行っても同じで何の変わりもありません。それはまだ自分自身が変わっていないからです。

  自分が変われば状況も変わります。天国が内面にあって心が平和であればどこでも天国となり、至る所が平和となるのです。それが良い人であることや善行をなそうとすること、良くなろうとすることの目的なのです。私たちの唯一の選択肢なのですから。


手を携えて力を合わせれば この世は天国になる

スプリームマスター チンハイ タイ・バンコク 1994.09.14(英語)ビデオテープNo.446
  私たちがどのくらい人の力になれるのかわかりませんが、できる事を時間と能力の許す限りするだけです。世界はこんなにも大きくて苦難が多いのですから、私たちが助けられるのはほんのわずかだとしても、何もしないよりはずっと良いのです。もし世界中の人々が、それぞれ少しずつ私たちと同じようにすれば、この世は本当に天国になり、飢餓に苦しむ人は全くいなくなるでしょう。

  ですから、全世界の人がそうするのを待つことはありません。まず自分たちから先に行いましょう。そして、もし他の人がそれに習ってくれれば、なお良いでしょう。とても簡単です。私たちの団体は大変小さいですが、もし私たちのようなごく小さな団体にそういう事ができたなら、もう少し大きな団体にも波及してゆき、ついには世界全体に広がります。そうすれば、もう全く心配ありません! 死ぬことを心配したり、天国に急いで上がったりすることもないのです。


しっかり修行してこそ世界を助けられる

スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖1992.4.12(中国語)ビデオテープNo.241
  メディテーションは、ちょうど私たちが自動車にたっぷりとガソリンを入れたり充電したりして、走り続けられるようにするのと同じです。もしくは、元気いっぱいに仕事が続けられるよう、食事をしてお腹を満たすようなものです。毎日しっかり食事をすると、健康を維持して仕事を続けられます。ですから、私たちは毎日、魂のエネルギーの補充もすべきで、そうしてこそ大事を成し得るのです。どうして大きな事を成す必要があるのでしょうか。有名になりたいから、あるいは自分はすばらしいと思うためではなく、この世があまりにも不公平だからです。大変な苦痛を味わっている人がいます。人としての価値、さらには最も基本的な尊厳さえ認められていない人もいます。人々の他人への態度はまるで野蛮な時代そのままです。だから私たちは世界を手助けするべきなのです。世界を手助けするならば、私たちはまず我が身を正し、しっかり修行して、自分に厳しくなければいけません。そうしてこそ、何をどう行うべきなのか理解できます。さもなければ、何かしたいと思っても成し遂げることはできません。



平 和 を 祈 る
スプリームマスター チンハイ ブルガリア・ソフィア 
    1999.5.8.(英語)ビデオテープ No.651

  人々が神を忘れている限り、再び戦争が起こるでしょう。他の人々もまた神であるということを知るために、私たちは内在の神を真に知り、神と通じ合う必要があります。そうすると神は他の神を殺せなくなります。その時戦争は終わるでしょう。このことがわからないと、私たちはただ相手を他の人間とみなし、個性や性格、習慣、国の伝統といったものに目を向けるのです。私たちはその人間にも神が内在しているということを忘れているのです。これこそが問題なのです。

スプリームマスター チンハイ チェコ共和国・プラハ 
     1999.5.28.(英語)ビデオテープ No.654
  私たちが自ら和解しないのであれば、神はこの地上に平和をもたらすことはできません。私たちにはパワーがあります。私たちはここでは神の代表なのですから、ここにいる限り、このレベルですべきことを行わねばなりません。私たちは内なる平安を得てこそ平和を得られるのであり、自分自身の中に神を見るときにのみ、他人の中にも神を見ることができるのです。

スプリームマスター チンハイ ブルガリア・ソフィア 
    1999.5.18.(英語)ビデオテープ No.651

  深い愛の思いと肯定的な考えは、常により明るく、より肯定的で、より愛ある雰囲気を作り出します。同じ考えを持つ人々が多ければ多いほど、より良い影響がもたらされ、一人ひとりの考えが集中していればいるほど、その影響は強くなります。ですから、実際私たちが何かの問題により強力な影響を与えたいのならば、まず、この内なる注意力と神のパワーに集中しなければなりません。しかし、それには手段を知らなければなりません。それでこそ世界に影響を与える神の力を使うことができるのです。そして、私がここにいるのは、みなさんがいつでも望むときに、より肯定的な影響を世界に与えられるよう、この神のパワーをどのようにして再び見つけるのか、その秘密を紹介するためなのです。



内外の平和を実践する
スプリームマスター チンハイ フォルモサ・西湖センター 
1992.4.10(英語)ビデオテープNo.240

  この世界に住んで穏やかな心を維持するのは、非常に難しいことです。周りにとてもたくさんのストレス、暴力、悪影響、不正があるからです。時にはバランスを保ち、穏やかな態度や心でいるのが困難な場合もあります。私たちにとって唯一の希望は、私たちが毎日メディテーションをし、神を思い出そうと努めること、また、内在する万能の愛の力に目醒めようと努めることにより、内面を平穏にすることです。それが観音法門の修行目的です。

  最低1日1時間の観音が、心を落ち着いた穏やかな気分にさせてくれます。それで情緒をコントロールでき、内在する魂のマスターになれるのです。さもなければ、私たちには癒す方法がありません。他の方法ではこの世界で平穏は保てないのです。

  特にさまざまな気質や経歴の人に接する立場、責任ある立場であれば、困難です。より困難になります。ですから自身を救い、平穏でいるためにメディテーションに全力を尽くすべきです。それが私たちに世界を救える方法なのです。この世界の各々の人が平和で愛に満ちていれば、世界は平和で愛に満ちてゆくからです。少なくとも、もし世の中の大多数の人が平和で愛のある姿勢であれば、世界は危険な状態にはなりません。その大多数、あるいは少なくとも心の平静を好むグループの人たちは隣人に影響を与え、他の人々を平穏で愛情深くさせるでしょう。そういう方法で私たちは世界を平和にし、戦争を止めさせるのです。

  そうしない限り、平和を語る多くの集会を見て来ましたが、この国の平和を語った次の瞬間には別の国で戦争が勃発してしまうのです。ここが終われば次が始まるというように。戦争は常に決して終わりません。全世界は今まで一瞬たりとも平和を享受していないのです。常にどこかで戦争をしています。人類全体がこの世界で生き抜く唯一の方法が、相互間の愛と内面の平和だと気づくために、一つに団結してこなかったからです。


メディテーション修行の成果
スプリームマスター チンハイ パナマ 1991年1月30日(英語)
 もし、私たちがマスターからすべてを得たとして、それに報いる最高の方法は、メディテーションの修行をすることですか。

 そうです。それが世界にとって、みなさん自身にとって、マスターにとって最良のことです。メディテーションをすればするほど、より多くの智慧を持ち、より平穏に感じ、何事にも執着しなくなります。この世界に住んでいますが、執着は感じません。そして人々を容易に許せます。なぜなら内面で満足しているからです。印心やこのメディテーション修行をする前は、誰かが叱るとあなたはいらいらしたり、怒りを感じましたが、今はそんなに気になりません。時にはただ笑ってすまします。

  反応するかもしれませんが、以前のように怒りを伴ってはいません。時々状況に合わせるために、怒ったふりをするかもしれませんが、以前のように本当に深く傷付いたりしません。時には、以前のように泣いたり笑ったりすることもありますが、以前と同じではなく、そんなに深く感情的なものではありません。私たちはただ雨が降るように、あるいはただ晴れるように、執着せずに泣いたり笑ったりします。怒りを感じたり、感情的な変動があったとしても、それはとても短く、以前のように長くは続きません。もしこのように感じるようなら、それはメディテーションにおける成功の印です。それは偉大な進歩です。ある境界(きょうがい)が見えるとか、超能力、富やヒーリングパワーといったたぐいのものではありません。そうです。これらは重要ではありません。愛こそが重要なのです。もしあなたが自分の中にすべての衆生にそそがれる愛を感じたり、自分自身の内面に平和を感じたなら、これこそが最も重要なことなのです。


観音のパワー
スプリームマスター チンハイ アメリカ・ハワイ・ホノルル・禅四
1993. 10.22.(英語)ビデオテープ No.383
  私たちは、観音してこそあらゆる意識段階を通過できます。けれども、光のメディテーションをしている人はたくさんいますが、音と接触するレベルに到達できず、人生はあまり変化しないのです。公案(禅問答)の意味を問うような知的レベルの法門や、ランプに集中する法門など多くのメディテーションでも光を見ますが、彼らの人生はあまり変化しません。なぜならいくつかの光のレベルは魂のレベルを向上させる音のレベルよりも低いからです。ある人々は光のメディテーションを行い、サマディー、あるいは極度に集中した状態に入った瞬間、自動的に音流に接触することがあります。

  その時点においては、彼らも観音をしていることになります。その時、光と音があります。しかし彼らは音を得る楽な方法を知りません。彼らは有能な友人や、資格を持ったガイドの手助けにより、音流と接触したことがないからです。私たちは方法を知っているので簡単です。今日では「ノウハウ」は成功への鍵ですが、メディテーションの修行においても「ノウハウ」はあります。ですから本当のサマディーに入ったことがなかったとしても、音流の恩恵を少し味わっているので、身体や魂を回復させるのに役立っているのです。

スプリームマスター チンハイ メキシコ・メキシコシティー 
1998.5.23.(英語)ビデオNo.627
  私たちがこの世の悪習にうんざりしたり、生き残るための終わりのないもがきに疲れたり、精神的な疲労でまいってしまった時にはいつでも、しばらくの間座って観音をしてみます。そうすれば私たちは魂の中を流れる絶え間ない幸福を感じることでしょう。


肯定的なエネルギーの磁場を作り出す

スプリームマスター チンハイ アメリカ・ロサンゼルス国際3日間リトリート
1998.12.16〜18(英語) ビデオテープ No.639 
:観光(光のメディテーション)を行った後、次の日家に帰って、観光をした部屋に入った時に、音が聞こえ、振動を感じることはあり得るでしょうか。

:もちろんあります。壁も天井でさえも振動しています。そうでなくてはなりません。あなたがメディテーションする場所はどこでもエネルギーが留まるのです。

  そういうわけで、自分の周りを良いエネルギーが取り囲むように、常に良いことをしなければならないのです。たとえ、メディテーションについて、神について、マスターパワーについて、肯定的なことや良いことについて話すことでさえ、良いエネルギーを作り出します。ですから、あなたがメディテーションをすると、当然良いエネルギーをその場に作り出し、それはそこに留まります。そして、その場所でメディテーションをすればするほど、エネルギーは強くなります。あなたが肯定的なことを話せば話すほど、自分を取り巻くエネルギーの壁は厚くなるのです。そして類は友を呼ぶように、四方八方から更に良いエネルギーを引き寄せます。ですから、あなたの行く所はどこでも、いわゆるエネルギーのかたまり、良いエネルギーの暈を運んで行くのです。良いエネルギーを運べば運ぶほど、あなたはより心地よく感じます。心地よく感じれば感じるほど、更に肯定的で良いことについて話すようになります。肯定的で良いことを話せば話すほど、肯定的で良いことをすればするほど、更に良いエネルギーを作り出します。良いエネルギーを作り出せば作り出すほど、よりいっそう気分が良くなり、さらに良いことをします。これには終りがありません。

  ですから、絶対に、決して否定的なサイクルに陥ってはなりません。肯定的でいなさい。難しいのはわかっています。人々は時々みなさんを引きずり落とすからです。でも、気をつけていなさい。ただ気をつけていることです。常に肯定的でいるよう努力しなさい。身、口、意をできる限り肯定的にするのです。自分を守り、素晴らしい移動可能な家を築きなさい。そうすれば、あなたが行く所どこへでも、光と良いエネルギーと良い振動を持って行けます。良いエネルギーをたくさん持って行けば行くほど、更に良いものを引き付け、引き付ければ引き付けるほど、更に強くなり、より肯定的になるのです。